茜色の空
夕暮れが、すぐそこまで迫り来る時刻。
カカシがイタチの技を受けて倒れ、もう早、1ヶ月近くが経とうとしている。カカシの抜けた穴を埋めようと、上忍達は各自、任務に忙しい日々を送っていた。
その合間をぬって弟子たちの様子を見に来たガイは、聞き慣れた声を耳にして、大木に身を隠しその気配を消した。
うっそうとしている森。その真ん中にあるちいさな空間に、二つの影が短く伸びていた。会話が、ガイの耳にも届いてくる。
「私がリーの役をするから、ネジはガイ先生の役ね」
両耳の真上で髪を丸くおだんごにしたテンテンが、背中まである長い黒髪を一つに束ね、落ち着き払った様子で立っているネジに一方的に話している。
分かったと返事をする事もなく、素早くネジは身構えた。
ガイはまばたきもせず、その様子を見つめている。
予想した通り、一瞬にしてテンテンの技はネジのそれに圧倒された。
負けが明らかなのにもかかわらず、それでもまだ向かっていこうとするテンテンを制するかの如く、ガイは二人の間へと割って入った。
「リーがいなくて寂しいだろうが、二人でも青春しろよ!」
元気付けるためにそう言ったものの、はっと思い返し
「だが、甘酸っぱい青春は駄目だゾ!」と付け加えた。
ネジと、そしてテンテンが肩で息をしつつ、ガイに向き直る。
甘酸っぱい、と聞いて、両人とも何か言いたげな顔をするのだが、こんな時にはいつも決まってテンテンが口火を切る。
「ガイ先生、その甘酸っぱい青春って、何?」
テンテンの言葉を受け継いで、ネジが訝しげな様子で、ぼそりと言った。
「…それは、恋愛のことか?」
言った当人のガイは、自分の言葉に照れている。そして早く話題を変えて欲しそうな顔をした。
「いや、その、なんだ」
「先生ったら、そんな事を言うために来たの?まだまだ未熟な下忍のあたしたちは、恋なんかしている場合じゃないの。日々、修行あるのみよ!」
怒ったように地面へと腰を下ろして、テンテンは額当てを外し、にじむ汗をぬぐった。
「先生が邪魔しなかったら、もう少しやれたのに!」
相変わらずの負けん気の強さに、ネジとガイは、顔を見合わせ、苦笑いをする。
「ところで、ガイ先生」
テンテンは汗が引き気持ち良くすっきりとした様子で、ガイに訊ねた。
さっき怒っていた顔は、いつもの笑顔に戻っている。切り替えが早い、というべきか、あとあとまで気持ちを引きずらないというべきか。
「いつになったらリーは、元の体に戻ってこの場所へ帰ってくるかしら」
中忍試験での傷が元で、リーは、忍として生きていく事の出来ない体になってしまった。
あれから数か月が経ち、傷の癒えた、まだ使える片手片足でトレーニングをしようとするのだが、焦るのか、いつも必要以上に負荷をかけて無理ばかりする。毎日のように、この練習場所へやって来てはテンテンに怒られ、家で安静にしていなさいと帰される日々だ。
けれどどんなにリーが頑張っても、傷付いた体は、言う事を聞いてくれない。いつまでも、一人前の忍としての仕事が出来ない。そして多分、これからも。
それをテンテンは知っていながら、けれど内心では、認めようとはしなかった。
なぜなら、
゛尊敬する綱手様が、もの凄い医療忍術で、リーの事を、きっと治してくれる゛
そう信じているからだ。
そんなテンテンの気持ちは、ガイもよく知っている。
「ものごとは、良い方に解決する。そう念じていれば必ずそうなるはずだ」
一日も早く、行き先不明の綱手様が見つかるといい、と、ガイは自分に言い聞かせるように呟いた。
「もうすぐ、また四人で任務へ出る日が来るはずだ。すぐに、きっと」
「やだ、先生ったら、何だかいつもと違って、気取ってるみたい?いつもなら、恥ずかしいアレをしながら『とにかく走れ〜っ!』ってうるさいのに」
テンテンの言う恥ずかしいアレ、とは、ガイのお得意の青春ポーズの事らしい。
今日はそのポーズを取るつもりもないらしいガイに対し、一体どうしたのかと、テンテンは丸い目をしばたたかせた。
「今は少し忙しくて、お前達の稽古を見てやれない。すまん」
ガイが通常任務に加えて、上忍がひとり抜けたその代わりのいくつかを引き受けている、その多忙さをネジもテンテンも知っている。
ネジは、ガイの言葉を茶化す事なく聞き取って、
「それはかまわない、先生」
と言った後を引き継ぐように、テンテンが少し得意げに話した。
「最近、時々だけど、練習を宗家に見てもらっているの、ねえネジ」
屈託のないテンテンに対し、ネジは少し複雑な表情をしてみせた。宗家とは、日向家当主でネジの叔父、日向ヒアシの事だ。
「……分からない所を聞く人が、近くにいない。だからたまたま、宗家に聞いた。それだけのことだ」
ガイのいない隙を狙って、宗家の元へと行ったと思われては心外だと、言いたげだった。
「先生がいてくれたら、別に問題はないんだ……このところ、ずっと先生は任務で里にはいない。いても他に心配事があるようだし。リーの事も、それから」
カカシの事も。
ネジは口に出さずに、ガイをじっと見つめた。
ネジも、ガイが毎日のようにカカシの元へと通っているのを聞き知っていた。里の中で沈んだ顔をしているのを、何度も見かけた事もある。
だが、遠目にガイがいると気付いても、ネジは声をかけることをためらった。
ネジの問いかけを耳にしたなら、この師は、たとえ睡眠時間を削ってでも、弟子達に時間を割こうとするに決まっていた。リーやカカシの事が重く心の枷となっている今、ネジは自分の事でこれ以上、師の負担になるのは避けたかった。
「何度も、通ったりしているの」
「お喋りだな、テンテン」
不機嫌そうにするネジや、相変わらず元気なテンテンの様子を見たガイは、嬉しそうにした。
「そうか。そうか」
自分がいなくても、この子達は、今何が出来るか精一杯考え、行動しているのだ。ガイは思わず、潤んでくる目頭を押さえた。
「な、何で泣いている」
ネジは驚いた。泣くのは日常茶飯事だが、何故、今。テンテンも不思議そうに訊ねた。
「先生?どうしちゃったの」
ガイは半泣きのままで苦笑いをする。
「すまんすまん。青春の汗が目から……熱くてかなわんな」
そう話しながらも、泣き笑いで曖昧な表情のガイに
「汗っかきなんだから、先生は」
しようがないわね、とテンテンはポケットから出したハンカチをガイに押しつけると、「汗をかいたら、水分補給しなくちゃね」
そして、何か飲むものを買ってくると言って去っていく。
ガイは座り込んで、ハンカチで涙を拭いた。その後で、思いきり鼻をかんだ。
その後で、あっ、これはテンテンのだった、しまった!と気付き、濡れてしまったハンカチを見ながら、さて、どうしようかと焦った。そんなガイの横に来たネジは、
「先生は疲れているな」と、小さく言った。
ガイはハンカチを広げて風に晒しつつ、
「そんな風に見えるか?」
つぶやくように返事をした。
「キツイ任務ばかりを選ぶように働いていると聞いた。何かを悩んでいるようにも見える。先生をそんなふうにさせる原因は、カカシ先生なのだろう」
うす桃色のハンカチが、風になびく。ガイはそれを、じっと見つめていた。
ネジはそんなガイの手元を見下ろしつつ、
「先生の姿を見て、俺に、親友と呼べる友がいるのかどうか、考えてみた」
リー。テンテン。他の、同期の忍達。先輩・後輩。その中に、もし自分が倒れた時に、それを自分の事のように置き換え、思い悩んでくれる者が一人でもいてくれるのだろうか。
「俺はリーが中忍試験で傷を負った時も、冷静に、そして客観的に判断し、まるで他人事のように、突き放したような事を思った。それは多分、親友に対して、かけてやる言葉ではなかったと、今になって思う。あの時の俺は、先生がカカシ先生を案じるように、リーの事を思わなかった」
ネジは思い返すように、目を閉じた。そんなネジを、ガイはゆっくりと見上げた。
「ネジ、お前は、まだまだ若い、というより幼ない」
不審そうな目をするネジにかまわず、ガイは言葉を続けた。
「親友という間柄は、時間をかけて作っていくものだ。共に笑い・泣きして時を過ごして、結果産み出される強い絆だ。慌てる事はない、ネジ。お前には、まだまだ充分な時間がある。これから、お前が信じるまわりの者達と、強い絆を作っていけばよい」
「信じる者……」
「その者の為であれば何もいとわぬ、そうだな」
そう、ガイは言ってから、自分の言葉に頷いた。
「何も…何も」
「死、さえも?」
「ああ」
ネジの問いかけに対し、我が意を得たかのように、ガイは嬉しそうに微笑んだ。
遠くに、テンテンの姿が見えた。
ガイは立ち上がった。
頬を撫でる風が、ハンカチに残る涙の跡をほんの少しだけ消している。
ガイは大ざっぱに、ハンカチをたたんだ。けれどキレイに四角にならず、角が、はみ出してしまった。ガイはあわてて、もう一度たたみ直した。けれど二度目も一度目の時と、さほど変わりはなかった。今度は別の角が、はみ出してしまう。
ガイは手の上の、うす桃色の布切れをまじまじと見つめていたが、うまくいかないものだと思いつつ、再び角を指先でつまんで広げ、たたみ直す。
そうしていると、テンテンが戻ってきた。
何となく四角の形になったハンカチを、ガイはテンテンへと差し出した。
「嫌だ、先生ったら。普通は洗って返すものなんだから」
ふくれっつらをしつつ、それでもテンテンは受け取る。
しまったという顔をしたガイは、「そういうものか。では、洗って…」
「いい。戻ってきたら、ハンカチじゃなくなっている可能性が大きいから」
ガイの手で洗濯されたらボロボロになりそうだ、という意味を言外に込めるように、テンテンは、あっさりと言ってのけた。
「だってこのハンカチは、お気に入りなんだもの」
そんなお気に入にしている大事なものを、気軽に貸してくれる、テンテンの優しい気持ちに、ガイは思わず、心が暖かくなる。
テンテンはガイとネジに飲み物を手渡すと、椅子替わりにしている、木の切り株がある場所へと走ってゆく。
その後を追おうとするガイを引き止めるように、ネジは師の背に向かってちいさな声で、
「あなたが俺の先生で、よかったと思う」
ガイは、動くのをやめた。
「おだてても、何も出ないぞ」
「俺は……」
「大人を、からかうな」
「俺は冗談など言うつもりはないし、そういう事が言えないのを、先生は知っているだろう」
その後、ネジは黙ってしまった。ガイも口を開く事をしなかった。
突然、ガイはいい事を思い付いたように、大声を出した。
「ネジ、これから3人でリーの家へ行かないか、どうだ」
「せっかくだけど、先生」
ネジは、考えながら後を続けた。
「俺ひとりで行く」
ネジの声には、何かの思いを含んだような、重々しい響きがあった。
「…そうか。分かった」
ガイは、振り返らなかった。真っ直ぐ先を見ていた。
沈んでゆくタ陽の輪郭がなくなり、雲一つない空をあかく染めあげつつある。
その茜色の空の下で、自分の指定席にしている切り株に座ったテンテンが、ネジとガイに向かって手を振っていた。
(終)
2005.12.26 |