それは、ある種のロシアンルーレット

「思っていたよりも手間どってしまったな」
 ガイは、すぐ後ろを走るネジに向かって言った。ネジは四方をその眼で探索していたが、やがて、
「もうすぐです」
 リーとテンテンが、この場所へ来る事をガイに告げた。
「よし、合流後は里に帰るだけだ」
 ネジは表情を変えずに、黙って走っている。
 その反対にガイは、苦虫を噛み潰したような表情で悔しそうにつぶやいた。
「おれの思惑違いだった。お前達にも少々つらい思いをさせてしまった」
 尚もネジは黙ったままだ。
「…すまんな、ネジ」
「いいえ。予定と異なる事はよくあるので、謝る事など無用です」
 言いながら頭を少しだけ左前方へと向ける。何かに気付いた様子だった。
「この先、500メートル」
「来たか?」
「…はい」
 ほっとしたように、ガイは走るのをやめた。ネジも従う。
 しばらく待っているうちに、ガイは何かを感じて顔を上げた。ネジを見る。
 ネジはうなずいた。
「来ます」
 その言葉と同時に、
「ガイせんせぇ〜!!!ネジ〜!!!」
 かすれた声だが、確かにリーのそれだった。
 左手の藪の中から、リーが飛び出してくる。遅れてテンテンも顔を出した。
「おお、二人とも。無事だったな」
「お待たせしました、ネジ、ガイ先生」
 リー、テンテン。二人ともどこにも傷など負ってはいなさそうだったが、服だけではなく顔から足先まで、ずいぶん汚れきっていて、これまでの苦労がしのばれるありさまだった。
 疲れを隠さず、テンテンはその場へ座り込んでしまった。もう一歩も動けないと言いたげに、うつむいている。
「本当にすまないな、テンテン…そうだ、水を」
 ガイの言葉に、リーはリュックを下ろして水筒を取り出した。けれど、それは軽くて、中には何も入っていなかった。
 ネジは、肩にかけたカバンから水筒を取り出してガイに渡した。ガイはキャップを取ると、テンテンに差し出す。
 テンテンは疲れ切った様子で、とりあえず二口ほど水を飲み下したが、話す事も大儀そうだった。肩で息をしているのだが、それがなかなか治まらない。水筒を持ったままでじっとしている。
 リーは心配そうに、テンテンの背中をさすってやり、少しでも助けになればと構っていた。
「テンテン〜さっきまでは、僕に指図してたじゃないですか?あの元気は一体どこへ?」
 不思議がるリーに、ガイは苦笑する。

 他国を走り続けてやっと里のある国境までたどり着いた。
 里にはまだまだ遠いけれど、それまで張り詰めていた緊張が解け、無事に戻って来た安心感で、ここに来てテンテンは一気に疲労を感じたのに違いない。それまでリーと二人だけだった事で多少の不安を抱いていた気持ちが、ネジやガイと合流出来た事で、テンテンを少しばかりワガママな状態にさせていた。
 無事な仲間の顔を見ると、ガイでさえ何やらホッとするのだ。今のテンテンの気持ちは、家へ帰ったのと同じかそれに近いと言っても言い過ぎではないに違いない。

 依然、テンテンは座り込んだままで、立ち上がろうとする気配すらなかった。
 任務終了は予定より遅れたが、里への連絡は既に済ませていた。遅れたついでに、ここでもうしばらく休憩するつもりだった。
 ガイは、テンテンの髪型の右側のお団子が崩れかけているのを目に止めた。直してやろうかと思うけれど、こんな事は未経験だ。下手に触って今より酷い状態になるかもしれない。
 ガイは、手を伸ばそうとして、躊躇する。
 何をしてやれば良いか。元気になる為には。こんな時には。

 そうだ。ガイはテンテンの隣りへしゃがみ込んでたずねた。
「テンテン、腹は減ってないか?」
 聞きながら、反対側の服の袖で汚れた手を拭くと、懐から何やら取り出した。そして、テンテンの顔の前へ突き出した。
「さあ、これを」
 座っていたら体が落ち着きを取り戻してきたのか、幾分元気そうになった声でテンテンは尋ねた。
「…これって何、ガイ先生?」
「見た目は小さくても高カロリー。脳には糖分。体には即座にエネルギー源になる。さあ、食べろ」
 ガイの手のひらの上に載っている小さな塊を、テンテンはまじまじと見つめた。銀紙にくるまれた丸い形。

「怪しいものではないぞ」
「もしかしたらそれって、兵糧丸ですか、ガイ先生?」
 リーが身を乗り出してガイの手元を見ている。テンテンが貰わないのならば、自分が欲しいと言いたげに、目をキラキラさせている。
「僕もお腹が空きました、ガイ先生」

「リー、里までもうしばらくだ。我慢しろ」
 一人、周りを警戒しながら、ネジはリーをたしなめる。
 体力のないテンテンならいざしらず、ガイに追いつこうとしているリーが、テンテン並みにバテているとは考え難い。
 とはいえ、リーは、ガイが何やら食べ物らしきものをテンテンにだけ差し出して、自分とネジにはくれないようだと察すると、それが何なのか知りたいと思った。ネジに反抗するように、
「だけど少しくらいなら。テンテン、食べないなら僕に」
 下さい、と言う言葉の前に、テンテンは指を伸ばしていた。銀紙をはがして中身を口に放り込む。
「…これって…」
「兵糧丸とは違い、なかなかに美味だろう?数少ないので大事に持ち歩き、ここぞという時にしか口にしなかったのだが、それでお終いなのだ」
 テンテンは口を動かしながら、考えるそぶりをしている。
「テンテン、味はどうです?元気になれそうですか?」
 リーが言うやいなや、テンテンは蒸せて激しく咳込んだ。
 慌てて、リーの膝にあった水筒を奪うように取ると、全部飲み干す。けれど、それでは足りないとみえて、口を開いたままで依然、ハアハアと苦しそうに息を吐いている。

 その普通とは思えない状態にガイは驚き、
「ど、どうした?テンテン?」
 ガイの隣りでリーも慌てた。
「もしかして、何か毒のようなものが入っていたとか?」
「まさか。おれが肌身離さずに身に付けていたベストの中に入れて持ち歩いていたものだ。毒など入れるスキはない筈」
「じゃあ、何故?」

 一人、後方で様子を見守っていたネジだったが、水筒が空になってしまった事を知ると、水筒を手に、たっ、と走り去る。
 そうしてすぐに、水に濡れた水筒を下げて戻って来た。
「近くに水場があって良かった」
 ネジが差し出した水筒を奪うようにして、テンテンは浴びるように水を飲み続けた。
 そしてようやく、一息ついた。
「…テンテン?」
「ゆっくり休め、急ぐ事はないぞ」
 半ば空になってしまった水筒を手に、ネジが再び水場へと行く後姿を見送って、テンテンはガイに尋ねた。

「先生、さっきくれたものって」
「昨日、ネジと、1個を半分ずつ食べた時には何ともなかったのだが、何か違和感があったのか?」
 ガイの言葉を聞きながら、テンテンは足元に落ちている銀の包み紙を拾い上げた。
「…ガイ先生。これ…」
「そうだ、チョコレイトだ。テンテンがくれたものだ、覚えていたか」
「私があげたのは、去年のバレンタインよ、ガイ先生」
「んむ?そうだったな」
「そうだったな、じゃないわよ、ガイ先生」
 リーはポカンとして、二人の話を聞いている。
「一年前じゃない、あげたの」
「そういえば、今日は2月13日だったな」
 そこまで聞いて、リーはすっとんきょうな声を上げる。
「えええーっ、ガイ先生、一年前のチョコを大事に持ってたんですか」
「ふむ、いけないか」
 テンテンとリーは、平然としているガイの姿に何も言えない。どうやらこの上司は《賞味期限》の感覚を、持ち合わせてはいないらしい。

「確かに貰ったのは一年前だが、形も匂いも変わりはないぞ。それにさっきも言ったが、昨日、ネジと食べた時には何ともなかったのだ、舌の上でとろけて、なかなかに美味だった」
 ガイは目を閉じて思い出すように言う。
「……」
 テンテンは黙っている。

「だが、どういうことだ、何がいけなかったのか」
「いいの、ガイ先生。今年は早く食べてね」
 テンテンはそれだけ言うと、黙り込む。

 里に戻ったならば、今年もガイにプレゼントするために特製のチョコレイトを用意してある。
 それは、去年のものとは趣向を変えた。同じだと面白くないと思ったからだ。
 実は去年、バレンタインの日、可愛らしく包装したチョコをガイに渡した。
 ガイはテンテンの目の前で包みを開いて口に1個放り込んで食べ、テンテンの気持ちと味の良さに嬉しそうにした。けれど、その場では全て平らげずに、後はまた包みを元へと戻し懐へとしまった。
 ガイに渡したテンテンの手作りチョコレイト。
 12個のうち、1個だけ、唐辛子のペーストを混ぜておいたものがあったのだ。それは作った本人ですら味見をしておらず、どんな味かは食べてのお楽しみだった。
 ガイが懐へ入れてしまった為に、テンテンは目の前で「記念すべき、その場面」を目撃出来ず、とても残念だと思ったのだが、そのうちにその事自体を忘れてしまっていた。

 一年経って、こんな形で出会う事になるなんて。しかも、自分が「当り」を引く事になるなんて。
 味。言葉にするにしても、何と言っていいのやら。
 今はとにかく、喉やら胃やらがヒリヒリと炒られるように熱く、その上、とんでもなく痛かった。
 辛さに慣れているガイならば、まだダメージは少ないのだろう。けれどテンテンはどちらかといえば、辛さは苦手な方なのだ。

「テンテン、涙が…鼻水も…」
 リーが、タオルを手渡してくれる。
 それを受け取りながら、テンテンは痛みに耐えた。
 自業自得。泣くに泣けない。理由も言えない。今は、ただ黙って辛さに耐えるしかない。

 こうなったら今年の為に用意してあるチョコレイトを全て作り直し、その全部に唐辛子ペーストを混入しようかと考えてしまう、テンテンだった。

(終)

2007.02.14