帰路。


 生まれた日を認識するということは、
 生への執着ではないのかと思っていた。

 手放しで受け入れ、
 愛でてくれた父や母。

 強くあれと叱咤激励し、
 その全てが目指す場所であった師。

 チームという名で志をひとつにし、
 互いに競い助けあった仲間。

 永遠に傍(そば)にいられると思い、
 情を交しあった愛しいひと。

 みんなみんな、
 この手の中をすり抜けて、
 遠い場所へと消え失せた。

 自分だけが取り残されたような、
 けれど後を追う機会にも恵まれずに。

 今、

 こうしてここに、
 命をつなぐ。

 無謀な事ばかりを選んでいた時もある。
 やけになって体を痛めつけ、
 やりすごした時もある。

 なくしたものばかりを追い求めて、
 嘆いていたおれは、
 結局、どこにも辿りつけない。

 抜け殻のように見えるこの体には、
 涙ばかりが詰まって、
 いっぱいになった時には、きっと、
 その場所へとたどりつけるのだと、
 それだけを考え、
 日々を過ごした。

 荒く息を吐き、
 鼓動の高鳴るのを感じ、
 持ちうる全ての力で敵と対峙し、

 そして貪欲に眠りを貪る。

 そんな繰り返しの中で、
 数少ない仲間と共に、
 精一杯その日その日をやり過ごす。
 飽きるほどの繰り返しの中で、
 ひとつふたつと、
 新たに年ばかりを重ねてゆく。

 そんな毎日に溺れきって、
 当たり前のように過ごしている、おれが、
 以前とは全く違うおれが、
 ここにいる。

 生まれてきた事への
 祝福の言葉をかけられながら、
 満更でもない顔をしているおれが、
 ここにいる。

 あんなにも、
 あの場所へとゆきたいと切望していた、
 日々を重ね、
 年を重ねてゆく事に嫌悪を抱いていた。

 そんな昔は、
 幼い子供の戯れ言に似たものなのだと、
 懐かしく思う。
 あれからも、
 涙は枯れることなく流れ続け、
 頬を濡らしているけれど。

 急ぐことはないのだ。
 いつか必ず、たどりつけるのだと、
 やっと分かったおれが、ここにいる。

 その時が来れば自然に、
 その場所へと至る道は開かれるのだ、と、
 ここまで年を重ね、ようやく悟った。

 昔よりも、今は
 その場所を、より身近に感じる。
 捜し求めて焦っていた過去には、
 場所の意味すら分からなかったけれど、
 肌で、感じる時がある。
 ここがその場所だと、
 感覚が知らせる時がある。

 けれど、
 まだ。

 そこへ至る道は、おれには見えない。
 道が示されるその日は近くに在るのか
 それとも、遠いのか、
 それすら分からぬ。

 今日は、まだ。

 おれは、
 生きて、
 ここにいる。

 (終)


ガイ先生のお誕生日という事で
力が入りまくりなのか時間ばかりかかって。上手く書けなくて。
なので
書き慣れている<覚え書きみたいな詩みたいなもの>を、
綴ってみました。
死を待ち焦がれている頃は、死はまだまだ遠くて。
それって、まだまだ若いってことなのでしょうか。
けれど、死が傍まで来ていると
未練が残って死にたくないと思う。
先生はちょうど、この中間あたりにいるのでしょうか。
忍を続けて26才くらいの年齢になっていると
何度も、あっちの世界へ足を突っ込んでいるかもしれない。
あらら、死が、隣まで来てますね。
でも、俗に言う三途の川は
まだ渡ることを許されていない、ギリギリな感じ。
まあ、そんなこともこんなことも、自分でどうにも出来ない事は
1日のうちで10分位考えるだけで
後の23時間50分は
すっきり忘れていそうです、先生は。

どっひゃ〜!みたいなお笑い系でなくて、すいません。
お誕生日おめでとう。ガイ先生。
行けるところまで、行きましょう。
出来るだけ長生きして、
沢山の年を重ねて渋いナイスミドルになったところを是非、見せてください。

来年も再来年も、笑って皆とお誕生日が迎えられますように。

2005.01.01 お誕生日に