高き壁。(下)
パタンと扉が閉まり。静寂が訪れ。
その場に立ち尽す、ガイ。
部屋で、カカシと二人きりになってしまうと。
さっきまでの元気は、行方知れずになり。肩を落とし、隙を晒し。
また元の悔やんだ顔に戻ってしまう。
「無理したね、ガイ」
無言のまま。足音も無く。仏頂面でカカシの隣へと腰を下ろす。
顔を上げカカシを見る。けれど気持ちを上手く言えない苛立ちと、心の奥に留まり続ける後悔とが混ざり合い。言葉が出ない。
カカシは、小さく囁いた。
「みんな、元に戻ったと思ったよ、きっと」
「おれだって、いつも元気な訳じゃない」
けれど心配をかけたくなくて、いつものようにふるまい、頑張ってはみたのだが。それも長くは続かない。すぐに萎む、カラ元気。
「お前の前では気を遣わなくてもいいからな」
気持ちを少し緩ませる。
カカシは視線を落として、机の上に置かれたガイの、所在無げな手を見ている。ふうと息を吐き、呟くように言った。
「ガイの思うように接すればいいよ、誰に対しても。ネジ君にも」
けれど、そのスキも与えられなかったのだから、ガイが思い悩むのもしかたない。
「…カカシ、おれは純粋に嬉しかったのだ。自分ひとりで技を創る能力 と、それを成し遂げようとする努力。ずっと見ていただけのおれだが、本当に、嬉しかったのだ。だがネジはそこに止まることをせず、もっと上に視点を置いている。あの技の完成も、一つの通過点に過ぎぬのだ。おれの祝福など必要としていない」
「でも喜んであげたいんだ、ガイとしては」
「ネジはおれを、必要としてないのではないかとさえ、思ってしまう。けれどカカシ」
ガイは思案し言葉を選ぶ。そして続けた。
「…おれは、あいつのことが気になるのだ。おれの助けなどいらないと思いつつ、何かしてやりたい。そう、思わずにはいられないのだ。けれどあいつは自分で何でも出来る奴だ。あの年令で、そうすることを覚えざるを得ない体験をしているのだ。それが不憫で、だからよけいに気になるのだ。変かな」
宗家と分家の関係の中で、早くに父親を亡くしているネジ。
その後の彼は、たった1人で自分の行く末を決めてきたのだ。
「まだ子供なのだ。なのに独りで頑張っている。天才の上に、努力家だ」
「ガイは、ガイが思うように接すればいいんだよ」
先程言った同じ言葉を、カカシは再度くり返す。
その時、バナナが一房、山から転がり落ちた。
くるりと回転し、離れた所で動きを止めた。
「今のおれは、あいつに何をしてやれるのか、わからん」
「ガイは教師として、ネジ君の前から逃げてはダメだ。たとえ、どれ程ネジ君が成長しようとも、教師は教師としての立場があるよ」
「おれは置いていかれたようで、寂しい」
ガイは大きく肩を落とす。
「言わないと、気持ちも伝わらないよ。今の自分の気持ちを、自信を持って言うべきだと思う」
俯くガイ。黙って口をへの字に結び、カカシの話に耳を傾ける。
「それに、教師が教えるのは、技だけじゃない」
カカシは昔を顧りみる。今は亡き四代目に学んだ事柄は、技よりもその暖かく寛大な人間性だったような気がするのだ。
技は人が術すもの。施術者により、技は善にも悪にも変化する。
生きていく道を正しく教え導くことは、技の伝授よりも重要で、かつ難解なことだ。
「ガイが迷ったり苦しんだりする姿を見せることも、大切なことだと俺は思う」
「迷いだらけのおれの姿を?」
「いつになく、弱気だね」
「お前の前だから隠しもしない」
言ってガイは、肘をついた両手で頭を支える。指先に流れ落ちる髪が、さらりと揺れた。
「素直に自分を表現することが不得手なネジの、その性格を知っていながら、他の子と同様に、いつもの調子で抱擁しようとしたおれ自身に、今は腹立ちを感じている。おれは柔軟性が足りぬ。いろいろな生徒がいるのだ。合わせてやらねばならぬのに、おれのやり方を一方的に押しつけてしまった」
そこで、小さく一息ついた。
「リーにはよくても、ネジに対しては別の方法があったのだ。それを見付けようとせず、容易い方法を選んでしまった。だからネジはおれを拒否したのだ。そうすることによって、おれをたしなめたのだ」
最後の方は自分に対する怒りと情けなさで、ガイの声は震えていた。
「…そのことに気付いた。だからおれは自信がない。合わせる顔がないというのは、こういうことを言うのだと思う」
「ガイは真剣にネジ君のことを考えて、悩んでる。そのことだけ、言えばいいよ。確かに方法は拙かったかもしれない。ネジ君もどうしていいかわからなくて、困ったのは事実だと思う。でも」
カカシはそこで一旦止めた。立ち上がり、バナナの房から2本手折る。
そしてガイの前へと、その大きな方を置く。
濃い黄色の果実は程良く熟していて、食べ頃に見えた。
「持っていってあげなよ、ネジ君にも。俺達だけじゃ食べきれないよ」
カカシは言いながら、綺麗に筋を取り、口に運ぶ。
「世の中全ての人と、分かりあえるわけじゃない。でも、その一生懸命さは伝わるよ。ガイの気持ちは必ず伝わる。それをネジ君が受け入れるかどうかは、ネジ君自身が決めることだ」
「おれの気持ちを伝える……」
「伝えなきゃ、いけない。そうだな、ガイ、いつもの口グセ」
「おれの?」
ガイは顔を上げた。無防備を絵に描いた様な顔つきで、カカシの前へとその素顔を晒す。
カカシは親指のみを立てた拳を、グッと前へせり出してみせた。
「『熱血の青春は汗だ!』…じゃなくて何だっけ」
「『青春の勲章はさりげない熱血だ!』か?」
ガイはカカシと同じしぐさをしてみせる。カカシは頬を緩ませた。
少し笑ってみせるガイに、柔和な笑顔を返す。
「そう、それだよ」
「…さりげなくて、いいのか?ネジに対して。リーにするように、熱く接するだけが熱血ではないということか」
「熱血にも、いろいろあるんじゃないの?」
ガイは立ち上がる。それまで彼を支配していた悔恨の影が、潮が引くように消えてゆく。暗かった顔の表情が一変する。
「行ってくる。ネジの所へ」
抱え得る最大の量のバナナを腕に、ガイは部屋を出て行った。
本に視線を戻したカカシに向って、
「お前のおかげだ」
と言い残し。
カカシは聞こえないフリで、ずっと本を読んでいる。
すかしたような優しさが、ガイにはとても心地よかった。
「昨日はその、中途で訓練に邪魔されて…」
通いなれている練習場。
昨日の位置よりも少しだけ前に立ち。ガイは深呼吸して、話し始めた。
同じ場所、同じ時刻。独り練習に励むネジ。
やって来たガイに、理由も告げられず動きを中断させられた。普段のガイなら遠くで見ているだけで、声をかけることなど決してしないはずなのに。
何の用かと、苛立つようすが見て取れるネジ。
半ば睨むように立ち、ガイの言葉を待っている。
「ネジ、お前を困らせた。悪かった」
「……先生の方が、より困惑しているように見えた」
ガイは頷く。抱えているバナナを足元に置いた。
「まったくそうだな。人みな表現の方法が違うということを、忘れていた」
ネジは何も言わない。
「お前は誰の助けも借りず、たった独りであの技を完成させた。凄いことだとおれは思う。お前が何かをしようとしていると知り、おれは隠れてずっと見てきた。完成した日は、本当に嬉しかったのだ」
その日のことを思い返し、喜びを表すガイ。
ネジは視線を外さずに、ガイの言葉を聞いている。
「ネジ、お前は、誉められるのが嫌なのか?」
ガイは少し当惑した声で訊ねた。
唇を噛み、しばらく顔を歪めていたネジは。
「……関心が、無いだけだ」
尖った声。世の中全てのどの物ことからも、関心が無いと言いたげだった。
誰よりも強くありたいという、ただ一つの事柄以外は。
「そうか。しかしおれは、お前の努力を誉めたいぞ。うむ。お前を弟子に持てたことを誇りに思う。とは言え、おれは、今までほとんど指導らしいものをしてきてはいないのだが」
ネジの目に、ガイはいつもと違って見えた。
今日のガイは、何だか頼りなく思えた。
"どこが違うんだ"
ネジは不審に思いつつ、その場でずっと動かずにいる。
「その、何だ、お前はおれの助けは必要ないとは思うのだ。けれどおれは、お前のことを気にかけているし、時間の許す限り、見続けていたいと思う。 それは担当上忍として、おれに与えられた大切な務めでもある」
ネジは押し黙ったまま、耳を傾ける。
「けれど1人の忍として、そして先輩として、お前の伸びゆくさまを一番楽しみにしているのは、おれだ。お前はもっともっと成長する」
ネジの姿を、慈しむような目で見るガイ。
「これからも、ずっと、見ているぞ」
それだけ言うと木ノ葉を踏みしめ、くるりと踵を返す。
去ってゆくガイの背を見ながら、ネジは言った。
「…分からなかったんだ」
掠れる声。
気付いてガイは、立ち止まる。
「どうしていいのか、分からなかった。先生に恥をかかせてしまった」
「おれが悪かったのだ」
「俺は、リーのようには出来ない。リーを見ていて、あのように生きられればと考えることもある。けれど俺には出来ない」
「分かっている」
ネジは少しだけ、考える。そして、小さく、けれどはっきりと言った。
「…先生の気持ちは、ありがたいと思う」
ガイが振り返った。思いもかけないと言った顔つきで、ネジを見る。その表情が、なんだか幼な子にも似た顔つきで、そんな大人の顔を今まで見たことがなかったネジは、驚きを感じた。
"この人は、本当に飾らない人だ"
ガイが先程頼りなさげに見えたのは、隠さずに素顔を見せ迷ったままの姿を晒していたからだ。
気取りなく自分の心を見せ、そうしてネジの心に近づこうとする。
ただ、純粋に。
ネジの言葉を聞いて、驚喜の相貌を見せるガイ。
そんな表情を弟子の前でしてみせる教師の姿を、ネジは素直にありのまま受け入れようとする自分にも、驚きを覚えていた。
"先生の得意な、熱血のせいか"
今日のガイの姿は、熱くもないし、力強さからも果てしなく遠い。
そういえば、押しも少し弱い。
けれどその中に、自分を気遣う、心地よい意志を感じた。
暖かい、意思を感じた。
自然とネジは、少しだけ微笑みを漏らす。
そのようすを見、ガイは心を撫で下ろした。
少しでも、伝わったようならそれでいい。そう思った。
「ありがとう、ネジ」
ガイはそう言い、ネジの両肩を軽く掴む。
そのまま引き寄せようとして、ためらうネジに気がついた。
「悪いけど先生、そういうことはリーにしてやってくれ。俺はどうしたらいいのか、困る」
ネジの体から瞬時に離れ、狼狽するガイ。
「どうもいかんな。ダメだなおれは」
頭を掻きつつ、歩き出す。その背に向け。
「……隠れずに、堂々と見ていてくれ。これからも。先生」
ネジの声が追いかけてきた。
ガイは嬉しくて嬉しくて、涙腺のゆるみを自制出来ない。
ネジとはこういう形で繋がってゆくのだ。
そして絆を深めてゆくのだ。
ネジを抱きしめてやりたいという気持ちを押さえ、ガイは頬を伝う涙を、手の甲でぬぐった。
(終) |