選ばれた男
里にとって脅威とも思える敵・暁に対し、新たな部隊を編成し、不測の事態にそなえる事になってすぐの頃。
木ノ葉の上忍であるカカシとヤマトは、里の中でナルトの新技修行に付き合っていた。
ナルトの求めに応じ、ヤマトは、普通の大きさだった滝を、左右に広がり奥行きも広い巨大な滝へと変化させた。
その大迫力で大音響な仕掛け。
尋常ではない音の出現に、けれど里の皆は「良くある事」だと気にも止めなかった。修行をしている最中の忍の周辺には、常識では考えられない、さまざまな出来事が起きるものだ。
しかし。
ここにたった一人、その有様を気に止めた男がいた。
「グレードアップな修行をしている忍は、誰なんだ一体」
ガイは、その足の速さで単身、里へと戻って来ていた。他の部隊との連携の連絡係だったのだが、この時は連携相手の忍がいまだ里に未着な為、ひとっぱしり里を周って体の調子を整えている最中だった。そして、奥の演習場に何やら異変を感じたのだった。
ガイはあたりに響き渡る派手な音に引き寄せられるようにして、ダイナミックな滝から大量の水がほとばしる、この場所へやって来た。そして滝を見渡す事が出来る少し離れた森の中に身を隠した。
とりあえず何が起こっているのか、その状況を判断しよう。慎重に、目の前の様子をうかがった。
ごうごうと唸りを上げて水しぶきが流れ落ちてくる滝の前に、影分身した数十人のナルトがいる。
そして、ナルトから少し離れた所に、二人の忍の姿。彼らはどうやら、ナルトの技の開発の補助的な役目をしているように見えた。
忍のうち、一人は地にしゃがみ込んで、ナルトの様子を見守っている。
ガイはその二人共に、見覚えがあった。けれど、どうしても片方の忍の名前が思い出せなかった。
「誰だったか?…あの物腰は確か、暗部上がりの筈だが」
その男の隣りで、何やら指示しているらしい、もう一人の忍。
ガイはニヤリと笑みを浮かべる。その忍の事を、ガイは良く知っていた。
「カカシ、あいつ、こんな所で一体何を…」
ガイはライバルに出会えた喜びを隠し切れず、すぐさま声をかけようとする。だが、目前の緊迫した様子に、かける言葉を飲み込んだ。
二人のただならぬ雰囲気は、離れているこの場所からでも容易にうかがい知れる。声を気安くかけられる状態ではないと分かったのだ。
幾人もの影分身のナルトが滝の端から端まで並んで、懸命に何かをしようとするその動きを、ガイはしばらく見ていた。
下忍の技の開発にしては大きすぎる滝といい、カカシクラスの忍が付きっきりである事といい、どうやらこれは、ただごとではないと察知する。
各地から腕自慢の猛者が集まり、修行と修練をして研鑽に励む寺院「火の寺」が、何者かによって全滅させられ、今、里は非常時態の真っただなかにある。そんな時期に、カカシ達が新技の開発をする為に呑気に修行をしているとは考えにくい。
だがあえて、このように大規模な修行場を設定しての技の開発という事は。それには何やらいわくが有りそうだ。
滝から立ち上がる水飛沫によって、辺り一面の体感温度は、3〜5度かそれ以上、下がっているように思えた。ガイは一回だけブルッと体を震わせた。その温度にもすぐに馴染むと、キョロキョロとあたりを見回して手頃な木に登り、目の前の様子を見ようとした。
ちょうどその時。頭の上を一羽の鳥が飛んでゆくのが目に入った。伝令鳥、集合の合図だ。
連携相手の忍が里へとようやく到着したのだろう。
ナルトやカカシの様子をもうしばらく見ていたかったガイだったが、未練を残しつつ、しかたなく、その場を去った。
鳥が示した場所へとガイは戻った。
連携する部隊の伝令担当の忍の到着が3時間程遅くなると連絡が入った、との事。それまで里の中で待機しろとの指令だった。
思いがけず3時間という自分の時間を手にしたガイは、やはりさきほどのナルト達の修行の様子が気になった。
元の場所へと急いで戻ってみる。
けれど、その場所には誰もいなかった。
もう早、修行を終えたのか。この目で見れなくて残念、と、ガイが走って里を一周していると、ラーメン屋の一楽から、ナルトとカカシと、もう一人の忍が出てくる姿が見えた。
これ幸いと、彼らに気付かれないようにガイは後を付ける。
彼らは、元いた演習場へと戻ってきた。
ガイは、さっき見つけておいた木に登り、息をひそめて成り行きを見守る事にする。
ナルトは多重影分身の術を使って、皆、一様に二人一組になった。手のひらを向かい合わせて、エネルギーの塊を作るのに懸命になっている。
カカシともう一人の忍は、ナルトから少し離れた場所にいる。様子を見守っているらしかった。
ガイには、ナルトが多量のチャクラを必要とする多重影分身を使ってまで、一体、何をしようとしているのか、いまだによく分からない。
だがしばらく見守るうちに、多数のナルトのうち、一人のナルトの体を取り巻く渦のようなチャクラが、異常な程、ユラユラと立ち登り始めた。
(もしやこれが、九尾の力か)
ガイは興味深げに身を乗り出した。
15年前。
里で大暴れした九尾を、当時の火影が赤子だったナルトへ封印して以来。九尾の事も、そしてその威力も、ほとんどといっていい程に人の口にのぼる事はなかった。
あの時の大惨事を覚えている者・肉親や知人を失った者は特に、その出来事自体を思い出す事も辛い筈だった。
その時ガイは既に中忍だったけれど、暴れて手に負えない九尾の前に何も出来ず、無残に破壊されてゆく里をただ見ているしかなかった。
かつては美しかった里が、跡形もなく言葉に出来ない程のすさまじい残骸として残る光景。
あれから15年経った今も、その時の光景はガイの脳裏にこびりつき、記憶が薄れる事はない。
確かに「バケモノ」としての九尾は、ガイにとっても憎んでも憎み足りない存在だった。けれど、その力を人間の中へと取り込み「人柱力」となったならば。
莫大な九尾の力は、人間にどれほどのパワーを与えてくれるのか、そして、そのパワーで、どんな事が出来るようになるのか。
ガイの興味はひたすらに、その「未知の力の大きさ」に向けられていた。
里が落ち着きを取り戻すにつれて、人目をはばかる様に尾獣について書かれた書物を読んでみても、そのほとんどが機密扱いで、知りたい事は分からないままだ。
ガイがずっと知りたかった「力」の有様が、今、手の届きそうな距離にある。
ガイは半ば興奮状態で、ナルトが変化する様子を見守っていた。
専門外のガイの目から見ても、今のナルトの異常さは明らかだった。
既に自力でのコントロールを失い、まさに暴走寸前のようだ。
こうなっては誰の言葉も聞こえない筈だし、万が一聞こえたとしても、どうやって自制すればよいのかも分からないに違いない。
だからといって、いくら器用なカカシでも、あのチャクラ量を前にしては、到底、尾獣の力を押さえきれないに違いない。
(ははーん、だからあの忍がスタンバイしているのだな)
ガイは、なるほどと頷く。
そうこうしている間にも、明らかに他の影分身とは異質のチャクラに体を包まれたナルトは、その体自体がユラユラと揺らめき、力の暴走に拍車がかかっていた。
(早く何とかしないとナルト君の体が危ないぞ。さあ、あの忍がこの場をどう押さえるか、これは見ものだな。細かい事は分からぬが、この場合は繊細な技よりも力で押さえるしかあるまい。あの忍は、どれほどのパワーの持ち主なのか。お手並み拝見といこう)
ガイが予想した通り、カカシの声に呼応して、あの忍はナルトの暴走を押さえる為の大技を繰り出し始めた。
彼が地面に手のひらを付くやいなや、地を割るようにして、龍のような形をした幾本もの木の幹が、チャクラに包まれたナルトめがけて走ってゆく。
即座にナルトは、伸びて来た龍の木に押しつけられるようにして、その暴走を押さえ込まれてしまった。それきり、地面に倒れて動かない。
(なかなかに、凄いな)
遠目に見ても、九尾の持つ力のすさまじさをガイは感じていた。
さきほどのナルトは、九尾のチャクラの陽の力の何十分の一、いや何百分の一を使っているだけなのだろう。陰陽相混じり完全体となったならば、どれほどのパワーを持つのか。
だがそれにしても、今の力だけでも充分に莫大なパワーだった。
噂で聞いていたとはいえ、ガイは、九尾が持つその未知の力の大きさをたった今、肌で感じて、恐怖よりも、あこがれにも似たようなゾクゾクする思いが沸き起こってくる感覚を押さえきれないでいる。
(カカシ、お前、こんな凄い場面に至近距離で立ち会えるなど、羨ましいにも程があるな)
ガイは、素直にそう思った。
そして、他者に対してのチャクラの扱いや制御の方法などが門外漢である自分を、今日ほど残念に思った事はなかった。
パワーならば、誰にも負けない。
そう思いながらも、相手は尾獣なのだ。ただ力任せに押さえ込めばよいというものでもない。それを知るからこそ、力任せに、それでいて微妙な押さえ込みの技が出来るあの忍にもまた、ガイは改めて、嫉妬にも似た羨望のまなざしを送る。
疲れたのか、地面に倒れて動かないナルトを前に、カカシ達はしばらく休憩を取る事に決めたようだった。
(それにしても、あの忍、なかなかのパワーの持ち主だ。あいつなら充分に資格がある)
ガイはある考えを胸に秘めて、カカシ達の近くに行く為に木から降りた。
眠っているらしいナルトのそばで、カカシ達二人は、今後の技の進め具合を話し合っている。
そのすぐ後ろへと、ガイは疾風の如く走り寄った。
既にガイの存在に気付いているらしいカカシは、ガイの動きに対して敢えて何も言わない。
背後で仁王立ちしているガイを無視するのも大人気ないとばかりに、カカシの隣りにいる忍は後ろを振り向き、ガイに向かって軽く会釈した。
ガイも満面の笑みで頷き、そして快活な声で声をかける。
「…楽しそうだな」
ナルトの様子を見る為に地面に屈みこんでいたカカシは、ガイの問いに対し、振り返らずに答える。
「楽しそうって、これでも真剣なつもりなんだけど」
「不真面目だと言ってはおらぬ、ただ楽しそうだなと言っている」
「苦労も知らないで、よく言うよ」
「少しだが見させて貰った」
「サボらないでよ、この非常時に」
「これでも任務中なのだ、おれが早く来すぎた。相手の到着を待っているのだ」
「先輩、僕…ちょっとあの」
二人に気を使い、席を外そうとする忍の腕をガイは掴んだ。
ガイはたずねる。
「ちょっと待て。お前に用があるのだ…お前、名前は何と言う?」
呑気にカカシが答える。「テ〜ン〜ゾ〜ウ」
その声にかぶせるように、「ヤマトです」
きっぱりと言い放つ。「ヤマトです、僕の名前はヤ・マ・ト」
ガイにとって、テンゾウもヤマトも記憶にはない名前だった。もしかしたら実際の名前は別にあるのだろうか。
彼のように、任務や置かれた状況に応じ、自らの呼び名を変える忍は数多い。
なので、カカシがテンゾウと呼び、本人がヤマトだと名乗る事に何の違和感も覚えずに、ガイは、口に出して何度かヤマトヤマトと確認するようにつぶやいてから、ヤマト当人に向き直った。
「それではヤマト、お前に話がある。おれに付いて来い」
そう言葉を残すと、ガイは滝と反対方向へと歩いてゆく。
言われた当人のヤマトは、さて、どうしたものかと思案した。
自分に対して、こちらの都合を聞かずに命令口調なのは先輩であるカカシだけで充分なのに、同じように自分に命令する人間がまた一人、増えてしまった。
さっきまでカカシに命じられて滝を作り、その上、九尾化しかけたナルトを力技で押さえ込んだあとだから、いくら頑丈なヤマトとはいえ、かなりの疲労感がある。ナルトが目を覚ます迄、少しは休息したい。
ヤマトは肩を落とし、はああ、とため息を付いた。
カカシは、ガイの言葉に困惑しているヤマトの表情を見た。カカシも、ヤマトが疲労している事は充分すぎる位に理解している。
少し考えたカカシは、スタスタと歩いてゆくガイの背中に向かって呟いた。
「あのさー勝手に決めないでよ」
けれど、ガイは振り向きもしない。変わらず身軽な様子で歩いてゆく。
その背に向かってカカシは何度も声をかける。
「何をするつもりか知らないけどさ〜」「ほら、見て分かんないかなぁ、結構疲れてるじゃん」「今じゃなくて、また別の日にしたら」「相手して欲しいなら、別の誰かを探したら〜?」
ブツブツ呟くカカシの声。
その声を聞きながらヤマトは、どうせなら、もう少し大きな声で言って貰えないかと思った。そんな小さな声では、相手には全く聞こえていないようなのだ。
とにかく、先輩のガイに用がある、と言われたら、ヤマトが断る事など出来る筈がない。年上の忍の命令なのだから、まして急ぎの仕事があるわけでもない今の状況で、無下に断る事など出来るはずがない。
そもそも基本的には、後輩には先輩の命令を拒否する事は出来ないものなのだ。
だからこそ。ここはひとつ、ガイのライバルと名高いカカシに口添えして貰えたら…とヤマトは密かに期待した。
けれども、カカシから発せられたのは、あまりにも小さすぎる声だけだった。ヤマトは心底がっかりする。
もしかしたらカカシがガイに対して声をかけているのはポーズなのか、とヤマトは思った。後輩を気遣うフリをしているだけで、本当はガイに呼ばれて何やら用を言いつけられても一向に構わないと考えているのではないのか。
その証拠に、幾つか言葉を呟いた後、カカシはこれで役目を果たしたと思ったのか、横たわるナルトから少し離れた場所に腰を落ち着けた。そして、本らしきものをベストの内側から取り出し、読み始めた。まるでこの場所には自分一人だけしかいないと思っている様子で、すぐに本に夢中になっているのだった。
「あ、あの…カカシ先輩…?」
ヤマトの声に、カカシはふっと顔を上げて、まだそこにいたのか、という様な表情をした。
「ガイに呼ばれてたんじゃなかったっけ?」
「いや、だから…」
「早く行かないと、何されるか分かんないヨ」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ガイの大きな声がそこらじゅうに響き渡った。
「ヤマト!早く来い!」
(やれやれ)
仕方なく、ヤマトは呼ばれた方角へと走り始めた。
仕方なくという顔つきを隠さずにやって来たヤマトの腕を掴んだままで。
ガイは有無をいわせず、さっきいた森の近くまで引っ張ってゆく。
ある程度の距離まで歩いて来て、ガイはふと振り返った。
遠くにカカシの姿が見えた。
さっきカカシがナルトの近くで座り込んでいた場所からは、二人が今いる場所は見えない筈だった。カカシが自分とヤマトに付いて来ている事に気付いて、ガイはさらに距離を取る。
随分と森の奥深くへと引っ張ってこられたヤマトは、しばらく口ごもっていたが、やがて言いにくそうに、けれどハッキリと、
「あの…ガイ先輩、ご覧になっていたなら分かると思いますが、半端ではないナルトの力を押さえる事で僕も疲れているので、お話は手短にお願いします」
口調は丁寧で下手に出ているのだが、ヤマトは言葉の奥に少し逆らうような意思を込めた。
ラーメン屋で休息を取ったとはいえ、今日ずっとナルトの相手をしてきて、体にはかなりの疲労が蓄積されていた。
だが、傍目に疲れというものを知らないように見えてしまうヤマトだ。そんな言い訳じみた断りの言葉ははたして有効なのだろうか。
ヤマトはガイが話すのを待って、次に何と言ってこの場から離れようかと、さまざまな断りの文句を考えていた。
そんなヤマトに対し、ガイは腕組みをしたままで簡単に言った。
「話か…。話など、ない」
言い切ったガイの言葉に驚いたヤマトは顔を上げた。
「えっ、だってさっき」
「強いて言うなら、お前の力の素晴らしさにおれは感動した」
「力…ですか」
思いがけず褒められて、ヤマトは気をよくする。
「たまたまナルトとの相性が合っただけです」
「いや、見事だった。暴走しかけるナルト君を押さえた、お前の力」
「はあ…」
「そんなお前を見込んで、是非、伝授しておきたい事がある」
「伝授、ですか」
暗部でも随一の力を持つ忍である自分に対し、ガイは何を教えてくれるというのか。
戸惑っているヤマトに、ガイはニヤリと笑みを浮かべた。
「何ごとも行動あるのみだ。さあヤマト、お前、おんぶして走れ」
ガイは言い切ると、後は黙ったままでひたすらヤマトを睨み付けてくる。
ヤマトは耳を疑った。
この人は何を言ったのだろう。
どうやら「走れ」と聞こえたけれど。しかも、「おんぶ」して。
だが一体、誰を、おんぶするのか。
ヤマトは聞き逃した風を装って、ガイに問い掛ける。
「…はっ?あの、何と…」
「聞こえないのか?さあ早くおんぶして走れ」
「あの、誰を……」
「特別におれが、おんぶされてやる」
「………」
ヤマトは聞き違いではない事を知り、再度、考え込む。
おんぶ、して、走る?
おんぶというのは、人を背中に背負う、いわば運搬方法の一種の事を指しているのだというのは分かったが、今、何故、ガイを背負って走らなくてはいけないのか。ヤマトには、そこのところが全く理解が出来ない。
「あの…」
ヤマトは、どう受け答えすればよいか躊躇していた。
そんなヤマトに対して、ガイは苛立ちを隠さない。
(とにかく今は時間がない)
いちいち説明している暇も、そんな性分でもない。
これまでガイは、技のほとんどを頭で理解して覚えるのではなくひたすら身体を動かして体感し身につけてきた。
また、教える時にも、とにかく動きを最優先してきた。
とにかく、実践あるのみだ。
なのにヤマトは、どうしていいのか分からないらしい。
(聞こえているのなら、何故、早く行動に移さないのか)
苛立ったガイは、ジッとヤマトを見る。ガイの目には、ヤマトは何やら迷っている様に見えた。
(…何を躊躇しているのか)
ガイは眉をひそめた。イライラしつつ、そうか!と、ある思いが閃いた。
(この男、遠慮しているのだな、きっとそうだ)
そんな遠慮など必要ないのだ。技の伝授の前に、先輩・後輩などの気遣いは要らない。
(この場合、おれが段取りをしてやらねばならんな)
意を決したガイは何も言わずにヤマトの後ろにまわると、すかさず、ヤマトの背中へ飛び乗るという行動に出た。
ガイの突然の動きに、ヤマトは自分の身に何が起きたのか理解出来ず、すっとんきょうな声を上げる。
「わあぁああ!何をするんですかぁ、先輩」
背中が急に熱く、そして重くなり、ヤマトはどうしたものかと焦った。
危険を察知し即座に対応する機敏さとその能力の高さで、暗部のメンバーの内でも群を抜き里の重鎮から信頼を得てきたヤマトだ。
万が一、敵に後ろを取られそうになったとしても、その都度、素早くかわしてきた。平常時でも、真後ろに誰かを立たせた事などなかった。
今は気を抜いていたとはいえ、背後に回られる事を予測すら出来なかった。
(速い。さすがだ、ガイ先輩)
噂に聞くより、その動きは速い。しかもしなやかで且つ、物音一つ立ちはしない。
簡単に背後に回られたヤマトは、ガイの動きに対して、ただ感心していた。
けれど。
動きの速さと、ガイを背負って走る事とは、当然ながら別問題だ。
(どうしたものか)
ヤマトは、遥か遠くにカカシの姿がある事に気付いていた。
ガイがカカシから見えない場所へヤマトを連れて行ったというのに、カカシはずっと二人の後を付けて来たようだ。
ヤマトは無駄だとは思いつつ、カカシに向かって視線を送った。
カカシがいる場所から、ヤマトのいる位置まではかなり距離がある。微妙な表情までは見えないとは思うけれど、カカシがこちらを気にしている事には違いない。
後を付けて来ているのは、何か面白い事でもするのかと単に興味があっただけなのだろう。ヤマトがどんな目に遭おうと、カカシは見ているだけというスタンスは変えない筈だった。
果たしてヤマトが予想した通り、カカシはひたすらこちらを見つめているだけで、何かを言う事も、まして、助けを出す事もしない。
近寄るわけでも、また離れるわけでもなかった。その場から動かずに、こちらを見ているだけだった。
ヤマトは内心、カカシが何かをしてくれるかと多大なる期待をしたわけではなかったけれど、こうやって改めて無視に近い態度を示され、しかも、何もしてくれないばかりか背中にガイを背負っている姿を見られ、なんだか情けない思いでいっぱいだった。
重い背中に加えて、更に重い心を感じ、ヤマトは控え目に溜息を吐いた。
すかさずガイに肩を叩かれる。
「若者、色々と考えたい事もあるだろう、しかし、今はただ何も考えず、とにかくひたすら走れ」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ」
とにかく背中から降りてもらわなくては。ヤマトは首を回してガイに向かって言った。
「あなたには、よく出来た弟子がいるでしょ、技の伝授なら今更、何故ボクに?」
よく出来た弟子と聞いて、ガイは遠慮なく、ヤマトの肩をバンバンと威勢よく叩く。
「ふふん、確かにヤマト、お前の言うようにリーやネジたちはおれの自慢の弟子達だ」
「だったら、僕なんかに教えて下さらなくても…」
「あいつらの技は、他のどの忍にも引けは取らぬ。それは今更おれが言うまでもない。しかし、あいつらにも足りないものがある。ヤマト、なんだか分かるか」
「足りないもの…さあ、経験、ですかね」
「そうだな、それもある、しかし、こと、この『おんぶ』に関して言えば」
ガイは一旦そこで言葉を切った。あえて勿体ぶった言い方をする。
「ヤマト、何故お前を選んだのか、さっき言ったではないか、答は既に出ているのだ」
「ええと…」
確か、九尾化しかけたナルトを押さえ込んだ力を褒めて貰ったのだった。その事をヤマトは思い出した。
「力…ですか」
我が意を得たりといった風で、ガイはまたヤマトの肩や頭をバンバンと叩く。
「そうだ、その通りだ。パワーが足りないのだ。長年のチームワークで互いを思いやる心遣いは溢れんばかりなのだが、いかんせんパワーが足りぬ」
「はぁ…」
「一番大事なポイントだぞ」
「はぁ…そうですか」
たかがおんぶではないか。一番大事なポイントだと言われてもヤマトにはガイの熱心さがイマイチよく理解出来なかった。
しかしガイは、ヤマトの耳元で熱く語り続けた。
「ヤマト、何度も繰り返し言うのだが、ナルトを押さえるあの力、申し分ない。お前には安心して伝授出来る」
「だけど、単なるおんぶでしょ?」
言い過ぎたかとヤマトは思った。ガイが気を悪くするかと思ったけれど、反対にガイは嬉しそうに弾んだ声を出した。
「単なるおんぶ、そう思うか?お前の事はよく知らないのだが、カカシといた時の、あの時の物腰に、おれは非凡なものを見て取った」
「はぁ…そうですか、ありがとうございます」
「しかし。おんぶを『おんぶ』としてしか見れぬとは、お前はまだまだ修行が足りぬな」
暗部でも一・二を争う使い手だと言われるヤマトなのだが、まだまだ修行が足りないと言われてしまっては、もう何も言えない。
とにかく背中が熱い。ガイと接している部分がじっとりと汗ばんでくる。
(なんでもいいから、とにかくこの状態、何とかならないものか)
そんなヤマトの背中から、ガイはヒラリと降りた。
ホッとしたヤマトだったが、ガイは諦めたわけではなかった。前にも増して、得意気な笑顔でこう言った。
「では特別に、お前にも見せてやろう、おんぶの力を」
ガイが降りて背中が軽くなり、ヤマトは胸を撫で下ろした。
(良かった…どうなる事かと思った)
ふと見れば、ガイはその場で膝を曲げ伸ばししている。ウォーミングアップのつもりなのか。
これからガイひとりで走って、彼の言う『おんぶの素晴らしさ』とやらを見せてくれるのだろう。
とにかく、背中の部分が汗ばんで気持ち悪いのを我慢しつつ、ヤマトは一息つく。
そんなヤマトをちらっと見たガイは、早口で呟いた。
「準備は出来ているな」
「え?」
言うが早いか、ヤマトの体は宙に浮いた。そして一瞬にしてガイの背中へふわりと乗せられてしまった。
「えええーっ!!!」
さきほどはヤマトがガイをおんぶしていた形だったのだが、今度は反対にガイがヤマトの体をおんぶした。
「ちょ、えええーっ!!!!!」
慌ててガイの背中から降りようとするヤマトだったが、ガイは黙ってヤマトを背負い、脱兎の如く林の中を駆け抜けて行く。
大人をひとりおんぶしているとは思えないガイの走りの速さ。ヤマトは振り落とされそうになり、ガイの首に腕を回して必死にしがみつく。自然と、食いしばる口から言葉にならない声のような音のようなものが流れ落ちてゆく。
「…あぁ〜ぁあ〜ふぁあ……………」
「はははっ、この程度の速度で驚いているようでは困るぞぉお」
ガイは高笑いをしながら走り続ける。
「よ〜し、調子が出てきたぞぉお!!!」
「!!!!!……………!!!」
確かに速い。目にも止まらない勢いで周りの景色がぴゅんぴゅんと後ろへ流れ飛び去る。ヤマトの口からは、もう言葉すら出す余裕はない。
そしてあっという間に、深い森の、更に奥深くへとガイは走り込んでゆく。
しばらくするうちに、ヤマトはガイの速さに体や目が慣れてきたのが分かった。グイと体に力を入れて、前屈みになるような姿勢をとった。最初はしがみつくようにしていた腕の力を少し緩めた。
ガイも、ヤマトの動きに気がついた。
「この速さに対してそれほど余裕でいられるのは、お前が初めてだな!」
笑いながら、ガイは更にスピードを上げていく。
けれどこの速さに一旦慣れてしまえば、後は特に何もしなくても体が反応してバランスを取ってくれる。
景色の流れにも目は慣れてきた。確かにスピードは物凄いのだが。
そして。ヤマトはある事に気付いた。
(かなりの速さで走っているのに、乗っているボクの体はほとんど振動しない)
静かな部屋で椅子にでも座っていると言えば大袈裟すぎるが、このような速さで移動しているとは信じがたいほどのブレの無さだ。
スタートした時は、反動で後ろへと体が引っ張られるのを防ぐ為に、必死でガイにしがみついたヤマトだったが、一旦体の平衡状態を得てしまえば、スピードに乗って走るガイに身を任せ、これは快適この上ない移動方法だった。
(揺れが少ないのなら、怪我人の傷も悪化する事など無いに違いない)
これほどの速さを出しながら体を上下左右ブレさせないガイは余程、身体能力のバランスが良いのだろう。
「驚きました!」
ヤマトはガイの耳元で大声を出した。
「案外、揺れないものなんですね!」
ガイはフフンと鼻を鳴らした。いきなり走るのを止め、大きな木の下で立ち止まった。
「おっとっと…」
ガイの急停車のせいで、ヤマトは今度は必要以上にガイに密着してしまいそうな体を踏ん張った。
「体験して、どうだ?」
ガイはヤマトを背中から降ろした。そして嬉しそうにニヤリと笑った。
「やはりお前はおれの見込んだ男だな」
「どういう事です」
「さっき遠くからカカシが見ていただろう。お前も気付いていたようだが」
「ええ」
「カカシをおんぶした事は過去に数えきれないほどあったのだが、あいつをおんぶする時、いつもいつもチャクラ切れでスタミナが皆無に等しい時ばかりだ」
「そうなんですか?」
「つまり、おれがおんぶしてやっても、あいつはただ体を乗せているだけで、だからおれがお前をおんぶして走った速さとは比べ物にならぬほど遅いスピードで走っても、あいつの体は後ろへ倒れ込んでそのまま起き上がる事は出来ぬのだ。移動中ずっと天を仰ぎ、のけ反った姿勢のまま目的地へ到着だ」
「のけ反った姿勢って…それはそれで、大変つらそうにも思えますが…」
「おれの想像なのだが、カカシは自分が体験出来ないスピードの領域をおれたちが得ている事を羨しく思い、大変気にしていたのではないか、だからずっとああやって見張る様な事をしていたのではないか」
「はぁ…(いや、何をしているのか単なる興味だけなんじゃないかな)」
「しかしヤマト、お前は自分では気付いていないようだが言っておく。過去、おれは何人も背中に乗せた事があるが、おれの超スピーディなおんぶに短時間でタイミングを合わせた。そんな忍はいまだかつて、ほぼいなかった」
「確かに、動き始めと止まった時の、前後への引っ張られる力に耐えられるかどうかが問題ですね」
「それが一番の問題点なのだ。それさえクリア出来たなら、おんぶとは、道具も使わない、特別なエネルギーを用意しなくてもよい。思い立ったら即座に実行出来る究極の運搬方法なのだが」
「……………」
黙ってしまったヤマトに気付かず、ガイはひとり演説を続ける。
「一般的に、この運搬技は疲労した仲間の忍など、チャクラ等がほとんどない者を背負う場合に使う事が多い。背中に載っている者のほとんどは、重篤な疲労困憊状態にある…
…だからなるべく移動時は上下左右に揺すったりという振動を与える事は避けたい。スムーズな移動、これこそ、背負う側がパワーを持てば持つほどに走る時に移動姿勢が安定する、つまり、背中の者は快適に過ごせるという訳なのだ…
…これはつまり、力は優しさだという事なのだ、パワーとは力強さを持つ事も勿論なのだが、優しくもあらねばならぬ…
…何故ならば」
ガイは咳払いをした。左手を腰に当て、右手を天高く突き出した。
「何故ならば、おんぶとは…愛の力だからだっ!!!」
ヤマトはポカーンとしてガイを見た。
そこまで大袈裟に言わなくても、とも思ったが、得意満面の笑みを浮かべ気分良く話しているガイを前に、何も言えなかった。
ガイは続ける。
「この技を伝えていくには、リーやネジといったおれの弟子だけではだめなのだ。なるべく沢山の忍に伝えねば!そう、力を持っている全ての忍に伝えなくてはいけないと思うのだ、それこそ全世界へと広めなくてはならぬ…
…ナルト君は今は不安定な状態だろうからすぐには無理だとは思うが、いずれは…九尾のチャクラを持つナルト君、いずれはおんぶされたいものだ。想像出来ぬほどのパワーはどれほどなものか、とても楽しみだ」
九尾のチャクラを何らかの形で利用したいと考えている者は沢山いるだろう。けれどその力を『おんぶ』に期待しているのはガイだけではないのだろうか。
ガイの口からナルトの名前が出て、ヤマトは、もうそろそろ、ナルトが目を覚ます頃合いではないかと思う。
「あの…もう戻らなくては」
と言いながら、ヤマトは振り返った。(そうだ、カカシ先輩は)
さっきカカシがいたはずの場所には、もうその姿はなかった。
「あの…ボク戻っても?」
「とかく移動の速さばかりに目を向けがちになるが、究極のおんぶ技とはそういうものではない」
ヤマトが自分の話に興味を失っている事に気付いているのかいないのか、とにかくガイは演説を止めない。
「速く、そして優しく。この二つが揃って完璧な技となる。しかしそれがなかなか難しい。おれはまだ未熟なので、速さばかりを求め、優しさは二の次になってしまう。反省しきりだ…」
ガックリと首をうなだれてしまったガイを見ながら、ヤマトはどうしたらナルトの元へ戻れるか、そればかり心配していた。あまり遅くなってしまうと、カカシにも何を言われるかと気が気ではなかった。
「あの…」
ガイはショボンとしていたが、しかしすぐに気を取り直す。言いたい事がまだあるらしかった。
「それにこのおんぶには、まだ上のランクの技があるのだ」
(ええーっ、話はまだ終わらないのか)
ゲンナリするヤマトだが、反対にガイは、ますます元気になっていく。
「おんぶとは、ただ背負って移動するだけだと思ってないか?」
「えっ?違うんですか?」
初めて興味を示したヤマトの言葉に、ガイはとても嬉しそうに話を続ける。
「ふふふ…だからパワーが必要なのだ、おんぶする側、される側、パワーバランスが取れた時に初めて、誰も寄せ付けない至上最速の運搬技が発揮出来るのだ…
…それを今さっき、おれは体感したのだ。ヤマト、お前を背負い、力の強さと体のバランスの強さを身を持って感じたのだ…
…これは互いに信頼関係がないと、おんぶの威力が最大限に発揮出来ない。誰よりも速く走る、そんな究極の…」
ガイは一呼吸おいた。そして。
「究極の『おんぶ技コラボレーション』が具現化するのだ!」
「コラボレーション…?」
「おんぶの素晴らしさを知らぬ未熟者は笑いもするだろう。だが現実にはそう簡単なものではない。つまり、おんぶする側とおんぶされる側との絶妙なバランス、力のやり取りが必要なのだ…
…二人の力が拮抗していれば、おんぶして走る側、例えば走るAが疲れてしまえば、背中に乗っていた側BがAを背負って走ればよい、Bが走っている間にAが休息・充電をした後、疲れたBを背負って走ればよい。そうやって、交互に背負いつつ目的地まで辿り着き、けれど体はさほど疲れてはいない、そんな理想的な使い方も出来る技なのだ、おんぶ技は」
どうやらこれで一応、話は終わった様だった。興奮ぎみに話を終えたガイは、どうだと言わんばかりにヤマトを見つめた。
「誰でも出来るという訳ではない。選ばれた男しか許されぬ。そしておれは選ばれたのだ。お前も同じように選ばれた。お前にはその資格がある。ヤマト、さあ実践あるのみ!」
選んで欲しくないし、そんな資格もいらないのだが、まさか面と向かって言えやしない。口ごもっていたヤマトだったが、ガイは再びヤマトの背中に乗ろうして、既にヤマトの後ろに立っていた。
(あ〜どうしよう…)
その時、遥か彼方からこちらへ向かって伝書鳥が飛んで来るのがヤマトには見えた。
「あれは…ガイ先輩、呼び出しですよ」
「もうそんな時間か」
空を見上げて自らも鳥を確認したガイは、とても残念そうにする。
「じゃあ、この話はまたという事で」
「あきらめきれぬ、こうなったら、ええい!」
「あっ、また…」
有無を言わせず、ガイはヤマトの体をおんぶすると、今、カカシやナルトがいるであろう場所目掛けて爆走していく。
(ああ、もう…)
ガイに何を言っても取り合ってくれないと分かったヤマトは、今はただ、ナルトが眠っていてくれる事ばかりを願っていた。ガイにおんぶされている姿を見られるのはカカシだけで充分だ。
あっという間に、滝が流れ落ちている場所へ辿り着いた。ナルトはまだ横たわったままだった。
カカシが本を読んでいる。その横へヤマトを降ろしたガイは、
「いいかカカシ、ヤマトに教えておけよ!」
「ナニ?」
「お前にはさんざん教えてある筈だ。お前が上手く出来るかどうかはまた別の問題だが、この際、究極のおんぶ技の奥義をヤマトにも教えておけよ」
「はいは〜い」
カカシは気のない返事を返す。
ガイはムッとしながらも、隣りで気持ち良さそうに眠るナルトを見下ろした。
「いつかはナルト君にも」
ガイはニヤリとした。頭の中で、ナルトとの『おんぶコラボレーション』をシミュレーションしている様だった。
空を伝書鳥が旋回している。それに促され、気持ちを切替える様にガイは大きく息を吐く。トントンと足を鳴らした。
「では諸君、また会おう!」
言い捨て、ガイはその場からいなくなる。
そして辺りには滝の流れる音だけが響き渡るのだった。
少し休憩する筈の時間が、とんだ出来事に付き合わされたものだ。
ヤマトも大きく息を吐いた。やれやれ、という気持ちだった。そしてカカシを見下ろした。
カカシは黙っている。
ヤマトはたずねた。
「…で、どうします?」
「ナニをどうしたいの?」
決まってるじゃないかと言いたげに、カカシは本に視線を落とした。
(終)
2009.7.14 |