男はソレを、我慢できない

 リーはたったひとり、小さな演習場にいた。
 腰を低くし、腕を軽く曲げて。誰もいない空間を相手に、身構える。
 今はここにその身を置かない「特定の誰か」に対して、闘いを挑んでいる様子だった。いつでも応戦出来るよう、体勢をくずさない。
 素直な、まるでドングリさながらの瞳で、何もない空間を、ただじっと見つめていた。息を殺し、気を張り詰める。
 そんなリーの高ぶる神経を柔らかく覆うような、ぬくもりのある声が、真後ろからリーを包んだ。

「敵意をむき出しにしているぞ、リー」

 今はただ、ひたすら憧れの存在である、師のガイの声だった。
 彼から貰う言葉のひとつひとつが、リーにとっては宝物だ。どれもこれも、胸に刻んで忘れない。
 そしてまた、忘れないようにメモしておくのがリーの癖だ。言葉の意味が分からない時には、即座に聞いておくのも、癖のひとつだった。後からメモの内容を見て、納得し、正しく理解する為に。
 言われている言葉に疑問を持ち、リーは姿勢を正して訊ねた。
「先生。敵意を見せずに、どうやって闘えというのですか」

「リーよ。敵意というものは、誰にも知られては駄目なのだ。たとえどんなに憎らしい相手だとしても、何でもない風を装え。敵意というものは、普段は密かに心の中で燃え立たせ、体の奥深くにしまっておくものだ。そして相手と対峙し拳を交えて初めて、表に出すものだ。その時に、それまで押さえていた煮えたぎるような熱情を込めた強さを開放し、力の限りを使って相手を倒せ。それまでは、こちらの気持ちは決して悟られるな」

 リーは真剣に聞いていた。メモを取る事を、忘れるほどに。
 ガイは続けて言う。

「気持ちが相手に気取られた時点で、何もせぬままにお前は、敵にひとつ、遅れを取る事になる」
「お言葉ですが、先生。先生も普段、敵意をむき出しにしておられる時があります」
 思った事はキッチリと声に出して言う。生真面目なリーの、その言葉。
 ガイは、心外だという顔つきをした。
「おれが?」

「カカシ先生と対決なのだという日は、朝から鼻息が荒いです。ネジとふたり、今日がその日なのだと、いつも話しています」
 言われてガイは、はっとする。そしてリーを見て、照れくさそうにした。
「むむ、そうか。そんなつもりはないのだが。気がつかなかった。が、そうなのかもしれぬ、見ているお前がそう言うのだからな。リーよ、自分の事は、案外、分からぬものだな。言われて気がつく」
「すいません、先生。僕、失礼な事を」
「いや、いいのだ。そうか」
 ガイは深く息を吐き、考えこんだ。それを見てリーは尋ねる。
「どうしたのですか、ガイ先生?」
「……」
 なおも、ガイは考えこんだままだ。


 夕闇迫る演習場。
 石混じりの土が敷き詰められた、だだっ広い広場。その端っこに、愛読書を手にしてひょろんと立っているカカシがいた。
 そこから少しだけ離れた地べたに、ガイが座り込みを決め込んでいる。じっと黙って動かない。
 仁王立ち、唸るような声。睨むような鋭い視線。そのいずれも、放ってはいなかった。

 どうしちゃったんだ、ガイ。
 カカシは眠そうな目で、けれど、その奥には秘めたる鋭さを持ちつつ、尋ねた。
「なんか、いつもと違わない?」
「…同じだ」
「どこか痛い?お腹の調子が悪いとか?」
「痛くなど、ない」
「じゃあ、寝不足?」
「睡眠なら、充分すぎるほど、足りている」
「ヤル気ナイなら、今日は、勝負をやめても、イイけど?」
「やめる気など、ない」
「なんだか、ガイっぽくない」
「…同じだ」

 どうみても。いつもと違う。カカシは口元を本で隠しつつ、つぶやいた。
「大人しくて、勘が狂うヨ」

 どちらが先手をとるのか、勝負の前に決めていなければ。いつも決まって、ガイの方から仕掛けてくる。けれど今日は。
 指一本たりとも動かす様子が見られない。
 勝負を始めるという合図を待てずに、勢いよく飛び掛かってくる。そんな男が、今は目の前で、気持ち悪いほど静かにしている。

 何か作戦が、あるのかな。
 カカシは、そう疑った。
 座っている真下にでも、何か仕込んであるのでは。だからこちらが動くまで、待っているのか。
 いや。でも。そんな新しい技を使う日は、説明を聞くまでもなく、ひと目でそうと分かる。体から、ウキウキした何かが出ているように見えるのだ。
 けれど今のガイは、それとは違う。

 カカシは訝しげに、ガイの表情をうかがった。
 仲間であり友であり、そしてライバルという名の敵は、いまだに動く気配がない。腕を組み目を閉じて、じっと下ばかりを向いている。

 ヘンだ。何か、ヘンだ。
 カカシはガイの普段と違う姿に、不安の混じった危険を感じ、様子を見ていた。
 ガイ同様、動かずに、自分からは仕掛けない。本に視線をやるように見せかけて、ただじっと、ガイの出方をうかがう。
 今は、待つのが得策だ。ガイとの経験が、カカシにそんな行動を取らせる。

 二人、動かないまま、一時間ほどが過ぎていった。
 既に日は暮れ落ち、あたりには暗闇が広がっている。群れを探す鳥の鳴く声だけが、遥か遠くから聞こえてくるだけだった。

 真っ暗な中で、読書の格好もオカシイ。そう思ったカカシは、本を閉じてポシェットへしまおうとした。その時。

「もう、我慢できぬ」
 イライラした様子を隠し切れずに、ガイは立ち上がった。
 演習場のはしっこまで爆走して行くと、中央へと向き直る。かなりの距離走ったにもかかわらず、息は全く乱れていない。
「いつまで待てばいいのだ、カカシ!時間は無限ではないのだ!」
 大きな声で叫ぶ。まっすぐカカシを指差した。

 少し離れた暗闇の中でも、ガイの体から滲み出てくる戦意が感じられる。
 カカシは、嬉しそうにする。

「やっぱりガイだ。待っていられない」

 ガイには聞こえないほどの小さな声で、カカシはつぶやいた。
「そうこなくちゃ。静かなお前を相手になんて、闘う気なんかなくなるヨ。お前とやってる気がしない」
 カカシの、マスクに隠れた口元が少し動いた。笑った、ようだった。
「ヤル気出てきた…」

 といいつつ、それでもカカシは、動かない。
 闇の中、待ちくたびれて、ガイの体全体から、いきり立つ熱い息が出ているようにカカシには見えた。けれど、それでもカカシは動かない。

「来ないならば、こちらから行くぞ!カカシ!」
 言い終わらないうちに、ガイはカカシに向かって走り始めたかと思うと、その場から姿を消した。
 そしてガイが走り始めた瞬間に合わせて、同じくカカシもその身を消した。

(終)


WJ・2005年10月下旬の
(切り抜いてしまったので、掲載ナンバーを失念。スイマセン)
「ガイ先生、カカシをおんぶする」、の回。
カカシに肩を貸しつつ、その歩みの遅さに、イライラしているガイ先生ですが。

こんな感じのガイ先生のイライラ話を、自分でも以前、書いたような記憶が…と
ほったらかしのファイルを探してみたら、出てきたのがコレです。
短くて中途半端な話ですが、
原作の、「イライラしていてもやっぱり素敵」な、
ガイ先生のお顔を思い出して、これを読んで下さって
ほんのちょっとだけでも、気持ちが楽しくなって下さるといいんですが。

で、今回は、リー君に指摘されつつも、
やっぱり、我慢できない、ガイ先生です。
自然と、こぼれ落ちてしまうんだよね。ガイ先生の、オトコマエな熱血が、ついつい…。