お前の事を、想うから(秋霖U)

注)これは、「秋霖」の続きのお話です。

 ガイは、意識無く眠ったままでいるカカシの部屋へ、決まった時間ではないものの、ほとんど毎日のように姿をみせていた。そして、部屋を後にする時には、いつも、その目は涙で濡れていた。
 カカシが、うちはイタチの瞳術に倒れた当初には、ほとんど顔を見せなかったけれど、最近になって里に身を置いている限りは、必ず部屋へとやって来るのが常だった。たとえ、顔を見るだけの短い時間しか取れなくても。
 変わりばえしない容態と共に過ぎてゆく日々。
 その中で、一ヶ月を越えるあたりから、いつも濡れて赤い色をしていたその目は泣くのを止めた。その代わりに、何か考えを秘めた目つきをするようになっていた。心の中にある不安さを隠さずに表わすと共に、新たに、何かの覚悟を決めた人間が見せる表情が付け加わった。
 交代で見張りをしている年若い下忍の間でも、その事が話題に登るようになっていた。
 はたけカカシの事を、誰もが気にしていた。それと同じくらい、見舞いにやって来ては目を腫らし、その上でなお見張りの下忍たちへの気遣いを忘れないマイト・ガイの事をも、気にしていたのだった。
 最近になって、部屋へと向かって来るその姿が、知っている上忍とは、どこかが違うように思えると、皆、異口同音に口にする。想像するその理由は、多種多様だ。
 いつも明るく振舞っているけれど、多少は無理をしているのではないのかと言う者。
 毎日のように泣いているようなので、もしかして、流しすぎて涙は枯れてしまったのではないのか、けれど泣きたい気持ちは相変わらず持っているから、流したくても涙を流せないという、つらい状態に置かれているのではないのかと言う者。 
 もしかして、眠っているカカシよりも、ガイの方が「意識」という見えない敵と闘っているのかもしれないと言う者もいた。無意識で眠る友に対峙し、その姿を見続け、見守り続ける。そんな、いつ終わるともしれない、終りの見えない闘いを。
 病院では効果的な治療法がないという診断結果を受けて、カカシは自宅での療養へとその身を移された。日に何度か、医療班の者が派遣されて様子を見に来る。
 過去の書物を紐解き、少ない諸例を参考に施される数少ない治療は、どれひとつとして意識回復の手助けになる事はなかった。
 どこへと繋がるか知れない暗闇をさ迷う友の、その状態を見守りつづけているガイの、その身に蓄積しているであろう心配や不安といった全ての疲れによって、ガイ自身の身が持たなくなるのではという事を危惧する者もいた。ガイの為にも、カカシの意識が戻ればいいのにと願う者もいた。
 自身の身体を壊しかねないほど心配し、追い込まれているかのような状況を、下忍の誰もがガイの様子から容易に見て取っていた。
 最初のうちは、ガイの涙の様子を笑っていた下忍達ではあったのだが、日が経ち半月に近くなる頃には、その笑いは不謹慎であるように思えてきた。そして自分には、これほど思ってくれる友がいるのだろうかと、皆一様に思い返すようになってくる。
 最初はカカシの身を案じて集って来ていた見舞いの客も、10日を過ぎるあたりからは、ほとんど途絶えるようになっている。自分の仕事に忙殺されて、他のものを構う余裕すらないのだろうが、結局、今は、ガイひとりが毎日のようにやって来ると言っても過言ではないのだった。
 ガイは扉のノブに手をかけて、けれど、すぐには開けはしない。自分に言い聞かせるように。慌てず落ちつかせるように。大きく深呼吸をしてから、俯いていた顔を上げ、勢いよく扉を開く。部屋へと入ってゆくその背は、別の人のように見えたものだ。心の中に巣食う気懸かりは、いくら隠そうとしても全てを隠す事は出来なかった。
 カカシの容態は変わる事無く、ずっと平行線を辿るばかりだ。何か、現状を打破する方法は、ないものか。
 皆がそうやって気を揉む中、三忍のひとりと言われ、その手に医療技術の粋を極めるという綱手の、その能力も頼みのひとつとされていた。だが、どこへ行ったものか、ゆくえは未だ、掴めてはいなかった。
 下忍達は今日も気重い心を抱えて、カカシの部屋の見張りに立つ。
 先ほど部屋へと入って行ったガイの目には、涙はなかった。けれど、曇ったような色の中に確実な悲しみと、何かを思いつめ、それに囚われている苦しみが見て取れた。

 ゛かけられた瞳術で、心身ともに痛め付けられ疲れ果て、体力回復のために今はただ眠るだけの生活゛
 医療班としては、そんなカカシに対して、持ち主の意思とは関係なく体が持つ自己防衛本能で、意識レベルを無くすかそれとも外界へ反応できないほどの低いレベルを保つことによってダメージを受けた精神の安定を図っているのでは、との見解が多数だった。
 医療班の者が集う休憩室の片隅で、白衣を着た三名の男たちが、たわいない噂話に花を咲かせていた。その中の一人が、はたけカカシと記されたファイルの、今日の申し送りのページを開いた。
「それにしても、なかなか目が覚めないね、カカシは」
「かなり強力な攻撃を受けたのだろうな。だから治る為に、時間を必要としているんじゃないか」
「それにしては、時間がかかりすぎのような気がする」
「肉体は、もう既に通常の状態にまで回復しているようだが。何故意識が戻らないのかが分からない」
「確かに回復が遅すぎるな」
「今のように、なかなか意識が戻らないのは、術自体に現実へと戻らぬように何か゛仕掛け゛が、されているか、それとも普通では考えられないような、多大な疲労をしているか」
「そこなんだ。疲労がどの程度であれ、果たしてカカシには、戻る気は、あるのかな」
「気が無いから、いつまでも、ああして眠ったままでいるのだと?」
「それも一理あるな。なにせ、目覚めが遅すぎる。かなりのダメージだったとしても、今までだって似たような死線を何度もくぐり抜けて来た奴だ。普通だったら戻っていてもおかしくはない。戻る気が無いから目覚めない、と考えるのもうなずける」
「ダメージが強すぎて、戻りたくても戻れないのか。それとも、戻る気が無いのか」
「どちらか、今は判断出来ないって事だけど」
「どちらにしても、状況は同じだがな。目を覚まさないという点においては」
「だけど、どうして戻りたくない、などと?さっきも言ったように、このような場面は初めてではない筈だ。何故、今回に限って戻りたくないなどと考えたりする?」
「さあな」
「意識が戻らなくなって、かなりの時間が経っている、それだけが気になるだけだ」
「あのさ、本人が自覚しないところで、いつの間にか心の奥深くで、生きる事に抗う気持ちが生まれていて、それが今回、表面に表れたのかもしれないと思ったりするんだ。だから、直接の原因など、無いのかもしれないけど」
「今までの積み重ね…良い意味じゃない、心の中の負の蓄積がずっとあった。それが、意識を失った機会をこれ幸いと、この世へは戻らないと決めたって事か?」
「どうだか、分からないが」
「けどでも、その気がなくては、どんな治療も効果ないって事だ。ほら、自来也様が探している…」
「ああ、医療のエキスパート?三忍の1人で火影さまの孫の…」
「その方を見つけ出して里へ連れ帰ったとしても、肝心のカカシに」
「その気がなきゃ、効かないか?そりゃ、いろいろと方法があるんだろう。俺たちには想像もつかない方法で」
「こっちの都合お構いなしで、意識さえ自在に操る事も出来るというのか?」
「…さあな、そこまでは詳しくないが」
「とにかく、カカシの体調管理だけは頼むぜ。今より悪くさせるな」
「心得ているよ」
「ああ、そうだ。さっきカカシの病室へガイが訪ねて行くのを見たぞ」
「カカシの部屋へ?」
「ガイ、どんな様子だった?」
「元気が少し、なかったな。カカシがあの状態だから、いつも元気印の男でも浮かない気持ちになったりするんだろう」
「見た目が元気ない?それってかなり」
「かなり?」
「重傷だな」
「つい最近まで無理やり大きな声出したりして元気を装っていたようだったけど」
「…ガイ、何かブツブツ言っていたぜ。入れ替わりでオレが部屋を出てすぐ、扉越しに何やら聞こえてきた」
「カカシがあんな状態なのに、この上ガイまで様子がおかしくなるなんて、勘弁して欲しいよ」
「それで、何を言っていたんだ、誰に、何を?」
「そりゃ、誰にって…お前」

 医療班と入れ替わるように部屋へと入って来たガイは、カカシの横たわるベッドへすぐには近付かずに、入口近くで立ったまま、しばらくぼんやりと窓越しに空を眺めていた。
 雲ひとつない空は、明るく澄んでいた。
 浮かない顔でガイは視線を落とした。その先に、カカシが眠っている。
 ふらふらとベッドの脇に立ち、カカシの寝顔を見下ろした。

 お前が望むことをしてやりたい。
 だがおれには、お前が何を望んでいるのかが分からぬ。
 何をしていてもお前の事が気になる。お前に呼ばれているような気がする。
 お前はおれを呼んで何かを訴えたいと願っているのではないのか。違うのか、カカシ。それはおれの勘違いか。
 お前はどうしたいのだ。お前が望むようにしてやる。お前の望みを叶えてやる。
 だからだからカカシ。おれに分かるように伝えてくれ。

 おれはただ、このようにして眠り続けるお前を見ているのがつらいのだ。
 何も出来ず、何もしてやれぬと嘆いてばかりいた。
 ずっと考えている。おれがしてやれる事は、何なのだろうと。今のお前なら、このおれに何を望むのだろうかと。

 おれに一体、何をして欲しい。
 おれはお前に、何をしてやれる?

 お前は何を求めているのだろう。
 生きたいのか。
 それとも…死にたいのか。

 カカシは表情なく眠っている。その小さな呼吸音すら耳を澄まさなければ聞こえては来ない。ひっそりとした静かな部屋。
 ガイはカカシの胸の辺りを、ちらと見やった。わずかな動きではあったが規則正しく上下していた。
 ガイは黙って、その動きを見ていた。
 目を覚ます兆しが見られないカカシの寝顔。昨日も一昨日も、その前の日も。全く同じ姿でそこに眠っている。
 ガイは部屋の隅から丸い椅子を持って来ると、音を立てて置いた。そして、これまた必要以上に音を立て、その身をどさりと椅子へと移す。あまりに静か過ぎる部屋は一瞬だけ空気が揺らぎ、音を伝え、そしてまた、元のように静けさを取り戻した。
 ガイは背を丸めて座ると、太ももの上に置いた両ひじで顔を支え、両手で自分の口元を覆うように隠した。
 まばたきもせずじっと、口元を押さえたままのその姿勢で、微動だにしない。

 意識の無いカカシを見舞ってこの部屋へと来て、幾度、涙を流した事だろう。何度、無力さを思って泣いただろう。
 けれど、今は。
 泣こうという気持ちには、到底なれなかった。
 涙が枯れるという事があるのか。それはガイにも分からない。けれど現実に今、涙は出なかった。泣こうという気すら、起こらなかった。
 ガイはただじっと、カカシの横顔を見つめている。

 なあカカシ、生きている、それはどういう事だろう。
 ただ息をしている、そんな状態で生きているというのだろうか。
 術すら使えない、忍ですらない、いや、人として存分に、思うまま生きているとは到底、いえない。それで果たして、生きているというのだろうか。
 そんな状態に置かれているお前が今、おれにして欲しい事は一体、何だろう。
 おれがお前にしてやれる事とは、一体何だろう。
 お前に聞けば、簡単に答えが得られる事なのだろう。だが、おれ一人では難しくて分からないのだ。すぐに答えが出ないのだ。
 だからずっと考えていた。
 この部屋へ来て、お前の顔を見ながらずっとその事を考えていた。
 だが、おれには分からなかったんだカカシ。
 お前がして欲しい事も、おれが、お前にしてやれる事も。
 おれには見当すらつかなかった。
 分からないことだらけだ、お前の事は。何一つ知っていないのだ、おれは。
 これほど長くそばにいるというのに、何ひとつ。こんな時には何を望むのか、それすら分からないのだ。

 お前の存在を、そこにいて当たり前のように思っていたおれは、お前の声を聞けなくなって初めて、どれ程お前に頼っていたのか知らされた。
 今まで何もかもすべて相談してきたわけじゃない。だけどお前がいる、その事がおれにとっては大切な事だったのだ。いろんな場面で、いろんな対応を迫られて策に窮した時、お前ならどうするだろうか、そう思いながら、考えてみる。
 どうしても気持ちが先行してしまい、つい冷静ではいられなくなる事が多いおれだが、お前は違う。お前がどうするか考えてみる事で、おれは、熱で浮ついた心を抑える事が出来たのだ。そして選び取った選択は、大低、正しかった。

 もし仮におれが、今のお前のように、ただ生きているだけの状態でこの世に存在しているとするなら。
 忍として生きてゆけないのなら、それはおれにとって、生きているという事ではないのだと思う。
 日々息をして横たわるだけの毎日。苦しみも楽しみも、何もない世界。
 頭で思い描くだけなのだが、多分、そんな場所では、生きていたくないと思うのだ。その状態になってみないとはっきりとは分からないとは思うのだが、多分。
 そう思った瞬間、おれは、カカシお前もそうだろう、同じではないのかと気づいたのだ。ならば。
 もし仮におれが、いつまでも目を覚まさないとしたら。お前はおれの事をどうするだろうな。その答えは、何だろう。
 たぶん。カカシ、お前なら。
 だからおれも、同じ事をする。
 それが一番良い手段だとは思えぬ。だがおれには、これしか浮かばんのだ。
 戻りたくても戻る事が出来ないのか、それとも帰って来ないつもりなのか。どちらにしろ、状態は同じだ。ずっとこのままでいるのなら。いっそのこと、眠るという夢から覚めさせてやろう。夢を見る体からも、解放してやろう。
 
 だが。おれの本当の気持ちは。
 おれはお前には、どんな状態であろうとも生きて欲しいと願うのだ。
 お前はお前なのだ。大事な友なのだ。どんな状態であろうとも、それは絶対に変わることなど、ない。だから失いたくない。生きていて欲しいと願う。
 だがそれは、おれの勝手な我儘なのかもしれぬ。
 お前の事を想う時、お前にとって何が一番良いのか考えた時、おれはこうするのが一番良いのではないのかと思ったのだ。

 もっと他に何か方法があるのかもしれぬ。だが今のおれには、これしかないような気がする。
 なあ、カカシ、おれがもっと利口ならば、よかったのにな。早く他の方法を見付けて、お前を楽にしてやれたのに。
 知っての通り、おれは忍道馬鹿で体術馬鹿で、融通がきかぬ。賢くもない。許せカカシ。こんな事しかしてやれぬ馬鹿な友は、だが懸命にお前の事だけを考えて、こうするしかないと思ったのだ。

 ガイは、カカシを見つめていた目をぎゅっと閉じた。
 カカシが目覚めない事や、自分が思い悩んでいる事、全てが夢ではないのかと確かめるように。けれど、夢ではなかった。現実だった。
 自然と震えがくる体から、少しだけ息を吐いた。
 上手く呼吸が出来なかった。心臓が、喉元まで上がってきているような錯覚を覚えた。
 やがて、覚悟を決めた様子で目を開け、立ち上がった。
 真上から見たカカシの顔は、その時、何だか泣いているように見えた。逆に、少し微笑んでいるようにも見えた。
 ああカカシ。早く楽にしてやる。
 ガイはそろそろと手を伸ばして、カカシの喉元を軽く押さえた。
 首の細いカカシの薄い肌の上から、生きている証の鼓動がぴくんぴくんと、指先に触れた。血が、体の中を流れている音を、ガイはその体で感じた。
 ガイはためらうように、少し手を引いた。この鼓動を止めたならば、確実にカカシは死んでしまうのだ。
 どうする。どうする。
 自分に問いかけながら、ガイはごくんと音を立てて唾をのみ込んだ。
 人の命を絶つのは初めてではないのに。何故、躊躇する。
 大切な、お前の事なのに。大切な、お前の事だから。
 ガイは、深く息を吐く。
 大切な、お前の事だから。だから、おれは。
 自分に言い聞かせた後は、ガイの意識の中から、不思議に悲しいとか苦しいとかいう感情全てが消えていた。

 すう、と、ガイの手はカカシの喉元へ吸い寄せられるように動いた。
 銅鑼を力任せに叩いたような心臓の音だけが、体の中で大きく、そして激しく反響していた。
 熱を持った荒い呼吸を幾つか吐き出した後で、ガイは指先に、ほんの少しだけ力を入れた。

 おれに勇気をくれ、カカシ。お前と別れる為の力を、おれにくれ。

 体がふらついてくる。ガイは固く目を閉じ、夢中で力を入れ続けた。
 カカシの体が反応して、わずかだけれど抵抗するように揺れた。かまわずガイは、力を込めた指先を離さず、締め続けた。
 カカシの口元から漏れていた息がすぐに立ち消えた。喘ぎにも似たかすれ声をあげ、途切れた息を取り戻そうとしていたが、やがてそれもなくなってしまった。

 カカシは微動だにする事なく、その場で静かに横たわっている。
 音もぬくもりも、そこにはなかった。
 ガイは目を閉じてただ、立ちつくしていた。

 どれくらいの時間、そうしていたのだろう。正視出来ずに目を閉じていたのだろう。長い時間だったようにも思えるし、人生のほんの一瞬の、ただの通過点のようにも感じた。
 けれど実際の時の長さを、ガイは認識してはいなかった。果てしない、いつまでも終わらない時間のように感じ取っていた。

 ちいさな音が、その暗い沈黙を破った。

 い…やだ!

 思考が停止した頭の隅で、誰か叫んでいる声がする。誰なのだろう。聞いた事のある声だった。それは泣いているように、聞こえた。

 いや…だ!

 その声は、怒っているようにも聞こえた。
 聞いた事があるのは当然だった。自分の、声だった。

 おれはどうして泣いているのだろう。
 何に対して怒っているのだ、おれは。

 何も考える事の出来ない真っ暗闇の中にいるような気持ちで、ガイはぼんやりと思った。

 おれはどこにいる?

 おれはいまなにをしているのだ?

 誰かがどこかで泣いている声がする。誰かが怒っている声がする。
 おれの、声だ。これは、おれの声だ。

 自分の声に背中を押され、ガイは我に返った。
 その場に立ったまま、閉じた目から流れ落ちる涙を気にもかけずに、ガイは、頭を振った。
 カカシの首筋に押し当てただけで、いまだ、力を入れる事が出来ずにいる指先が、ふるふると震えを帯びてくる。頭の中のイメージでカカシの息の根を止めたつもりでも、実際は何も出来ずにいた。

 
 いやだいやだおれはいやだカカシ。
 おれがお前をこの手にかけて、この世から無いものにしてしまうなんて。
 お前がいなくなるなんて。

 皆が言う。意識が戻らないのは生きていたくないという潜在意識の表れなのだと。
 本当なのか。お前は本当に生きていたくないのかカカシ。
 だが、たとえ皆が言う事がお前の意思だとしても、おれには出来ない。おれはお前の望みを叶えてやれない。
 おれは嘘つきだ。
 お前の望みを叶えてやるといいながら、おれは、今のお前の望みが叶うのが嫌なんだ。それは、お前がいなくなることを意味する。
 他の願いごとなら、何でも聞いてやる。だがこれだけは、おれには無理だ。おれには出来ないカカシ。お前に何でもしてやりたいと言いながら、お前が望む事を何ひとつしてやれない。
 ただ眠っているだけのお前を見るのはつらい。が、お前を失う事はもっとつらい。しかもおれの手でお前を消してしまうなど…。そんなことなど。
 カカシ。カカシ。
 おれは一体どうすればいい。

 ガイは目を見開くと、すぐさま、カカシの喉元へと当てていた指先を離した。
 何があったのかも知らないカカシは、かわりなく短い息を重ねてゆっくりと呼吸を続けていた。
 カカシカカシ!おれは何をしようとしているのか。堰を切ったように溢れてくる涙を拭こうともせずに、ガイはカカシを見つめた。
 たとえどんなに実力差があって、立ち位置が離れすぎて無理だと言われようとも、諦めずお前の背中を追ってきたおれが、諦めることを一番嫌うおれが、生きることを諦めるなど。これまで何度も困難を乗り切ってきたこのおれが、馬鹿な事を。
 生きていさえすれば、何か方法がある筈なのだ。
 カカシ、おれは……。

 外が何やら騒がしくなっている。戸を破るような勢いで、担架を持った医療班が入ってきた。何事かとガイは身構えた。
「綱手様が戻られるとの連絡が入り、手当ての必要がある者を至急、入院させるようにと」
「本当か」
 ガイは食ってかかる様に白衣の男に訊ねる。「それは、本当なのか」
「ええ、自来也様からの…」
 男が言い終わらないうちに、ガイは、カカシの布団を引き剥がし、体を引き起こした。床に置かれた担架へ載せるのかと思った矢先、軽々と肩へと担ぎ上げた。
「おれが連れて行こう。その方が早い」
 言うが早いか、部屋を飛び去る様に姿が見えなくなってしまった。慌てて、その後を医療班の者たちは追いかけてゆく。

 なるべくカカシに衝撃を与えない様に気を使いつつもガイは、力の限りに駆けてゆく。カカシを抱えた肩と腕に命のぬくもりが感じられて、ガイはホッと心を撫で下ろした。
 死にたいのか生きたいのか、それが分からない今は、そしてその意思を伝えられない今は、カカシ、お前の命はお前のものであるには違いないけれど、お前が自分の自由に出来ない事には変わりはない。生き死には、お前の手の内にはない。
 ならば、おれの自由にさせてくれ。
 おれは未来を見てみたい。お前との未来を。そして希望につなげたい。
 分からないことだらけのおれが今、分かっているのは、ただひとつだけだ。
 ああ、カカシ、おれはお前に生きていて欲しい。おれの願いは、ただ、それだけだ。
 カカシを背に、ガイは、病院めがけてひたすら走った。

(終)

2006.2.25