臥 待 月  あとがき


ナルトと里抜けサスケとの闘いが一段落して、やっと。
音忍と闘って生死の程が定かではなかった、チョウジとネジのその後が判明しそうな、
WJ 234話の左下・次週予告タイトルは
「戦い散りし忍達」。
うおぉお〜!!ついに来た!!や、やっぱりそうなのか?!
散りし、ってことはぁあ!!と、覚悟を決めて過ごした1週間。
心臓ドキドキでジャンプを手に取り、開くと、
235話「任務失敗」。?!
あれ?タイトル違いますヤン!
って。読んでみたら、二人とも無事、生きてますヤン!


今になってみれば、生きててよかったよ、と心から思うのだけど
その時は、どうして〜!!何で生きてんの〜!?という気持ちの方が先で。
だって、闘った後の描き方見たら、ねえ?(少なくとも、私はそう思った)
チョウジが敵をやっつけて、仲間という存在を再確認する矢印を見た後、
シカマルの横をチョウチョがヒラヒラ舞ったり。
ネジの手に、今まで囚われていたその身が自由になった証しのような、羽が落ちて来たり。
これ、思わせぶり以外の何者でもない!なので、
頭の中では既に、゛ネジのいないガイ班゛が、構築されはじめていたのですよ。
いないネジを思って、泣くリー君と共に泣くガイ先生…うわーん。(泣)
動かない二人を連れ帰るシカマルとリー君の事とか、
リー君・ガイ先生の続編はイロイロ頭の中にあったのですが、
まあ、全てボツということで。(ある意味、泣)
生きててよかったよ、ネジ〜チョウジ〜!!いやホントに。
悲しむガイ先生は見たくないから。ホントによかった。
(よかった、の観点、チョト違う?)
そんな事を考えていた私は、ニンピニンですか?(今時使わないよ)。
セメテセメテセメテセメテ ヤメテヤメテヤメ(これまた、古いな)。


人との付き合いの距離について、「弟子を亡くしたガイ先生」を書く為の、前振りの話です。
チョウジを亡くしたアスマを書く為でもありました。
私の中で、チョウジとネジはてっきり…と思っていた頃に書いたものです。
全ては、「そうならない法則」に支配され、私の思い過ごしになってしまいましたが。 
コミックス26巻発売で、二人の無事が確認された記念(?)に、載せてみました。
なので、文中のアスマの不安は、残念ながら(幸運にも)外れました。
よかったな、アスマ。チョウジに修行メニュー、書いてやれよ〜!!


なんでもアリ自由奔放・二次創作とはいえ、
NARUTOはなるべく、原作に沿って書こうと思っている自分ルール。
が、ガイ先生についても勝手マイ設定部分があるように、
原作者の中で゛瞳の色が黒なのか白なのかうろ覚え゛、そんな位置付けのアスマも、
モチロン例外ではありません。
特にアスマは、マイ設定の部分が多い。原作ではその性格、よくわかんないし。
イタチを里で見つけた時、カカシに「デートか」と聞かれ顔を赤くしている紅に対し、アスマは 
「それよりお前は何をしている」と問い掛けて、質問に対しての返事はナイ。照れ隠しでもない。
話題を変えてしまっている訳です。

( ここでアスマの「♪聞いてください、俺の紅・マイハニー」ページはおろか、
たったヒトコマ描いて貰えるほどの愛情もないように思われ。
なんたって、目の色違うから!
コンタクトですか?あっ?目の移植か?!(笑))

そんな受け答えなので、なんだこいつ、と思ったわけです。
「いや…」とか、「まあ、その…」くらいの返事は普通でしょう。
なのに、逆に質問なんかしている。むむん?
優位の時はガンガン攻めて行くけど、その反対に、
弱みを知られた時の自分に対する攻撃には弱いタイプ?


とにかく、平常を装って(?!)いつもの表情をしているよ、コイツ。なんかあるな、と思って、
なよっちい心理持ちにしてみました。(強引だよ)
原作とマイ設定と。入り乱れた結果でゴザイマス。


うちのサイトに出てくる人はみな、精神的に気弱い部分を持っています。
それを克服しようとして強くなりたいと思っているし、結果、強いんだと思う。
それはアスマに限らずカカシも、ガイ先生も。
カッコよくないかもしれないけど、うちの木ノ葉の里・上忍はそんな感じ。