凍 灰

 えっ!?
 リーは思わず絶句した。
 そんなことが、あのガイ先生に?
 息せききって走って戻ってきたテンテンが話す、その内容を、リーはすぐには受け入れる事が出来なかった。
「嘘でしょう、テンテン」
「だって、あたし聞いたんだもの」
 信じないのかと、不審そうにテンテンは口を尖らせる。
 テンテンの情報を疑うようなまなざしのリーに、そしてテンテンに、助け船を出すかのように、ネジは言った。
「信じられないと思う気持ちは分かる。だが、ひとには色んな面がある」
 いつも陽気な、あの先生だって。例外ではないのだと、つぶやくように。
「でもネジ、でも」
 ネジの言葉に反抗するわけではないけれど、リーは驚きを隠せぬままで、でもでも…と口ごもった。

 話を聞いたその日、リーは、何故か体に力が入らなかった。
 演習場の端にある、いつも椅子代わりにしている切り株の上に腰を下ろして、ネジやテンテンの技を見ているガイの姿を目で追った。


 ねえ先生
 愛しいひとを失った時
 後に残されたひとは
 どんな気持ちになるものなのでしょう

 里の皆が、その異常に気付いた時には
 家には、もう既に火柱が何本も上がっていて
 部屋にあったもの、何ひとつ持ち出す事も出来なくて
 そこにいたひとの体ひとつ、外へと運び出すことは出来なくて
 それに何故だか、火の手が回るのが、異様に早かったのだと聞きました

 まるで
 火の力を借りて、何もかも消そうとしたみたいに
 その場所が全て、見る影もなく、短時間に焼き尽くされてしまった
 そして、煙と灰だけの何もない場所になった時に
 先生はようやく駆け付けて来て
 すさまじい有り様を目にしたそうですね

 あまりの突然の事に、先生は
 もう何もなくなってしまった、その場所へ
 身を投げ出さんばかりの勢いで
 そのひとの名を呼びながら取り乱した
 ただならぬ様子に驚いた、まわりの仲間が
 先生の事を必死で止めたのだと

 そのときの先生の顔は、顔面蒼白で
 唇の震えは止まらず、目は大きく見開かれ
 ただ信じられないと
 悪い夢でも見ているかのようだ、という顔付きをしていたと聞きました

 依然、燃え残りがくすぶり続けるその場所に立って
 その時、先生は何を思っていたのでしょう
 灰になってしまったひとが横たわっていたに違いない場所を
 まだ熱を持っている、その場所を
 しきりとなでていた先生は
 その時、何を思っていたのでしょう
 
 その場にいなくて、助け出せなかった悔しさを嘆いていたのでしょうか
 今まで過ごしてきた日々のことを思い出していたのでしょうか
 それとも
 これから作って行く筈だった未来を、失ってしまった悲しみに、沈んでいたのでしょうか

 火は
 愛しいひとの体や
 愛着のある品々だけでなく
 暮らしていた日々の思い出さえも、全て焼き尽して、灰に変えてしまった

 先生は、ただじっと
 いつまでもいつまでも、そこにしゃがみ込んでいて
 その灰を撫でていたそうですね
 今はもう残骸でしかない、焼けた灰を撫でながら
 肩を落として表情無く、ゆっくりと
 指先の灰を
 すくっては落とし、すくっては落とし、ただそれを繰り返すだけで

 先生は、何を思っていたのですか

 愛したひとを失ったその時に
 先生は、涙一つこぼさなかったと聞きました
 いつもあれほど泣く先生が
 何事にも、心を動かされて泣く先生が、何故、涙を流せないのかと
 僕は、不思議に思えてなりません

 先生
 僕には、分かりません
 泣きたいのに泣けない
 そんな事が、あるのでしょうか
 大切なひとを失った先生は
 泣くことすら出来ずに、何を思っていたのですか
 長い時間と愛情をかけてふたりで作り上げてきたもの
 そんな何もかも全てを、一瞬のうちに取りあげられてしまった先生は
 その時、何を思っていたのですか
 涙もこぼせずに、一体、何を

 それは、ほんの少し前の出来事です
 遥か彼方の昔の記憶ではないのです

 先生の、つらく悲しい思い出の場所には
 今はもう、新しい建物が立っていて
 また違った物語が作られ始めています
 先生がしゃがみ込んで動けずにいた場所では
 小さな子供が、ブランコに揺られて笑っていました

 ねえ、先生
 悲しみは、いつか思い出となって
 優しい時間を運んできてくれるものなのでしょうか

 それともやはり、いつまでも
 悲しみは悲しみのままで
 思い出す度に、悲しいままで

 先生の背中が時折、寂しく揺れて見えるのは
 そんな悲しみの棘が、今もまだ、先生の中にあるせいなのでしょうか

 先生
 僕には、よく分からないのです
 悲しみはいつか、思い出となって
 記憶の隅にしまわれて
 そのうちに、悲しくなくなるものなのですか

 リーは、ぼんやりと宙を見つめていた。そうして自分でも分からない程の時を、身動き出来ずに、その場所で過ごした。
 いつしか足元に人影がある事に気付いて、リーは顔を上げた。

「ああ、ガイ先生」

 リーはその時、どうやって声を出したのか、定かではなかった。
 自分に向けられた、その見慣れた笑顔を、何も言えずに、ただじっと見上げていた。

(終)

2005.12.23


ガイ先生の、過去話です。
ガイ先生を目指しつつ日夜、修行に励むも、
まだまだリー君には入ってゆけない世界があるんです、って事で。

わかんない事だらけの、リー君です。何でも人に聞く、゛教えてちゃん゛みたいになってます。
でも今のリー君には、分からないだろうし、分からなくてもいいし。
いや、分かって欲しくないというか。そこはリー君の領域ではないと思うので。
ただ、「どうしてなんだろう」と思う先のガイ先生の姿が、ちょっと悲しい。
でもって、それを見られている事に気付いていない、
自分の素の気持ちを上手く隠せないガイ先生が、私は好きです。

そういうガイ先生の悲しい話は、あんまり書きたくないのですが、
(だってガイ先生が悲しいと、私も悲しいから)
29年も生きていれば、そう言う事の一つや二つ、あってもおかしくないし。
悲しいのはイヤ、といいつつ、そういうガイ先生も好きだったり。(困った)

先生の「愛したひと」とは、一体どんなひとなのか、そもそも、男なのか女なのか。
大人なのか子供なのか。忍なのか、そうじゃないのか。
その辺はどうぞ、ご自由にお考えいただくとして。
私の中では性別は決めてあるけれど、具体的にどうこうということは、ないです。
ただ一つ、テンテン情報では「火の手が回るのが異常に早かった」点について。
どうやらその現場から、片目を隠した忍が去ったという目撃情報が、
その後の調査では出ているようです。
まあ、その場所で何か有ったんでしょう、ガイ先生には知らせたくない、何かが。