殺して、行く。
おれは班員と共に部隊を組んで、林の中を移動していた。
かなりの距離を走り通していた為に、班員の一部が疲労を感じ始めた頃。ちょうど、里からの伝令が入った。
伝令文には、目指す敵についての詳しい情報が記されていた。
そしてまた、敵との戦闘中に猿飛アスマが命を落とした事を、その伝令文は短く伝えていた。末尾に付け加えるように。
それは沢山の情報の内の一つとして、おれたちに伝えられたのだった。
その事実がその場にいる者に知らされた後は、アスマと親しかった者も、又、さほど親しくはなかった者も皆一様に無言になってしまった。
休憩を取れとの合図で、わずかに緩んだその場の雰囲気は、死の報告を聞いた後、一瞬にして張り詰め、やがて感情のやり場の無さに対する、怒りにも似た苛立ちへと墜ちてゆく。皆、ピリピリとした気を荒立て、気鬱な思いを抱えるのが分かる。
誰もが黙りこくって、わずかな音ですら耳障りだと感じる様子だった。
おれは、おれたちの班と行動を共にしていた別の班の忍が、タバコを吸い始めたのを目にした。
一本貰って皆とは離れ、一人、木にもたれかかるように腰を落ち着ける。手にしたタバコに火を付けたが、吸うでもなく、消えないように石の上に置いた。
煙が仄かに立ち昇るのを見る事しか、今のおれには出来る事がない。
このタバコは、アスマが好んでいた銘柄とは違うものだ。
アスマ、お前はもっと、そうだな、目に染みる強いタイプのものを好んでいた筈だった。
匂いを覚えている。
姿を見ずとも、匂いだけでお前がいると知れる。
いつか演習場でおれが一人、技の練習をしていた時も、そして班の子供達を教えていた時も、お前は隠れてよく見ていただろう。わずかだが、お前のタバコの匂いがしてきたからな。
おれ一人の時は、用があるなら声をかけてくるだろうと半ば無視していたのだ。が、誰かの視線に気がついた子供達は、修行に集中出来ずに困っていた。
それはそれで、いついかなる時にも何事にも囚われないという、よい修行が出来たのだが、今から思えばお前は邪魔をしていたに違いない。
それとも、おれたちの班が、どの程度の力を持っているのかと偵察していたつもりだったのか、あれは。
もしかしたらそんな事はおれの考え過ぎで、お前にとって、あれは単なる暇つぶしのひとつだったのか。
今となっては、何が正解か分からぬな。
石に立て掛けたタバコは、仄かに煙を上げてゆく。
おれはただじっと、煙の行く先を見つめていた。
それにしてもこのタバコは、あまり煙が出ない。それに、お前の匂いとも全く違う。
けれど煙には変わりがない。煙は、単に煙だ。
おれは吸いもしないタバコの煙を眺めて、一体、何がしたいのだろう。
するべき事や考えねばならぬ事は、他にあるはずなのだ。昔の事など思い出していたり、このように、ただ煙の行方を眺めてぼんやりとしていて良い筈がない。
今すべき事。今、考えねばならぬ事。
なあ、アスマ。
皆が「お前は死んだ」という。だが、おれには実感がない。
死ぬ所を見ておらぬからか。
本当に実感がないのだ。
そんなおれは、感受性とやらが鈍いのだろうか。
死の報告を聞いても、ただ、そうなのかと思うだけで、心の底から信じられないままなのだ。
皆がそう言う。
だから事実、そうなのだろう。
けれど周り全てが悲しみに打ちひしがれる中で、おれひとりだけが、ただぼんやりとしているのだ。
だが、もし仮に。
今、紅に会ったならば、失意の中にいるであろう紅を、きちんと慰めてやれる。そう思える。自信はある。
だが多分、紅にかけてやる言葉は表面的で決まりきったものだろう。
紅が抱く悲しみは、想像に難くない。だがそれはあくまで想像の上での事だ。
本当は何を言ってやればよいのか分からない。
けれど、何でも分かっているような大人のフリをし、当たり障りのない、どこか借り物のような言葉をかけてやるに違いない。
だが、そう言いつつ、おれの気持ちの中では。
霞みがかかったように、ただひたすら、起こった出来事に対して信じられないという気持ちがあるだけだ。
きちんと受け止め受け入れられぬおれは鈍い。鈍いから即座に理解出来ぬらしい。
そんなおれの性格を、アスマ、お前もよく知っているだろう。
これがもし反対の立場だったなら。
おれが死んだのであれば、お前は何を思うのだろう。おれの為に、何を。
アスマ、おれは、お前が普段どんな表情をしていたかすら、よく思い出せぬのだ。
何故ならば、いつだって隣りにいたからだ。正面から顔を見る事など、そんなふうに向かい合う事など、滅多になかった。
お前は敵ではないからな。
だからすぐに思い出すのは、お前の髭面の横顔だけだ。
お前とは肩を並べて共に戦ってきた。もうずいぶん長い間の付き合いだ。
付き合いの長さは別にしても、会う度に野郎の顔を詳しく見ている奴がいるなど聞いた事がない。
姿で分かれば、顔など見もせぬ。少なくとも、おれはそうだった。
だから。
おれは、思い出せない。
アスマ、お前は普段、どんな表情をしていたのだろう。
死という別れは、いつだって突然にやってきて、だからその時が来た時に躊躇せずともよいように。用心深く普段から心積もりをしているつもりだった。
なのに、いざとなると訳が分からぬ。ただ重く苦しいだけで、悲しいとかつらいなどとは、到底、思えぬ。
おれは鈍いだけなのか、アスマ。
それとも、目の前の現実を認めたくないだけなのか。自分をごまかしているだけなのか。
部下達が、気鬱な顔をしているおれを気遣ってくれている。
力になろうとして、何をすればよいかとおれの顔を心配そうに、けれど、さりげなく伺ったりしてくれている。
気持ちを部下に悟られ、気遣わせてしまうなど、上にいる立場の者のあるべき姿ではないな。
だが。時間が経つうちに、今まで思い出す事すらなかったお前の顔が、どんなだったかなどと考えたりしているおれは、お前が死んだという事を、もしかしたら認め始めているのかも知れぬ。
お前には、いつだってまた会えると思っていたからな。 いや、そんな事を考えた事自体、なかったのだと思う。
命には必ず終わりが来る事を知りながら。
知っていながら、おれは。
おれは。ただ、お前の吐く煙を、煙だけを見ていたのだ。
そうなんだアスマ、おれはお前の「死」の事実に直面し、明らかに動揺している。
おれはただ、立ち昇る煙を見ていたいだけなのに。
そんなことすら、今は出来ずにいる。
おれの心は乱れ放題で、主のおれすら制御が出来ぬ。
なのに煙は、おれの気持ちなどおかまいなしに、いつもと変わらず立ち昇る。タバコも、この世から消え去ろうと身を細め続ける。
眺めているおれだけが、気持ちを立て直そうと焦るばかりだ。
けれどそう簡単に気持ちは変えたり出来ないものだ、違うか。
他の者はどうなのかは知らぬ。少なくとも、おれは。
おれの中には依然、さまざまな想いが重なり合ったままだ。
そして落ち着かないままで、時間ばかりが経つのみだ。限られた少ない時間しかないばかりに、余計におれは焦ってしまう。
タバコの残りが、わずかになってしまった。
今後はもう、こんなふうにただ煙を見ている事もないだろう。休憩も、もうそろそろ終わる頃だ。
混沌とした気持ちを抱いたままで、おれは立ち上がる。
おれの中に沸き起こる、さまざまな想いを、今はただ押さえ込むように殺すだけだ。
こんな想いはすぐに消したり出来ぬ。自分の奥へ、表に出ぬようにひたすらに殺しておくのみだ。
行ってくるぞ、アスマ。
お前は、お前に与えられた仕事をした。
おれも同じように、おれに与えられた仕事をする。ただ、それだけだ。
煙すらかき消えた抜け殻のような吸い殻を土に埋めて始末したら、おれは、行く。
(終)
2007.01.31 |