ダブルフェイク
上忍待機所午前11時23分。
上忍数名が、顔を突き合わせてヒソヒソと話をしている。12月に入った、ある日の事だ。
「 『操縦不能』 が、いいんじゃねえか?全くソレっぽいぜ」
「それなら、 『最終兵器』 に俺は一票」
「 『狂犬の復讐』 って、いい感じです」
「 『爆心地』 ってのも、なんだか凄そうだぜ」
「 『効果てきめん』 って、まんまだな」
ゲンマは千本を、口にくわえたまま指先で弄んでいる。
宙へ向けて煙を長く吐くアスマ。
ハヤテはそんな二人の間に小さく座る。再び3人は異句同音にうーん、と唸った。
「 『爆心地』 も 『操縦不能』 も、前に何度か、あげてるんだ。今年は、思いきって1番目のものにしようと思うんだけど」
文字が並ぶ紙の中央辺りを指し、3人を見回すカカシの言葉に、ハヤテが頷く。
「名前よりも、中身で勝負って事ですね」
アスマとゲンマは、覗き込む。
「1番目ってのは、どんな名前なんだ?」
「ザ・ソースか。普通なネーミングだな」
「11番目の 『大量死』 ってのが、持ってる一番強いモノだと思うんだ」
「一気に11番目から1番目か、それもいいな」
「んじゃあ、決めていいね?」
申込書に記入し始めるカカシの、その手元を見て、ゲンマは驚きの声をあげた。
「値段、そんなにするのか?」
相場が分からないけど、高くないか?と、ハヤテに聞く。
「載ってる写真、小さな小瓶だけど、2万とか3万とかって、たかが調味料に」
そう聞かれても、使った事が無いので、ハヤテには全く分からない。助けを求めるように、アスマの方へと顔を向ける。 俺も詳しくは知らないけどな、と言って、アスマは
「1度に多量に使うもんじゃねえからな。小出しにしたら何ヶ月も使えるんだろ?」
「けど、塩を使う時みたいにパッパッパッって、何度もふりかけているのを見たぜ。あれじゃあ、すぐ無くなりそうだ」
「普段使っているモノは、店に常備の一般人向けだろ」
「効き目が弱いって事ですか」
「そうさ、だから大量にふりかけてやがる」
「辛いキムチ鍋にも、同じ様にかけるだろ」
「クセなんだろう?常習ってやつさ」
「じゃあこれ、喜んで貰えますね。1回振りかけただけで、かなり効きそうです」
ゲンマもアスマも押し黙る。喜ぶには違いないだろうが。こんな強力なものを常に使うようになったら、味覚がおかしくならないのか。そっちの方が、気になるところだ。
「…届いてからのお楽しみって事で」
カカシは適当に折った申込書を、封筒へと納めた。
「年末に重なると配達が混むもんね。早めに注文しておく俺って、偉いなあ」
誰も褒めてくれないので自分で褒めておこう、と、ブツブツ独り言を言っている。
そして。
封筒を手に部屋を出る前に、3人を振り返った。
「俺、これからずっと連続で仕事入ってるからその日まで帰って来れないけど、抜け駆けは禁止だから。 ここ何年か1月1日に里にはいなかったから、ガイ誕は久しぶり参加だな〜」
言い捨てて、鼻唄混じりで行ってしまう。
「抜け駆けって?」
不審そうにアスマは言う。首をひねるゲンマ。
「さあ?」
「先に渡して、その人だけが良く思われるのは嫌だって事じゃないですか?」
口元を隠して咳き込みながら、ハヤテは呟く。
「好かれたくはナイよな、あいつに、今更」
「でも好物を貰ったからと、お返しをくれるかも」
「お返しってのは、どうせこんなのだろ?逆立ちで里を楽々100周出来る筋力トレーニングを、青春パワーで、しかもつきっきりでコーチしてくれる、とか」
いらないと断っているのに、言う事を聞いてくれずに。
強制的に逆立ちさせられて里をゆく自分の姿が、3人の脳裏にそれぞれ浮かぶ。
簡単にしかも、生々しく想像出来てしまって、ちょっと笑ってしまった。
「豪腕パワーのミット打ちの、相手をさせてくれる、とか」
手を抜くなどという事は、失礼に当たると考え、手加減する事無く挑んでくる、力強い拳が思い浮かぶ。
まともに相手をさせられたら、2〜3日は立てなくなりそうだ。
3人は長く、ため息を吐く。そんな事は、頼まれても御免だ。やりたく無いものの為に抜け駆けなどする筈が無い。
「わざわざ言うところをみると、何か考えている事でもあるんでしょうか」
あのカカシがその時、その場所で何もせずにただ、プレゼントを持ってニコニコしているとは思えなかった。素直に渡す事だけはしないだろうと、3人の思いは一致する。
「それにしても、何本持ってるんだ、あいつは」
「空き瓶も、捨てずに飾ってあるのを見たような気もするぜ」
「なんか、マニアックだな、それ」
頼んだ品物は、無事届いた。
準備万端整って、あとはその日が来るのを待つだけだ。そして。
大晦日から新年にかけての深夜、木ノ葉の里の大通りは、行き交う人で大変な賑わいを見せていた。暗く冷ややかで寂しい日常の景色とは違って、あちこちに明かりがともされて、まるで、祭のような雰囲気を醸し出している。
その人混みの中を掻き分けて、ガイは待機所の階段を駆け上がる。
ぼんやりと明るい玄関を抜け、指定された部屋へと入った。誰かいないのかと見回していると、突然電気が消える。
蝋燭の明かりを胸の前へと抱え持ち、一人の男が顔を下から照らしている。顔に出来た陰影が、炎が動く度に、
恐ろしげな形へと変化してゆく。人では無い何か。蛇のようでもあり狼のようでもあり、はたまた、ただのノッペラボウのようでもあり。ゆらゆらと揺れ動いてゆく。
ガイの背後からそっと顔を出すカカシは、何故か蝋燭を3本も持って、自分の顔を照らしつづける。
「おかえり〜。ガ〜イ」
「オバケごっこは、真夏にしろ」
別段驚く事無く、冷静な口調で言われてしまう。
「別の意味で、寒すぎる。いい歳をして」
その落ちつきぶりにカカシは、さも、つまらなさそうに、
「可愛げのない男だよ、お前は。こういう時は、合わせてくれなきゃ。付き合いワルイよ」
「ならば、ぎゃーっとか、うおおおおとか、言えばよいのか?」
「お約束だよ。一人でやってたら、バカみたいじゃないか」
カカシの言葉が終わると当時に、すかさずガイは後方へと飛び、カカシとの距離を置く。素早く半回転し、足を蹴り上げたそのつま先を、カカシへと向けた。
「全くいい度胸だ、おれを呼び出すとは!お前は何様だぁあ!」
両手を顔の前で構え、間合いを取る。ひゅっ、と口から息が漏れた。
「実力派だからひっぱりだこで忙しくて、でも、やっと仕事から解放されたっていうのに夜中にこんなところでバカやって過ごしている、人呼んで、いつ寝ているんだカカシ様だよ」
さらりと言ってのけたカカシの前で、なおもその構えを崩さずに。
「用件を言え。対決なら、受けてやる」
細く長く、息を吐く。
この時間帯は、室内でもかなり冷える。窓ガラスがはめ込まれているだけのこの部屋で、ガイとカカシの吐く息が、白く宙へと消えてゆく。呑気で眠そうな目をしているカカシと、真剣な目で今にも飛びかかりそうな勢いのガイと。二人の間に、バランスの悪い、とはいえ、この二人にとってはいつもの空気が流れる。
「寒いしさあ、お腹も減ってるでしょ?」
急にカカシの口調が優しげなものへと変わった。
「確かに、減っている」
足を戻し、ガイは仁王立ちで腰に手をやる。なんだ、勝負をするのではないのか、という、半ばガッカリしている表情をする。
「作っておいたんだ、鍋。わざとらしいけどさ。でも、誕生日だから、特別に」
その言葉を待っていたかのように、部屋の中へと大きな土鍋がワゴンに載せられて運ばれてくる。ハヤテが押している。
ぎこちない笑顔で、ハヤテは鍋の蓋を取った。中から真っ赤な汁の中に所々白いものが見え隠れする、煮込みのようなものが現われた。それと共に、強烈な刺激性の香りが部屋へと流れてゆく。
ガイの背後のイスを引きながら、カカシは早口で喋った。
「日頃の感謝とお礼と、挑発と苛立ちとムカンシンとカンチガイを込めて」
「最後の方がよく聞き取れ無かったが」
「ささ、どうぞ」
言われるがまま腰掛けながら、それでもガイは嬉しそうに箸を取る。
「よく分からぬが、食べ物には敵も味方も無いからな」
胸の前で両手を合わせ。軽く一礼する。
ふと、隣で取り皿を差し出すカカシの手元が気になり、訊ねた。
「その、小さな瓶は、もしかして」
カカシは待ってましたとばかりにガイの前へと、かねてから準備していた瓶を差し出した。
「俺って、気が利く奴だと思わないか、ガイ」
タバスコの瓶。
ガイは冬場、鍋物を食べる時、その具材が何であれ、タバスコの瓶をどこからか調達してきて、とにかくふりかけまくって食べている。
本人曰くこれを使うと体の芯から温まるというのだが、温まるのを越して大汗をかいてもなお、ふりかけるのを止めない。
見ている誰もが、それって体を暖める為ではなくて、単に辛いものが好きなだけじゃないのか正直になれよ、とツッコミをいれるくらい、辛いものが、好きなのだ。
「少し、色が赤黒いような気もするのだが?」
問われてカカシは、まばたきを何度もした。少し、焦った。ガイの顔をチラと横目で見る。ガイは、じっと瓶を見つめ、鼻先を近付けてくる。
「匂いも、強いような気がするぞ」
「部屋が暗いから、色が濃く見えるんだよ」
と言いながら、後ろで控えているハヤテに目配せして、蝋燭をほんの少しだけ、遠くへと置き変えさせた。鍋の周辺はコンロの火だけが、ゆらゆらと辺りを照らす。
「匂いは、鍋からのものじゃないか?」
いつもと同じだよ、と、微妙に汗をかいた手で触れた瓶を渡した。ガイは眼光鋭くそれを察知し、
「やましい事があると、汗をかく者もいる。しかもこの寒さで。カカシ、お前」
「鍋の熱気が」
目の前の大鍋はとろ火にかけられてはいるとはいえ、それでもぐつぐつと美味しそうな音を立てて煮えたぎっていた。見た目はともかく、そして味の方も分からないが、音だけは、すばらしいご馳走のような感じがした。
「キムチ鍋に餅を入れた、紅白鍋。お正月だしね」
両手のひらを上へと向けて、カカシは、どうぞどうぞと勧めた。
ガイは鍋の中から、切ったつもりが切れていない、所々切れ目が入ったままでつながっている長く伸びた野菜やら肉やらを、箸でつまみ上げる。取り皿へと移し変え。
「ささ、思いっきり、どうぞ」
カカシは、例の赤黒い液体の瓶を指差す。
「うむ」
ガイは瓶の蓋を取った。鼻をドンと突いてくる匂いのその異様さに、改めてラベルを確認する。いつもと同じモノのようだ。
気のせいにしては、異様な香りなのだが。
「ささ、思いっきり、どうぞ」
滅多に見せる事の無い極上笑顔のカカシと。尋常ではない、この匂いと。
不審そうな顔で、しばしカカシの顔を凝視する。カカシのその顔は、早く食べろと言わんばかりの表情をしていた。ほんの一瞬、目が合った。じっとカカシの目を見返していたが。ガイは心を決めたようすで。
瓶を取ると、取り皿の上で、何度も振った。いつもよりも回数は多いようだった。
あんまり激しく振り続けるので思わずカカシは、ガイの手を止める。
「ちょ、ちょっと、味見した方がよくない?」
「ここは寒い。それに少々疲れているのだ。手っ取り早く血液循環を良くし疲労回復する為には、唐辛子の多量摂取が効くのだ」
言いながら、またもや振りかけている。具材に温められて、そこらじゅうに唐辛子の匂いがする。とても、強い、鼻をつく香り。
具材は、品質の良いものを選んで使っている。辛さを別にすれば、その料理は美味しいものに違いなかった。ただ、この鍋は、特製のスパイス配合で、とてつもなく辛い仕上がりになっている筈だった。
出来上がった料理のその色を見た途端、製作担当者のアスマとゲンマには容易に味が予想出来た。だからとても恐ろしくて、試食しようという気にはなれなかったのだ。つまり正確には誰も、この鍋の味を知らない。だから、辛い仕上がりになっている「筈」なのだった。
その事を知っているカカシは、いくらガイが辛いモノ好きでそれに慣れているとはいえ、このタバスコの量は多すぎるのではないかと思った。
カカシの当初の狙いは、いつものに見せかけて極端に辛いタバスコとすり替え、それを食べたガイに「こんな辛いモノは、食べられない!」と言わせたいだけなのだ。
日頃、激辛好きを自称しているこの男に、辛さの極地に近いものを味わわせてみたいという遊び心だ。タバスコを贈り物として渡すだけではつまらない。
少々の辛さでは、ガイは辛いとは言わない。辛いものを好きだと言っている以上、かなりの辛さのものでも我慢して
食べてしまう。誰もが体験した事の無い辛さでなければ、参ったと言わないのが分かっている。だから。
わざわざ、売られているタバスコの中で1番辛いといわれるものを注文し、取り寄せたのだ。先日、アスマ達と相談
していたのは、これの事だ。もちろんガイへの誕生日プレゼントにする為に。
いつものタバスコに見えるように、前もって瓶の中味を取り替え、ラベルも貼り換えておいた。
そういえば、入れ換えたラベルの注意書きの中に、髑髏のマークが書かれてあったような気がする。危険の文字は、必要以上に異様さを強調する文体で記してあった。火傷の恐れありの文字も踊っていた。使い方によっては、一種の武器にもなり得るのではないかと思わせる調味料だ。
体内から傷をつける事の出来る強力な液体を、目の前のガイはそれと知らないとはいえ、おそろしい程の量を、ふりかけている。
どうしようか。
止めた方がやっぱり、いいよなあ。
なんたって売られているモノの中で、一番の辛さだ。ガイでも耐えられないだろう。
それがカカシの望んだ目的とはいえ、でもいくらなんでも、量が多すぎやしないか?
迷うカカシの心などお構いなしに、今まさに、その真っ赤にコーティングされた凶器はガイの口へと突入しつつあった。
止めるなら、今なんだけどなあ。でも、どんな味がするのか、聞いてみたい気もするしなあ。それにしても箸の使い方がゆっくりだ。何故だろう。もしかして?
いつもと違うこの強烈なタバスコの香りで、なにか勘付いているのかもしれない。
けれど、疑問に思うなら、それを口に出して、直接聞く男だ。
不審に思いつつも相手の出方を窺う、などという事はしないだろう。任務や訓練ならともかく。今は食事の場なのだ。しかも、信頼している仲間が作ったという、祝いの食事なのだ。ガイが疑うという事は、あまり考えられない。
という事はやはり、信用しきって食べようとしているのか。
そんなカカシの迷いよりも、ガイの口へ箸が届いた方が早かった。
カカシは息を呑む。
食べちゃったよ、この人は。でも、一口程度なら、あとで水を大量に飲ませれば大事には至らないだろう。ええと、辛さを飛ばすにはミルクのほうがいいと注意書きには書いてあったんだよな。
カカシはハヤテに目で合図する。ハヤテはミルクが満たされた、まるでバケツのように大きなガラス製の容器を抱え持って、待機する。
ガイが何度も良く噛んで、そして、喉へと落とし込んだのが見て取れた。
辛さに対して、人よりは耐性があるとはいえ。
危険。
火傷の恐れ。
カカシの脳裏に、剥がしたラベルの注意書きの文字がよぎった。
ハヤテがガイの真後ろへと移動し、万が一の場合に備える。
「どう?」
恐る恐る、訊ねた。
一口目を味わうように、しばらくじっとしていたガイは、やがて口を開いた。
はあ〜っと、強く息を吐く。
「刺激的な感じが、何ともたまらん」
言いながら再び、箸を動かそうとする。慌ててカカシは
「ちょちょっと、待て、食べるの、待て」
「何だ」
「味の、方は…?」
「しあわせだ!」
辛すぎて食べられずに吐くとか何処かが痛いと言うとか。そういう事は全く無しに。
なんだかご機嫌なのである。
「効き目が早いぞ。もう、あちこち熱くなってきたぞ」
嬉しそうに言い、また、口へと運ぼうとする。
「辛くない?」
「辛い!」
湯気を立ち昇らせながら真っ赤に染まった肉や野菜を、はふはふ音を立てながら、勢いよく口に入れてゆく。
「は〜っ、辛い!」
ガイは涙目でカカシを見た。涙が出そうな程辛いのはわかる。けれど我慢しているようには見えない。むしろ喜んでいるようだ。顔を真っ赤にしているガイとは対照的に、カカシの顔は真っ青になっていた。止める機会を失って、ヒヤヒヤしながら見ているのだった。
もう既に、鍋の分量の三分の一程を平らげてしまっていた。
大丈夫なのか、体は。カカシの心配をよそに、ガイは黙々と食べている。
その額といわず頬といわず、顔中に、汗が吹き出てきていた。拭くのも煩わしいといった様子で、一生懸命に箸を動かしている。
ふいに、食べる手を止めた。しょげ返るように、取り皿を机へと置いた。やはり何処か具合でも悪くなったのか。カカシは、ガイの次の言葉を待った。
「すまない、カカシ」
「はっ?」
「もうこれ以上は、食えない」
「ど、どうして」
「辛すぎる…」
汗とも、涙とも区別できないような、顔に流れる水滴を服で拭う。
「すまん、カカシ」
「どうして、あやまるんだ」
「せっかくおれの誕生を祝って、今まで食べた事の無いほどの辛さを作り出してくれたというのに」
どうやら果て無い辛さを、ガイは好意的に捉えているようだった。とはいえ、一番辛いといわれるものを振りかけても、全くものともしないガイのその体に、カカシはただただ驚いていた。
「このように刺激的で、且つ、美味で奥深い味をおれは知らずに今日まで来た。このようなプレゼントは生まれて初めてだ」
汗は、ぬぐってもぬぐってもガイの肌から噴き出してくる。
「なのに、おれときたら。日頃辛いものが好きだと言っておきながら、この程度の量のものを食べ尽くす事が出来ぬ」
残念そうに、鍋を見た。赤い液体の中にはまだ、何やらいろいろ浮かんでいる。
「すまん、カカシ」
「何処か痛い、とか?」
「口も喉も内臓全てがヒリヒリするのだが、何よりも痛いのは、心だ。お前のその好意を全て受け入れられない未熟な体を持っている、その事を申し訳なく思う、そのおれの心の方が、より痛い」
この男は何を言うのかと、カカシは目を丸くする。ナイショのタバスコを使用している上にあの激辛な鍋をこれだけ食べただけでも見上げた胃の持ち主だというのに。当初の目的とは完全に違うけれど。
思わずカカシは白状しそうになる。そんなつもりではなかったのだ。ガイの思うような善意の気持ちだけで、自分はこの鍋を作ったのではないのだ。
たしかに、祝福する気持ちは持っている。けれど、この歳になって、素直に「おめでとう」と言うのは、なんだかヒネリが無いというか、つまらないというか。あげるモノもマンネリ化してきて、タバスコではないが、同じ味を繰り返していると、刺激が無くなってもっと強い刺激が欲しくなるというのと似たようなものか。
「待っていろカカシ。そこらへんをひとっ走りしてくるからな。そうすれば腹も減るし、気分も変わる。また、食べる事が出来るに違いない」
ガイはイスを蹴倒すように、立ち上がる。
「いいよ、残して、いいよ」
「待っていろ」
走り出てゆくガイの後ろ姿を困った様子で見送りながら。カカシはどうしたものかと考える。
ハヤテが声をかけようとして近寄ろうとすると、その時、扉が少しだけ開いた。
アスマが顔を覗かせる。
「今、ガイと…」
部屋の暗さに気付き、スイッチを押し、明かりを付ける。
「仕事終わりで直に来たのだが、あの様子は」
「いろんな意味で、作戦失敗だ」
「食ったのか、あの鍋?例のタバスコを、かけて」
微かにカカシは頷く。
後悔していた。これほど喜ぶのなら、きちんと手渡してやれば良かった。
まさかこんなに食べるとは計算外だ。しかも残した事を悔やんでもいる。心が痛いとも言っている。カカシの、考えもしなかった方へと事が流れていた。少々苛立ちを感じる。
いつから、こうなってしまったんだ。何処で間違ったんだろう。
「あの、なあ…」
重い空気の中、柱に凭れながらアスマは言いにくそうに、
「俺、バラしてしまったかもしれない」
「どういう事だ?あれほど、抜け駆けは禁止って」
「良く覚えてないんだが、あいつと酒を飲んだ時に、その」
頭を掻くアスマの声に重なるように、
「カカシ、破れたりぃい!」
廊下から、ガイの大声が響いてくる。
その声で、カカシは全てを悟った。急ぎ立ち上がり、怒った様子で扉を押し開ける。
「騙したな!ガイ!」
「お前が立てた策略を、少し手直しをしただけだ」
「すりかえたな、タバスコ!」
「きちんと確認しないお前が、手抜かりなのだ」
カカシから手渡された時に、手持ちのものと換えたのだ。ガイは全く気付いていない筈というカカシの気の緩みと、あの部屋の暗さが災いした。
けれど酔ったアスマがほのめかした、タバスコを使ったカカシの企み、という事を耳に入れなければ、知らずに激辛のモノを食べさせられていた筈だった。
「辛いものに慣れていても、あんなに多量にかけて、平気でいられる筈が無い。いくらガイが丈夫だって言っても、内臓を鍛えるにも限度がある。おかしいと思ったんだ」
腹立たしそうにカカシは唇を噛んだ。
「辛そうなフリなんかして!本当は全然、普通の味だったんだろう」
何処かで調達したのか、首にかけているタオルで、ガイはしきりと汗を拭う。
「フリではない。本当に辛かった。おれの手持ちの中では、一番辛いものと換えたのだ。250倍だぞ。こんなに1度に、しかも多量に食ったのは初めてだ。今もこのように、汗が止まらぬ。おれも、命がけだったのだ。でないとお前は、必ず見破る」
命がけでフリをされては、いくら察しの良いカカシでもかなわない。
けれど、ラベルを貼り換えた時に、分かるようにしるしを付けておくとか、振りかけるのも自分の手でやれば良かったのだ。
「心が痛いというのは本当だ。いつ言おうかと、おれは迷った。けれど、鍋を全て平らげてしまえば、それでいいかと、思ったのだ」
タオルでも間に合わないようで、汗は体から落ちて、床へとシミを作った。
「せっかく作ってくれたのだ。だからおれは、辛さを理由に食べられないほど弱いおれの根性が、堪らなく口惜しい」
「そんな根性…」
それよりもカカシは安易に立てた計画に苛立ちを感じていた。注文したタバスコさえ振りかけておいたなら、きっと一口で降参したはずだったのだ。計画通りに事が運んだ筈なのだ。こんなに汗をかかせる事も、無かった筈だ。
「これほど大汗をかいて清々しい気分で迎えた正月は、生まれて初めてだ」
窓を開けて、汗で濡れたタオルを絞る。かなりの水分が、階下へと落ちてゆく。
そのスキに、ハヤテは鍋へと近寄ると、中から餅を取り出した。
少し、齧ってみる。
すぐさま眉間にしわを寄せ、なんとも言えない顔をした。手の中へと、口の中のものを吐き出す。
すぐにミルクを飲んだ。けれど口の中の痛みは止まらない。
鍋だけでこんなにも辛いのだ。250倍とかいう、ガイのマイ・タバスコをかけたものは、どんなに辛いか。それは、ハヤテの想像の域を遥かに超えていた。
「だが、何にせよ鍋は旨かった。良い記念になった。誰も、手をつけるなよ、おれの鍋だからな」
念を押すように言われても、アスマはもちろん、カカシも食べるつもりは全くない。
ガイはベストから、すりかえたタバスコを出した。見えるように、軽く振る。
口元を緩ませた。コレクションがまた一つ、増えたのだ。
何よりも自分の好みを知って、気遣いを見せてくれた、その気持ちが、嬉しかった。
なにやら良からぬ事を考えていたようだが、この場所をセッティングする手間と時間を惜しまないというのは、おれに対する友情の証なのだ。だから。その気持ちに免じて気にしない事にしよう。そう思った。
「ところで、これは、何倍の辛さなのだ?300倍か?それとも、350倍くらいか?過去に何度も、タバスコは貰った事があるが、お前たちの考える、おれをびっくりさせる辛さとは、どの程度か」
カカシは黙っている。アスマも、黙っている。言えるはずが無い。
桁が一つ、違うのだ。
わざと、視線を外した。
言えるはずが無かった。というより、怖くて言えなかった。
ガイに見据えられて、ハヤテは仕方なく口を開いた。
「……3000倍です」
「さんぜん…」
呆気に取られる。
「3000倍だと?!」
怒るよりも、その辛さかげんに、目の前がクラクラした。それを黙って食べさせるつもりだったのか。ガイは、さっき、気にしない事にしよう、と思った自分を叱り飛ばしたい気分になった。
「冗談ではないぞ、今の10倍以上の辛さではないか、いくらこのおれでも」
と言いつつも、やはり興味はあるようで、鍋のところで新たに取り分け、一振りする。
そして、頬張った。
「………」
「ガイ?」
「おい、どうした?」
無言のままで固まって、身動き一つしないガイの背中。
この時ばかりは呑気な声も出せずに、カカシは声をかける。
「ガイ?どんな味?」
低く、唸る声がする。言葉にならない、音が聞こえる。
汗は、全く引く様子を見せない。通常の3000倍の辛さを体内に取りこんで、新たに、そして今までよりも、もっと激しく吹き出している様子だ。
体が、揺れた。
「お前ら、おれを、殺す気だったな。誕生日と命日を一緒にしようとしたな…」
ガイは、ゆらりと振り返った。
(終) |