貴方の背中を

 ガイ、リー、テンテン、そしてしんがりはネジ。
 班単位での任務の時には、いつもこの順序で移動していた。それはアカデミーを卒業して班を組んだその時から今まで、ずっと変わる事はない。
 リーはただひたすら、ガイの後ろを追うように走る。その後をテンテンが、そして体力的に遅れ気味になる彼女をカバーするように、テンテンの後ろをネジが走る。
 先頭を走るガイが前方を、そして最後尾を行くネジが後方に注意を向ける。いつの間にか自然と、それは班の中に浸透していた。
 とはいうものの、ガイはいつだって前方はもちろん、後方にも気を配っていた。
 ネジを信頼していないわけではない。移動する前にはネジに向かって必ず、いつもの人懐っこい黒い瞳でじっと見つめて「頼むぞ」と言う。
 信頼を寄せ、後方を任せているには違いなかったのだけれど、実際には、ネジに備わる白眼よりも、ガイが先に危険を察知する事の方が多かった。
 それは決して、ネジの注意が足りなかったという事ではなく、ガイの、長年の経験による勘が、ネジよりも先に敵を察知したという事にほかならなかった。
 ただ、察知は出来ても、ガイは細かな事までは分からない。そこでようやく、ネジの力が発揮されるのだが、力を持ちながらもガイより先に敵の存在に気付かなかった事で、技よりも経験の深さが実戦では使えるのだという事を、ネジは改めて知らされるのだった。

 盲目的とも言える、信頼感と憧れを抱きながらガイの後を追いかけて走って行く、そんなリーを見ながら、ネジはリーのように、ただひたすらガイの背中を追いかけるのではなく、ガイの背中を任せて貰える存在になりたいと考えていた。
 自分がいたならば大丈夫だと思って貰えるような存在になりたい。ガイに余計な気を使わせずにすむような。そんな存在になりたい。
 せめて、後方は気にせずとも良いように。全て自分に任せて貰えるような、そんな存在になりたいと願った。

 ガイに全てを任せて貰えるという事は、すなわち、木ノ葉の里において、他の誰にも引けを取らない力の持ち主と肩を並べるという事になる筈だった。
 それは、幾人かしかいない強いと呼ばれる忍のうちの一人になるという事だ。
 木ノ葉の忍の中で、誰にも負けない強さを持つと皆が認める忍は数少ない。ネジの師であるガイの他には、あと数名しかいない。
 ネジの叔父に当たる日向ヒアシ、日向の本家を取り仕切る彼もまた、自他ともに認める木ノ葉の最強の忍だ。
 だからネジにとって、ガイに並ぶという事は、日向ヒアシに並ぶ事と同じに思えた。
 それは、日向の家を守るため、自らの命を捧げた亡き父に並ぶ事と同じなのではないか。
 幼き日に別れざるをえなかった、父に。忍として尊敬していた父のいた場所に自分も並ぶのだ。
 だから。そう、一日も早く。
 ガイと肩を並べる場所へ、ネジは辿り着きたかった。

 そんな思いを抱きながら、ネジは今日も最後尾を走る。 そうしながら、ふと、いつか見た光景を思い出していた。いつもの演習場で、思うがまま、技を鍛えていた時の、あの日の出来事を。

 その頃はまだ、リーやテンテンは下忍だった。けれど、アカデミーを卒業して間もない頃とは違い、もうすぐ中忍に手が届きそうな力を身につけていた。ネジは、つい最近、上忍を拝命したばかりだった。
 まだ年若い彼らに対し周りの忍が一目置く程のさまざまな技を身につけ、技術が向上した状態にあったとしても。
 3人は、演習場に来て日々の鍛練を怠らない。それは任務が無い休日であっても、何ら変わる事はなかった。
 示し合わせた訳ではないけれど、3人はこの場所へと集まって来て、思い思いに技を磨いていた。

 そしてその場所へ、ガイも、いつの間にか来ていた。少し離れた位置で、腕組みをしながら様子を見つめている。
 上を見れば果てしない忍の技の習得に励む愛弟子達の姿。いつもガイは、見守っていた。
 高度な技は、一歩間違えば常に危険と隣り合わせだ。3人の周辺に充分に注意を払いつつ、ガイは彼らの身に害が及ばないよう、絶え間なく常に気を配り続けていた。何から何まで手取り足取り教えていた昔とは違い、今はもうほとんど口出しすら必要ない弟子という部下達を、笑みを浮かべつつ、けれど厳しい表情で、気を張り詰めながら見つめ続ける。

 そんなガイの表情が、一瞬、変わった事を、その時、ネジは目に止めた。

 演習場では、リーやテンテンがそれぞれの技を繰り広げている。
 ガイの変化に気付いたのは、ネジだけのようだった。

 何だろう?

 そう思うやいなや、ネジの視線の先にいるガイの気が、ふっ、と緩む。
 初めて見る姿だった。
 無防備とも見える。丸裸のようなガイの姿。何にも囚われずに「素」でいる瞬間。
 気を許している瞬間。
 修行中は元より、弟子の自分達といる時には見せた事のない、隙間。

 その隙間は、一瞬のちには無くなって、それまで以上に気を張り詰めた表情へと戻った。

 これは一体、どういう事なんだ。

 盗み見るような気持ちでネジはガイを見つめる。
 多分、今までにもこんな光景はあったはずなのだ。ただ、この事に気付かなかっただけなのだろう。
 今だってリーやテンテンは全く気付かず、修行に夢中だった。

 ガイを囲むようにさりげなく巻き起こった風は、やがてわずかばかり強く吹く。
 腕組みしたまま、風に向かってガイは言葉を放った。

「何の用なのだ」

 ネジは、はっとして、わが目の力を使う。
 誰かは分からないが、そこには確かに人がいる。

 誰だろう。もしかしたら。

 ひゅっ、と風が吹き抜けて、ガイの髪が、かすかに揺れた。
 風の中から声のような音が漏れ聞こえてきた。
音を耳にして、ガイは少しばかり表情を変え、うつむいた。
 が、それもわずかな間だけで、再び、風の吹く方へ向かって呟きを放つ。

「分かった。ここが済んだら行く。いつもの場所で待っていろ、カカシ」

 そんなガイの言葉が終ると同時に、風は木ノ葉を舞い上げながら立ち消えた。
 それはあくまでも、とても自然に吹いた風のように感じられたのだった。

 ネジの目にも、もう何も映らなかった。

 顔を上げたガイは、いつものガイに戻っていた。さっきのように弟子たちの行動を見守りながら、その辺り全てに気を配り続けている。
 さきほどの「まるで何も身にまとっていないような」「素」のガイは、そこには、もういなかった。

 この時のガイの様子は、ネジにとって不思議な出来事だった。

 今、ネジは走りながら、その事を思い返していた。
 あの時に見た一瞬だけの「素」のガイの姿。これは一体どういう事なのだろう。
 カカシに対してライバルだと自称するガイは、カカシに心を許しているという事なのだろうか。
 それにしても。
 ネジは考える。あの時ガイは、一旦、カカシの存在を感じて心を許したけれど、ただならぬ相手の気配を察して、すぐにまた、気を張り詰めたに違いない。
 けれどそんなふうに、たとえ一瞬でも気を抜く事が出来る相手。「素」の自分を晒す事が出来る相手。
 ネジは、前を行くガイの背中を見つめた。
 あの演習場でのガイの姿を見てから、かなりの月日が経とうとしている。
 あれから、かなりの困難な任務もこなし、自分自身、忍としての自信も付いたように思えていた。
 けれど、いまだガイの背中を任せては貰ってはいないのだ。同じ「上忍」の地位にあっても、ガイとの力の差は明らかだった。
 肩を並べるなど、まだまだ先の話だった。

 そしてネジは、こうやって走る時、まだ、自分を含めた3人を覆う大きな気の存在を感じ取っていた。

 いまだに守られている。

 ネジは強くそう思う。今も、見えない力によって自分たちの周りが包まれているのが分かる。
 いったい、いつまで。自分はガイに守られる存在でいなくてはいけないのだろう。

 いつになれば、肩を並べ、そして対等に背中を守りあう事が出来るようになるのだろう。
 いつになれば、強い忍になれるのだろう。

 ネジは思い出していた。
 あの、風が吹いた時のガイの姿を。見えなかったけれど、確かにそこにいた、カカシの姿を。

 もしガイがカカシと共にいたならば。
 ガイは背中を、彼に、カカシに任せるのだろうか。一瞬でも「素」の状態を見せる事が出来る相手に。

 きっと多分、そうなのだろうとネジは思う。
 そして、まだまだその場所へ届かない、自分の力の無さを改めて思う。

 ネジは今日も、ガイの背中を見ながら走る。
 ガイの張り詰めた気を感じながら。
 自分を含めた3人を包み込むような大きな気の存在を感じながら。
 木ノ葉の最強の忍の、その力の大きさや懐の深さや、そして思いやりにも似た暖かさを感じながら。
 いつかは辿り着きたいと目指す、その場所を感じながら。

(終)

2007.05.29