シロクロ
大布団を足の間へと挟むようにしてしっかりと抱え、顔もそこへとうずめるようにして。横向きで眠っていたガイは、鼻をヒクヒクさせて目覚めた。
いい香りがする。コーヒーの匂いだろうか。
近隣の者が朝食用にと準備している香りが、この部屋まで届いているのだろうか。インスタントでは決して出せない、引き立ての豆で淹れた深みのある香りだ。
しばらくそのままで香りを楽しもうと、横になったままで目を閉じ、布団を抱える。鼻腔をくすぐる香りは、次第に強く、キツイものになってくる。
ガイは目を開けた。ぎゅうと押し当てていた布団から顔を離すと、寝返りを打ち天井を仰ぐ。
目に写ったものは、見なれたいつもの模様と、少し、違った。足の間に挟んでいる布団の模様も、いつも自分が使っているものと、違っている。
ガイは起き上がり、両手を上へ伸ばして、う〜んと伸びをした。大きなアクビを一つして、ふと、枕元を見た。
柔らかな朝日が差し込んでくる明るい窓辺に、観葉植物と写真立てが2つ、置いてある。ガイは写真立てを凝視した。2つを交互に見比べてみる。
「おお、四代目。お懐かしい。…こっちはナルト君か。なんだかまだ幼くて表情が可愛いな」
アクビと共に出てきた涙を指先で拭い取りながら、並べてある2つの写真立ての中に写る4つずつの表情を見た。どちらも、班のメンバーと、そして班を指導する担当の教官とが、1枚の写真の中へと写し込まれている。
ん?
ガイは自分で自分の言葉を繰り返す。よんだいめ?なるとくん?よんだいめ…なると、くん?
ガイは、まばたきを何度もした。写真の中から不貞腐れたように上目使いでこっちを見ている、幼い頃から良く知るひとりの人物を、じっと見つめた。
ここはおれの家ではない、ここは…。
ガイは布団を投げ捨て、ベットを飛び降りた。大声で叫ぶ。
「カカシィ!」
「朝からテンション高過ぎ、ガイ」
眠そうな目のままで台所からカカシが現われる。手に、大きさの異なる2つのコーヒーカップを持っている。
立ったままでカカシの姿を目で追っているガイに、カップの一つを押し付けるように渡した。
「お、おう」
カカシの様子があまりにも平然としているので気勢をそがれてしまい、手にすっぽりと納まる大きさのカップを持ったまま、ガイはその場へと座り込んだ。
カップからは、香ばしい湯気が立ち昇ってくる。大きく息を吸い込み香りを胸一杯に含むと、ほろ苦さの中に酸味のある匂いが体中へと広がった。
朝から、のんびりとした雰囲気に和んでいたガイだったが。
体に違和感を感じて、自分の体を、今更ながら、見た。
なんだ、これは。
首をかしげる。なんだ、これは。
からだの中央の、大切な部分だけれど、通常、人様にはあまり見せずに隠しておくナイショの部分に、見慣れない物質が張り付いていた。
小さすぎるほどの布地が、体にくい込むようにピッタリとくっついていた。大事な場所を守るという本来の役目を、全うしているのか疑問を投げかけたい気にさせる程、その布地は頼りなく、小さな形をしていた。横は紐といっていいような細い布しか、使われていなかった。
人はこのような下着を、総称してTバックのパンツと呼ぶ。色は黒だった。
これは、おれのものでは、ない。誰のものだ?
ガイは首をひねる。それに何故、今、こんな形のものをおれは身に付けているのだ?こういうものは、最近は買った事がないというのに。
ガイもその昔は、周りの者が身に付けているのを盗み見したり、買い物に同行したりして、今風な、ナウイモードのおしゃれパンツを購入していた時期があった。
鍛え上げた肉体の邪魔にならぬように、そしてより映えるように、小さ目の布地でデザイン性が際立っているものを好んで身に付けていた。デザインといっても奇抜なものから、シンプルで、そのラインのみで着用者の体をよりよく見せるものまで、あらゆるものを身に付けてみた。一旦興味を持つと、凝って、極めてみたくなる性分のガイは、形もイロイロ・色もイロイロ。多くのパンツを購入し身に付け、試行錯誤し、時を重ねた結果。
゛大事な部分を守る゛という、パンツ本来の使用目的に忠実な形。それがパンツ本来の姿ではないのか、という答えに辿りついた。
異性にもてる、その為には、気合としてそして見せパンツとして、おしゃれパンツは必要なアイテムだ。いろいろ試している間に、ここぞという時の為に用意しておいた勝負パンツをはいて出かける、その心踊る瞬間と、このパンツで大丈夫かなと思いながらの緊張感も経験した。
しかし教師として子供達と行動を共にするようになってから、そのおしゃれパンツがうっとおしく感じられてきたのだ。純粋に忍道を歩み、技を指導してゆく。そこに、おしゃれパンツは必要なのかと疑問に思えてきた。
いや、いっそ、邪魔なシロモノなのだと感じた。色気やらおしゃれっ気やら、そういうものは修行の前には不必要なのではないのかと、今更ながらに気付いたのだ。
見えない下着にすら気を使う。そういう心構えが悪いとは言わない。大事な事なのだとも思う。
けれど、一人の男である前に、一人の修行者でありたい。今は、そう思うのだ。子供達の前では、男でもなく女でもない、ただの修行者でいたかった。
だから、久しぶりのおしゃれな黒パンツを身に付けた自分の姿に、ガイは気恥ずかしさすら感じた。どうも、居心地が悪い。
しかもそのパンツは、サイズがかなり小さかった。足回りといい、お尻に当る部分といい、きゅうと締めつけてきて痛みすら感じた。
むう、とガイは肌を手でさすり、締め付けの原因である小さな布の、端と端とを手で持って、左右へ引っ張り力任せに伸ばした。
少し、楽になる。ホッとしたのもつかの間。
ちょっと、待て。そもそも、おれはなぜ、ここに、カカシの家にいるのだ?
カップの中の褐色の液体を見つめながら、ガイは考えてみる。けれど、頭に靄がかかっているようで、うまく頭が働かないのだ。寝起きとはいえ、どうもいつもと様子が違う。
目の前で、椅子に座って熱心に新聞を読んでいるカカシに、声をかけてみた。
「おれは、なぜ、ここにいる?カカシ」
「うっわ〜何を聞くかと思ったら。朝から哲学的なコト、オレに話させようって言う訳?ビックリさせる奴だな、お前は」
そう言って、カカシは新聞に落としていた視線を上げた。
「手短に言うとねえ。んんと、そもそも、モノは必然性があるからその場所に存在する訳。でね、お前もその例外ではないって事で。そもそも存在というものは、分かりやすく言うと、確かなように見えてもろく儚いものであって、つまり、一ヶ所にじっとせずに移り変わる頼りない現象があるからこそ、その根本である…」
全く手短ではなさそうなその説明は、止めなければその後もずっと続いてゆきそうだった。自分が欲する問いかけに対する答えとは違う言葉の羅列に、ガイはしかめっ面をする。
「ちょっと待て、カカシ。おれが聞きたいのは、そういうことではない」
得意げに話していたのを途中でさえぎられて、カカシはふくれっつらをする。口を尖らせると、
「―――― 酔いつぶれてたいくら蹴っても起きてくれないオレの布団を返せオレの3日ぶりの睡眠を返せここは宿泊所でも宴会所でもないぞ何でベッドを占領してるんだデカイ図体して何様のつもりだまったくお前なんて大嫌いだ」
抑揚のない口調で、区切り無く一息で言った。そしてカカシは、ガイを睨んだ。
「誰の部屋だと思ってるんだ」
「…そう言われても、んむ…」
突然叱られて、困ったようにガイは呟いた。言われている意味が分からない。
おれが、酔いつぶれていた?何の事だ。
改めて部屋を見まわしてみれば、あちらこちらに酒ビンや空き缶が何本も転がっている。空になったつまみの袋も投げ出された様子で、お菓子のクズと共に散乱していた。
ガイはう〜んと唸り声を上げた。
足元に転がる1本のビンを手に取ってみる。南の国で作られている、通好みの地酒だ。これはアスマの好んで飲む銘柄だが。
アスマ?そうだ、昨日は…。
思い出そうと、霞のかかった重たい頭を振ってみた。この重さは、酒のせいか?
ガイは、おぼろげな記憶を辿る。昨日は、確か。
夕方から、気の合った者たちと、馴染みの飯屋で酒盛りをしていたのだ。閉店時刻になって店を追い出され、その時点でかなり酔っていたので、千鳥足でふらふらと、誰かの後を付いて歩いて。ええと、誰だったか。
それで、壁をよじ登れと言われて。何故だと聞いたら、鍵がないからだと誰かが言って。それじゃあ仕方ないなと納得して、壁をよじ登って2階の窓ガラスを壊して中へと入ったのだ。
次に気付いた時には、目の前で何がおかしいのか分からないけれど笑いっぱなしのハヤテがいて、その横で、青い顔で洗面器に顔を突っ込み吐いているゲンマがいた、ような。その向こうでアスマと紅とアンコが、どれだけ飲めるかガマン大会のようなものをしていた、ような。他に誰がいたのか、その辺はあいまいなのだが。
かなり酔っているアスマに、お前も飲めと勧められ、機嫌良く瓶を逆さにしてラッパ飲みした事だけは、覚えているのだが。
その後がどうも、あやふやだ。いつのまにか、眠ってしまったようだ。
夢を見た。体を蹴られて、そこをどけと言われて。ひどく怒られている夢だった。
だが。あれは、夢なのか?そして、一緒にいたメンバーはどこにいるのだろうか。
「あいつらは、どうした?」
「知るもんか。オレが帰ってきた時には、お前が一人ベットを占領して、うるさいぐらいの大イビキをかいていた」
帰ってきた?カカシは、昨日、どこにいた?一緒ではなかったのか?
おれは窓ガラスを割って、ここへ入ったのだ。誰が、鍵がないと言ったのだ?そもそも、誰がここで飲みなおしだと言ったんだ?
「お前は、いなかったか?カカシ」
「不法侵入で訴えて欲しい?ガイ」
カカシの指差す先に、新聞紙が張られた窓があった。床に、割れたガラスが散らばっている。
「どうも、細かい所を覚えておらん」
頭をかくガイに対して、カカシはかなり不機嫌な様子で。
「散々部屋を散らかしておいて、その上、何?その格好。失礼すぎ」
「お、おう」
ガイも、さっきからずっと、気恥ずかしかった。とはいえ、ある゛もの゛を目で捜してはいるのだが、どこにも見当たらない。
ガイはまだ口を付けていないコーヒーカップを床の上へと置き、部屋中を歩きまわった。しかし、どこにも落ちてはいない。どこで脱いだ?どこにある?
愛用の緑のスーツが、どこを捜してもなかった。
黒のパンツ姿でウロウロとそこらじゅうをさ迷っているガイに、カカシは迷惑そうな目つきで言った。
「だから早く、目に眩しい、例の服を、着たら?」
「それが、見当たらないのだ」
困ったな、と呟きながら、隠したのはカカシ、お前ではないのかと疑うような目つきでガイは見た。疑われて心外だと言いたげに、カカシは口を尖らせる。
「オレ、知らないよ」
「本当か?」
「お前のような最悪・不法侵入常連者を警務部隊に突き出してない心の広いオレが、そんなコソコソした事するわけないでしょう」
それもそうか、とガイは納得した。カカシの家へ無断で上がり込み、今日のように寝てしまう事は過去に何度かあるけれど、脱いだ服を隠された事は、今まで無かった。
だがとりあえず、いつまでもこの格好ではいられないな、とも思う。
「とにかく、服を貸せ、カカシ」
「いや〜だ」
「何でもいい。少しの間、貸せ」
カカシの着ている服を引っぺがしそうな勢いで、ガイは顔を寄せてくる。カカシは仕方がないというようにため息を付くと、引き出しに手を伸ばした。白のTシャツを引っ張り出し、ガイへと投げてよこした。
上着だけかとガイは呟きながら、それでも手早く身に付けてみたものの。
「なんだこれは。ピッチピチではないか」
確かに白のTシャツは、ガイの体のサイズには合ってはいなかった。
首の付け根で引っ張られ、肩で引っ張られ、胸で引っ張られ、おまけにニの腕でも引っ張られていた。元々、横幅が狭い上に、おヘソが丸見えない位、丈も短かいのだからしかたがない。そんな風にピッタリと体にくっついていて、布地の上からでも、体のラインがありありと見て取れた。
「…あんまし、伸ばさないでよ」
そうは言いながらも半分諦めたように、カカシは呟く。
ヘソのあたりの布を無理やり引っ張り下ろそうとしながら、ガイは肩をすくめた。
「子供用か、これは」
「ホントに失礼しちゃうよ。それはカカシ様ご愛用の、寝る時専用ジャストフイットTシャツだよ」
「寝る時専用、だと?」
「何度も洗濯して着慣れてる、肌馴染みがいいTシャツだけが、゛寝る時専用゛に任命されるんだ。居心地よく睡眠を取る為に選び抜かれた逸品だよ」
「…だたの、古着ではないか」
勿体つけるなと言い放ったガイの言葉に、むっとしたカカシは、放っておいてくれとばかりに背を向け、再び新聞をめくる。
ガイは床に座ろうとして、まだ湯気が出ているコーヒーカップに気が付き、台所へと行く。牛乳パックを手に戻ってきた。
牛乳でカフェインを薄めて、胃を守ってやるのだ、と日々、豪語している。それでなくても、常日頃、好物の辛い物を取り込んで、胃には過度の負担をかけているのだ。朝くらいはマイルドなものを、と周りには言っている。
けれど本当の所は、ブラックだと苦いので苦手だった。飲めない事はない。けれど日常では、砂糖は入れないが牛乳で薄めないと、飲みにくい。それはガイの、ちょっと隠したいナイショ事だ。
ガイは床へと腰を下ろし、持って来た牛乳パックへと直接口を付け、ドボドボと音を立てて牛乳を流し込んでゆく。飲みこまずに口に含んだ中へ、コーヒーを流し入れる。口の中で攪拌し、飲み込んだ。それを数回繰り返す。
コーヒーが半分ほどになったところで、ようやくコップの中へと牛乳を注ぎ込んだ。
ゆらゆらとコップを揺らして、中の色が変わってゆく様をながめていたが。あっと気付いてガイは顔を上げた。
「さっきの話の続きだが」
「ナニ?」
「寝る時に服を着るという、その神経が気にいらんな」
「そ?」
「しかも、こんなピチピチなものを」
「お前にはピチピチかもしれないケド、俺にはジャストフィットなんだよ」
「いつも言っているように、血液循環を良くする為に…」
片手にコーヒーカップ、もう片方には牛乳パックを手にし、上はピッチピチのTシャツ・下はパンツ一丁の変な姿のままで、演説そして説教口調に突入しそうなガイを察知したカカシは、素早く、ガイのその下半身を指差した。
「じゃあ、何故、パンツはいている?ガイ」
「んむ?」
「ノーパンツ健康法推奨者のクセに」
「お、おう、それはそうなのだが…」
「だいたい何、そのパンツ。ピッチリムッチリしてんじゃん。エッチくさいよ」
言われなくてもガイにも分かっている。極限まで布を省いたそのTバックのパンツは、ガイのお尻の肉を上へと持ち上げた格好で、肌にピッタリと張りついていた。後ろがピッタリならば、前ももちろん同様だった。サイズもかなり小さめなので、必要以上に張りついていて、中に収まっている物体の状態もクッキリハッキリ、布の上からでも分かるようだ。
気付いてカカシは、持った新聞紙を口元まで下げると、目をパチパチさせた。
「なんかヘンな事、考えてない?前が…」
「か、考えるわけなかろう、お前相手にぃいっ!」
とはいえ、念の為に前を隠そうとしたガイは、あわててTシャツの裾を引っぱるが、伸びる余裕のない布地はビリビリと音をたて、裂けた。
「お前ってそんなピッチリパンツ、いつもはいてたンだ」
それほど興味も無さげな声で、けれどカカシは視線を、鋭くガイのその部分へと送る。ジロリとにらんで言った。
「しかも、黒ときたよ、この人は!」
「カカシィ!」 ガイはくるりと後ろを向く。
「何、恥ずかしがってんの、自分のパンツ姿に自信持ってんでショ、だからそのイヤらしさ倍増の黒い色を選んで、身につけてるんでショ」
「―― おれの…」
ガイは後を振り返りながら、恥ずかしそうにカカシを見た。
「―― おれは…」
最後が聞きとれなくて、カカシは嫌味ったらしく指を突っ込み、耳の穴を掃除している体をとる。
「―― おれが…」
「聞こえないよ」
わざと意地悪く言い放ち、カカシは顔を、天を仰ぐように上へと向ける。そんなカカシを見上げながら、ガイは、恥ずかしさの反面、怒りすら覚えてくるのだった。
パンツひとつでこんな風に恥ずかしがる、おれは何と気弱い男なのだ。何が恥ずかしいのだ。たかだか、布切れ一枚の事ではないか。
ガイは意を決したように、カカシへと向き直る。腰に手を当て、必要以上にふんぞりかえった。
「昔のおれは、こんなおシャレパンツもはいていた。だが、今のおれが愛用しているのは、普通の純白パンツなのだ。知っているだろう!」
ただの白ではなくて純白。それも普通の。ガイがそういうパンツの愛用者だという事実を、知っていて当前のように言われて。何でそんな事知らなきゃいけなんだと、カカシはふてくされたような表情をする。
「ああ、でもこの際、白とか形とか、そんな事はどうでもいいのだ」
ガイは大きく息を吸った。黒のパンツの、腰のあたりをバシバシと叩く。
「おれが身に付けているこのパンツは、一体誰のパンツだ」
カカシへのその問いかけは、無視されてしまった。
ガイは落ち付こうと、コーヒーを一口飲んだ。良く考えてみようと、また座り直す。集中するように、一点を見つめた。
確かに昨日、へべれけになって、いい気分で横になった時に、身につけているものは全て脱いでしまった筈だった。ここが自分の家ではなく、カカシの家だろうがどこだろうが、ガイのマイペース性には、そんな事は関係なかった。とにかく゛任務以外では、寝る時には何も身につけない゛。血行促進の為に、実行している自分ルール就寝編だった。
あの時、酔ってはいたけれど、いつものクセで確かに、スーツとパンツを重ねたままで一気に脱いだ筈だ。ベッドに寝転んでから脱いだので、足にひっかかって、引っぱったけれど脱げなくて、あきらめて片方の足に引っかけたままのはずだったような気はするのだが。
しかしマイ白パンツと共に、マイトスーツも行方不明。そして気が付けば、所有者不明の、ピチピチ黒パンツを身につけていた。
カカシにはイヤらしいと言われたけれど、かといって今、このピチピチ黒パンツを脱ぐわけにもゆかず、ガイは困った。唯一の頼りの上着のシャツも、前半分はさっき引っぱりすぎて破れてしまい、ボロボロになっている。これでは前は、隠せない。
マイトスーツとマイパンツを捜索し、けれどこのまま見つからなかったら。この格好で、家へ帰らねばならないのか?
どうする、マイト・ガイよ。ガイは自分に問いかける。
カカシがさっきから、ずっとこちらを窺っているように、ガイには思えた。そんなカカシの姿を、ちらちらと気にしながら。黒パンツの持ち主が誰なのかを推測してみた。
パンツをはかせた者が、もし昨日一緒にいた誰かだとして。普通に考えたなら、泊まりの仕事でもないのに、替えのパンツを持ち歩く者はいないだろう。というよりも、2〜3日は同じものを身に付けていても、さほど気にしないメンバーだったような。となると、昨日ここにいた誰かが自分のパンツを脱いで、はかせたのか。そして自分はノーパンツで帰った。そんな事があるのか。
もし冗談でそんなことをしたとして、ガイがどう反応するのか、残ってその結果を見届けないというのはおかしい。それともそんな行為自体を、酔って忘れてしまったというのだろうか。
一体、誰がそんな事をするというのだ。ガイは考えてみる。
ハヤテか?おれにこんなパンツを着せて、何が面白い。そんな事をする奴じゃない。どうも、考えにくいな。ゲンマか?あいつはずっと、吐いていたんだ。そんな余裕があるようにも思えん。では、アスマか?この中では一番怪しいが、もしそうだとしても、あいつがこのようなオシャレなものを身に付けているとは、想像が出来ん。それに体格から考えても、パンツのサイズが小さいような気がする。おれでもキツキツなのだ、あいつには無理だ。だとしたら。
カカシが犯人なのは明らかだ、とガイは思った。ガイが嫌がると知りつつ、この黒パンツをはかせたのに違いない。
どう考えても、カカシが怪しい。ここはカカシの家なのだ。予備のパンツなど、いくらでもある。なにより、このピチピチで少々小さなフィット感が、゛寝る時専用"Tシャツと同じく、カカシのサイズを示しているような気がする。
昨日ベッドを占領した事に、腹を立てているのだろう。それしか考えられなかった。疲れて帰ってきて、さあ寝ようと思ったら、招かざる先客がいてベッドを独り占めにし、気持ち良さそうに大イビキをかいている。しかもスッポンポン。自分の家ならともかく、人の家でも同様に、いい歳をした大人がお尻丸出しで寝ているなどと、その態度が失礼きわまりない、と怒りたくなる気持ちも分からなくもない。
留守宅に勝手に上がりこまれるのも、ベッドを占拠されるのも、過去何度かの常習で、大目に見て許していた事とはいえ。その日に限って、カカシも、任務で何かあって虫の居所が悪く、堪えきれなかったのかもしれない。
だから今日こそは、ノーパン推奨派の男にパンツをはかせて、しかえしのような事をしてやろうという、ちょっとしたいたずら心なのか。
けれど。ガイは、カカシへと視線を送った。
お前が眠るスペースは、開けておいたではないか。これでもおれは気を使って、ベッドの端に身を寄せて寝ていたつもりなのだ。ただ、起きた時には何故かベッド全て占領して大の字で寝ていた、それが不思議なのだが。
だがそれは、おれの本位ではないのだ。カカシお前なら、おれの心根を分かってくれていると思っていたのに。
だが、待てよ。
カカシが黒パンツをはかせた犯人だとしても。マイト・スーツを隠したのはカカシではないような気がした。
ガイにとって緑色のスーツは、他のものに替え難い、非常にお気に入りで大事なものだ。その事を知っているなら、冗談でも隠すなどという事を、この里の忍であれば誰もやらない。
そうとバレればガイに、どれ程過酷で人知を超えた、修行という名の報復が為されるか、皆知っているのだから。
では、おれのスーツは一体どこにいってしまったのか。ガイは腕組みをして、さてどうしようかと思案する。
また、カカシの視線を感じる。じろと見返すと、さっと、新聞の影に顔を隠した。ガイのどこを見ているのか分かりかねた。けれど、見ているのは間違いない。
カカシのその、こそこそとした様子が大変気にかかる。一体、どこを見ているのか。
ガイは時計を見た。任務に行く時間が迫っている。一旦家へと帰り、仕度をしなければ間に合わない。パンツごときで遊んでいるヒマはないのだ。
どうする、マイト・ガイよ。やはりここはひとまずカカシに協力を仰ぎ、マイト・スーツを捜させるか。それとも他の服を出させるか。
いや、しかし。
カカシの視線を未だ感じる。ちら、と見ている。おれがどう切り抜けるのか、面白がっているようにも見える。
むむ。どうすれば。
こうなればこの黒パンツのままで、家まで全力疾走しようか、とガイは思う。目にも止まらぬ速さで疾風のように里を駆け抜ければ。緑のマイト・スーツを着ていないならば、誰もおれだと気付くまい。絶対に。きっと。たぶん。そうであって欲しい。
ああ、もう時間切れだ。
ガイはコーヒーを一気飲みし、牛乳パックの中のものも飲み干した。
新聞を二つ折りして熱心に読んでいる風を装っているカカシの目の前へ、カップを突き出す。
「コーヒーを入れるのだけは、上手だな、カカシ」
「…だけ、じゃないよ」
「また入れてくれ」
そう言うやいなや、破れて役に立たないTシャツを脱ぐと、ガイは部屋を出ていこうとする。そのパンツ姿のままで?と驚くカカシに目もくれずに、ガイはいつも以上の速さで、急ぎ部屋を去ろうとする。
正直、ガイの心の中では、ドキドキと胸が高鳴っていた。布一枚だけで隠しているその事が、なぜだか妙に、気恥かしい。これだったらパンツなしの真っ裸の方が、いくらかマシに思えてくる。
どこまで自分を苦しめるのか、この黒のピチピチパンツは。
だがこの締めつけるようなフィット感、最初は少々痛くも感じていたのだが、慣れてしまえば、黒の色合いと共に、日夜鍛えしナイスなこの肉体を、よりナウく見せてくれているような気もする。
ナイスなナウ、マイト・ガイ。このコスチュームで闘ったならば、ナウなパワー倍増かもしれぬな。カカシの写輪眼など、恐るに足りぬぞ!
もしかすると、木ノ葉の里全部を吹き飛ばすパワーが出るやもしれぬ。八門遁甲における潜在的な力も、今までとは比類ない、莫大なものになるやもしれぬ。里一番の、術使い、マイト・ガイ!おお、体術万歳!
そうなったら、この素晴らしい術を体感し極めようと、里内外から弟子志願の者が殺到するやもしれぬな。体術名師匠、マイト・ガイの名声は、あちこちに知れ渡るということだ。そうなったら、今は忌まわしいこの黒パンツは、幸せの黒パンツになるというものだ。
いや待てよ、世の中へと知れ渡り、誰彼なしに技を覚えられては、忍者としては命の危機だ。それは困る。大変、困る事だぞ。……。
ガイは恥ずかしさを意識の外へと追いやろうと、つとめて別のことを考えようとしていたが。色々と空想するうちに、本気で困ってしまっていた。
走るガイの真向かいへと、誰か歩いて来るのが見えた。なるべく人のいない所を選んで猛ダッシュしているのだが、突然出てきた小さな人影を目にして、ガイは現実へと引き戻された。やはり恥ずかしい。顔から火が出そうだった。顔が赤くなるのが、分かった。
持ち得る全ての力を注ぎ込んで、フルパワー全開で、超高速猛烈ダッシュしかない。ガイは心を決めて、黒のパンツ1枚の姿で、これ以上ない位のスピードで里を駆け抜けてゆく。
その日、朝方近くになって家へと戻ってきたカカシは、なにやら嫌な予感があった。扉を開けて、やっぱりと呆れたようにため息をつく。
それなりにキチンとかたずけていった筈の部屋の中は、足の踏み場もないほどに、食べ物カスやら空き袋、空き瓶、つぶれた空き缶などが散乱していた。そしてシンと静まり返る中、ごうごうという鼻息のような、イビキのような轟音のみが響いていた。
カカシは再度、大きくため息をつく。
誰かが、とはいえ、その誰かは大体分かるのだが、カカシが留守の間に勝手に入りこんで、宴会の真似事をやったようだ。しかも、大イビキで寝ている者以外は、跡形無く、とっくにここから去っている。カカシが何時頃帰ってくるのか、あらかじめ知っているようでもある。
逃げ遅れたのか、それとも逃げる気がないのか。それとも仲間たちを助ける、人身御供のつもりなのか。寝室へと入らなくてもカカシには、ベッドで気持ちよさそうに寝ている男の様子が、頭の中に容易に想像出来た。
布団を縦に二つ折りにして、足の間に挟んでいるか、それとも、仰向けに大の字で開放感たっぷりな様子か。そのどちらにせよ、100%の確率で、裸の姿に違いない。パンツすら、身に付けていない筈。
3日ぶりに柔らかいベッドで眠れると、喜んでいたのに。しかも、カカシにしては珍しく、任務前にシーツや布団カバーを洗濯し、キレイなものへと交換していったのだ。あの手間は、一体何だったのか。誰の為にオレは、日頃し慣れない家事労働をしたんだろう。絶対に、こんな奴の為ではない事だけは確かだ。
カカシは、ガックリと肩を落とした。
疲れているのと眠いのとで頭が重い中、ふと下を見ると、玄関脇に小包みが置いてあるのに気付いた。送り主は通販会社となっていて、「衣類」と明記してある。
それを目にしてカカシは嬉しそうに、その小さな小箱を抱えた。どこで開けようかとキョロキョロする。目の前の部屋の中は、座る場所すら見つけにくいほど、酷く汚れていた。結局、その場で座り込んだ。乱暴に、箱を開ける。
「やっと来たよ、いつも品切れで。どれだけ待った事か」
中から、四角の透明な袋に入った黒いものを何枚か取り出す。急いで包装を破ると、中身をつかみ出した。
両手で持って、顔の前で、広げてみる。
センスあるお洒落な人の中で密かに人気の、ひとあじ違う、ビキニライン。計算され尽くした絶妙なカッティングが、足をより長く見せてくれる割にきわどくなく上品なのだと、任務先でその情報を耳にした。誰よりも早く手に入れたいと思う男心は、けれど待たされる事、数ヶ月。
待ちに待った、黒のパンツ。嬉しくて鼻歌でも歌いたい心境だった。やっと手に入ったと、カカシはにんまりして自分の身に当ててみた。
…… あれ?ちょっと、小さいカモ?でも、伸びる生地だし、ダイジョウブかな。
慌ててその場で、実際に肌に付けてみる。はけない事はないのだが。やはり少しキツかった。なにもしないのであれば大丈夫かもしれないが、任務中だと、動きをかなり束縛しそうだった。
何だ、ガッカリだ。カカシは手に持った黒パンツを憎らしそうに見た。
一旦開封して身に付けると、返品・交換出来ないのだ。その事に気付いて、カカシはこれまた、悔しい気持ちになる。
他のものもサイズ変更の為に返送して後、次の商品がすぐに送られてくるとは限らない。来るのはまた、数ヶ月後かもしれない。また待たされるのかと思ったら、これまた、腹立たしい。もう、いらない。全部、返品してやる。
失望感が強く怒りも強く、むかっとして口を尖らせ、カカシは立ちあがった。依然、耳には轟音が聞こえてくる。これにもまた、むかついてきた。
この男を気持ち良く眠らせる、その為に、オレはシーツを洗濯したんじゃないのに。
寝室へと行き、ベッドを見下ろした。ガイの艶のある黒髪の合間から、額が見え隠れしている。入ってきたカカシに全く気付く事無く、ガイはまことに良く、寝ていた。思った通りガイは裸で、丁度寝返りを打って、仰向けの大の字から横向きになったところだった。
鼻からちょうちんなど出しそうな勢いだが、実際は、口からヨダレが垂れていた。カカシの洗濯したての枕カバーに、丸くシミが出来ている。
悔しい。どうしてそんなに気持ちよさそうなんだ、お前は。そう思ってカカシは、指先で、ガイの頬を思いっきりつねってみた。
うるさそうに手で払いのけられてしまう。起きる様子は全く見られない。そして、前にも増して、イビキの音が大きくなった。
洗濯したてのものを、先に使われたという事も腹立たしいが、服を着ているならまだしも、素肌で、しかもなんだかかなり、酒と汗のニオイがしている。
昨日は風呂に入らずに寝たのか。酔っていたならそれも仕方ないのかと思いつつも、ガイのニオイの付いたシーツでは寝る気にはとてもなれずに、また洗濯し直さなければならないかと思うと、カカシはまたまた腹立たしくなってきた。
怒り心頭の、今の自分の気持ちを込めて、カカシはガイのぷりんとして形良いお尻を後ろから蹴ってやった。すぐに、イビキが止まる。
「そこ、どいて、ガイ」
起きたら文句を言ってやろうと見ていると、ガイは指先で、カカシの足が当った部分を2・3度、ぽりぽりと掻いただけで、また、イビキをかきはじめた。起きないのかと、カカシはまた、むっとする。
なんだよ、もう。マジメに仕事しているオレが、どうしてこんな目に遭うんだよ。
カカシはずっと、黒のパンツを握り締めたままで、眼下のガイの、開放感溢れるお尻を見ていたが。
そうだ。カカシは手に持ったままの、黒のビキニパンツの事を思い返した。あることを思いつく。
目の前の男は、これ以上無いくらい血液の循環がよさそうだ。ならば、このパンツをはかせてみたら。
カカシにとっては、ほんの少し小さいパンツだが、この男にはかなりきつく感じるに違いない。もしかすると、脚の付け根やら締めつけて痛いかもしれない。けれど、酔って寝ているなら、起きる事は無いだろう。
このパンツの締め付けで、お前の体の血行を悪くしてやる。一回使ってもう返品出来ないなら、そういう使い道もありだろう。
そうやってガイの血行を阻害して、少しだけ鬱憤を晴らしていたカカシだったが。
目の前を黒のパンツ1枚でウロウロする、ガイの姿をチラチラと見ていたら。
゛センスある洒落人の中で密かに人気の、ひとあじ違う、ビキニライン。計算され尽くした絶妙なカッティングが、足をより長く見せてくれる割にきわどくなく上品゛という振れ込みは、大げさではなかった。やっぱり、オシャレっぽい。
目の前のガイは、普段見なれているガイよりも数段カッコイイ男に見えた。 何より、足が長く、腰の位置も高く見えた。お尻も、持ち上げられていつもより張りがあるようだ。
これは待たされても是非、買わなくちゃ。カカシはガイの姿をチラチラと盗むように見ながら、ウキウキしていた。ガイであんなだから、オレだったらもっと。
黒パンツをはいた自分の姿を想像しながら、カカシは既に上機嫌になっていた。
ガイも、もう充分困ったようだから、カンベンしてやって何か服を出してやるかな、と思っていたら。突然Tシャツを脱ぎ、部屋を出ていってしまった。
呆気に取られながら、黒パンツ1枚のままで走ってゆく姿を窓から見送っていたカカシは。床にガラスが飛び散っている窓の新聞紙の膨らみが気になって、剥がしてめくってみた。
あれ、ここに…。
木に登って人をやり過ごし、また走り始めたガイだったが。
木立から漏れる光をその身に受けながら、若葉生い茂る林の中へと進入した瞬間。きらめく光のように、頭の中へとその瞬間が蘇った。
あっ。あそこだ。
ガイは夜中に目が覚めた。どこかから風が入って来るようで、背中が少し寒い。
片足にひっかかったスーツを引っ張って脱ぎ、トイレへ行くついでに部屋をさまよってみると、割れた窓に貼った新聞紙が、ヒラヒラと揺れていた。
上部だけ丁寧にテープで止められてはいるのだが、下の方は適当に貼ってあった。あの時も風が入ってきて、そういえば上はハヤテが貼って、下の方はアスマが貼っていた。
ここから風が洩れて入ってきていたのだな、何か塞ぐ物はないか。ガイは眠い頭で考えてみたが、人の家なので、どこに何があるのかが分からない。
もういいか、と寝室まで戻ってきてみれば、脱ぎ捨てたマイト・スーツが目に入った。
これだこれだ。伸縮性・気密性・保湿性に富んだ材質。これで塞いでおけば、風など入るスキマはない。
床に落ちたカンや瓶を蹴るようにして戻り、新聞紙の上部分から剥がそうとしたが、結構しっかりと貼られていて、無理に引き剥がすと塗料がハゲそうだった。
この新聞紙はこのまま、張っておくかな。ガイは適当に止められた新聞紙の下半分をめくりその下へ身を滑り込ませて、テープで隙間無くマイト・スーツを貼りつけ、窓枠と密着させた。
少し離れてその部分を見ると、さっきまで揺れに揺れていた新聞紙が、全く動かない。
ガイはマイト・スーツの威力を改めて感心しながら、ほろ酔い加減も心地良く、またベットへと戻って行ったのだ。
カカシは腕組みをして、窓に張られたマイト・スーツを見た。
「ガラス屋が来るまで、このままにしておくか」
確かに風は、入ってこない。しかし、この緑の物体は、外からはどういう風に見えているのだろうか。
「まあ、いっか」
カカシは荒れた部屋を見まわしながら、誰のツケでお掃除サービスを雇おうかと考え始めた。
(終) |