遠い虹を見た
早朝のジョギングを終えたガイは、里で一番早く開いている映画館へとやって来た。
張り切って走ってきたガイの、そのかなり後方に、ぼうっとした顔をしたカカシがタラタラとした歩みで付き従っている。
昨日待機所で「映画のタダ券を2枚貰ったのだが、誰か一緒に見に行かないか」と言うガイに、居合わせた誰もが首を振った。
他の誰かとならばともかく、ガイと二人きりでなど行きたくない、というのが、その場にいた者達の共通した気持ちだった。
だが、只一人、カカシだけが手を挙げた。寝不足気味だからという理由で、ガイのお供をするつもりだと言う。
「暗い所なら、すぐに眠れるデショ」
けれど上映が始まってみれば、カカシは眠るどころか反対に夢中になり、のめり込む様子で見ていた。背もたれから身を乗り出して、まばたきをするヒマも惜しむありさまだった。
騙されて、言われなき罪を背負う事になってしまったヒロイン。
自らの身の潔白を証明しようと動けば動くほど、身に覚えのない罪は重なってゆく。親友や知り合いすら信じられなくなって、追い込まれてゆく日々。心身共に疲れ果てたヒロインは、やがてある決心をする。
それを実行する前に、付き合っている男に迷惑をかけてはいけないと、男の前から姿を消そうとする。
もちろん本心では別れたくないのだ。けれど身も心も捧げ尽くした男に「別の彼が出来たからさようなら」と言おうとする。
会うのはこれが最後と思うけれど、言い出せずに悩み惑うシーンは、主演女優の迫真の演技で見ている者の涙腺を緩ませた。
すすり泣く声が一斉に、座席のあちこちから聞こえてくる。
そんな中、ガイは、腕組みをして目をショボショボさせ、口をへの字に結び、泣かないように頑張っていた。
会えば別れを言う事が出来ないと、電話をかける事にしたヒロイン。
別れ話を聞き、最初は冗談だと取り合わなかった男は、彼女の巧みな会話に、彼女の気持ちが本当に別の男に向いたのだと信じてしまった。そして悔しそうに言うのだ。
「何があっても、ずっと、そばにいると誓ったのに」
裏切り者のお前なんか、どこへでも行ってしまえ。
その言葉を受話器越しに聞きながら、震える手で電話を切るヒロインの、頬を伝う涙を見た瞬間、ガイは腕組みをした格好のまま、はらはらと涙をこぼし始めた。
顔中を涙で濡らし、泣きはらしているガイの隣りで、カカシも耐え切れずにガイの脇腹をつねり、話の成り行きに対し、抗議する。
周りの邪魔にならないよう、囁くように、けれど叫ぶように言った。
「そんな事を言っちゃうなんて!どうして彼女の気持ちが分かんないのかナ!」
「…そうだな…カカシよ…」
鼻をすすりながら、ガイはかすれ声で返事をする。
「…どうにか、ならないものか」
「ダヨね、かわいそうすぎだよ」
言いつつ、相変わらずカカシは、ガイの脇腹をつねり続けた。人差し指と親指で、つまんだ肉を捻るようにし、悲しみに耐えていた。
そんなふうに、最初は脇腹をつまむ程度だったが、次第に指先に力を入れ始めた。やがて、もの凄い力でぎゅうぎゅうとつまみ始めた。
鍛えているとはいえ、こんなふうに脇腹をつかまれれば、かなりの痛みがガイには感じられた。
けれどガイにとってみれば、目の前で繰り広げられる悲しみに比べれば、脇腹をつねられる痛みなど取るに足りない小さな痛みだった。今は痛みよりも、画面の中のヒロインの動向に夢中になっていた。
「どうすれば、助けてやれるのか、カカシ…どうすれば」
「全く、やってられないヨ!」
爪が食い込みそうなほど、力を入れてつかんでくるカカシの指先など忘れたかのように、今はとにかく嗚咽をこらえる事に必死なガイは、胸元から取り出した汗拭き用のタオルを、力の限り噛み締めた。布が破れるかと思うほどの力でギリギリと噛む。
カカシは、ガイがタオルを出したのを横目でチラリと見た。
そして、ガイが涙を拭こうとした瞬間、見事なタイミングで、素早くタオルを奪い取ってしまう。
我がモノにしたタオルを両手で左右にぎゅうと引っ張り、どうにかしたいのにどうにもならない話の成り行きに対し、カカシは苛立ちをあらわにする。
「誰か何とかしてやってヨ…」
脇腹をつねられるのは一向に構わないのだけれども、涙を拭く為のタオルを取られるのだけは困るガイは、目は画面に釘付けになりながら、手だけ動かして、タオルを取り戻そうとカカシの腕を掴むと、囁いた。
「返せ…」
「…」
「返せ…カカシ!」
「うるさいヨ!」
「うるさいとは何だ、それはおれの」
「静かにしてヨ!」
「返せ…」
「邪魔だヨ!」
そうやってタオルの取り合いをするうち、ヒロインの運命は急降下してゆく。
ヒロインは一人、旅に出る事にした。
列車に乗る前に、男の家の前へやって来て、何も言えずに黙って部屋を見上げているヒロインの後ろ姿が小さく写し出される。
そこで観客の悲しみはピークに達した。
泣き声は泣き声を呼び、悲しみは更に悲しみを重ね、悲壮感は2倍にも3倍にも増幅した。
早朝にもかかわらず、狭い劇場の中は、涙のるつぼと化していた。
ここになってようやく、ヒロインの置かれている状況と彼女の本心を、男は知ってしまうのだ。
けれど、男はもう戻れない。
彼女を忘れようと付き合った女が、自分の子供を宿してしまっていたのだ。
ヒロインを追いかけたくても、どうにも出来ない男。そこへ男に全てを打ち明けようと、ヒロインが戻ってくるのだが。
男の隣りにいる女の、膨らみを帯びた腹を見てしまうヒロイン。
全ては遅すぎたのだ。驚愕と、そしてあきらめとを抱き、トボトボと歩いていくヒロインの、寂しげな足音だけが響くスクリーン。
けれど、これだけでは終らない。それまでの話は全て序章にすぎなかったのだ。彼女の行く手には、次から次へと襲い来る、災いと悲しみが待ち受けていたのだ。
カカシもガイも言葉もなく、目の前で繰り広げられる世界に没頭していた。
二時間二十三分。
上映が終了し、劇場を後にする観客の誰もが赤い目をしていたのだが、その誰の顔にも例外無く、充実感が溢れ、満足げな表情が浮かんでいた。
「はぁ、終わっちゃった」
アッサリとした顔で、カカシは平然としている。
上映中には、あれほど大事そうに握り締めていたタオルを、ガイめがけてポンと投げてよこした。そして立ち上がる。
長時間座って疲れたというように、両手を挙げ、大きく伸びをした。
いまだ泣いているガイは、席を立つ事が出来ずにいる。戻ってきたタオルで涙をぬぐう事すら思い付かないというように、タオルを膝に置いたままで茫然としたままだ。
潮が引く様に観客が立ち去って空っぽになった劇場に、掃除のおばさんがほうきと塵取りを手にやってきた。
カカシは依然座ったままのガイに対し、せかすように
「終わったヨ」
「分かっている」
「いつまで泣いているのさ」
言い置いて、カカシはさっさと出て行く。
「…分かっているが、悲しくて泣けてくるのだ」
独り言の様に言いながら、ガイはようやく席を立ち、カカシの後を追った。
映画館から出た二人は、どちらが先を行くともなく、歩き始めた。行く先は待機所。劇場からは、ほんの目と鼻の先だ。
ガイは、いまだにタオルが手放せない。見ている間よりも、見終わった後の方が涙の量は多いのではないかという感じだった。
「…涙がなかなか止まらぬ。おかしいな、どうしてなのか」
「いいけど別に。だけどお前、作り物なら割り切って泣けるとか言ってたって聞いたよ?全然、割り切れてナイじゃん」
ガイは顔を上げ、不審そうにする。そして、鼻を啜りながらつぶやいた。
「…割り切れるというその話を誰から…アスマか?」
「足抜けしたいと言ったとか」
「そうではない。普通の暮らしなど出来ない事を知っていて、叶わぬ願いの話をしたのだ」
うつむきがちに答えるガイに、カカシはさも興味なさげに答える。
「ふうん」
「しかし劇場で映画など見るのは久しぶりだ」
「今は家で手軽に見れるからね」
「うむ。今のアスマは映画をよく見ているようで、いろいろと教えてもらった。例えば」
「…脚本7割?」
「ああ、それと、俳優は誰でもいいと言っていた」
「馬鹿言ってんじゃナイよ。特定の俳優見たさに、劇場に行く作品もあるんだ。多分、見に行くのは、そういう動機が一番多いんじゃないかな。…出来はともかくネ。確かに内容や予算によっては、名の知られている俳優は使わず、無名の実力派や新人の俳優を使う場合もある。けど有名無名、どちらにせよ、脚本が大事だなんて基本だよ。今更、知ったかぶりしてアスマも何を言ってんだか」
「そうなのか」
「言える事は、脚本も俳優も大事だけど、どれほどいい脚本や俳優を使ったって、それらを生かすも殺すも、監督次第だって事」
「カカシ、そういう事をおれに話しても、おれには…」
「よく分かんないよね、ガイにはね。だって今日の、あのクサいストーリーで、泣けちゃうんだもんね」
「お前も泣いていたではないか」
「付き合いがいいワケよ、俺は」
昼前の強い日差しが照り付けてくる眩しさに耐えかねて、先をゆくカカシは大通りを外れ、すぐ横にある路地に入った。
薄暗いその場所は、昨日降った雨がまだ乾かずに、水たまりになって残っている。
カカシは用心深く、あちこちにある水たまりをよけて歩いた。
けれどガイは、そんなことは気にしないとばかり、勢いよく水たまりに足先を浸した。
わずかに水しぶきが上がる。
しぶきは、先を行くカカシの足にも跳ねて飛んだ。
カカシは気付いて
「濡れるのは自分だけにしてヨ」
小さく不満を口にする。しかし、この男といる時には、迷惑を被る事などいちいち気にしていてはキリがない。第一、かなりの確率で、相手はこっちが迷惑をしているとは気付いていないのだ。
けれど、これ以上濡らされるのはゴメンだとばかり、カカシはガイから距離を置いた。
横目でガイの様子をうかがう。
ガイは膝から下を濡らして、大きな水たまりのそばに立ち尽くしている。その場から動く様子のないガイに、先へ行かないのかとカカシは不審に思う。
「…ナニしてる」
「カカシ、さっきの話の続きなのだが…」
「どの話の続き?」
「普通の暮らしなど出来ないと…」
「叶わない願いの話?」
「おれは…」
顔半分だけ後ろへ傾けているカカシの背中に向かって、ガイはゆっくりと口を開いた。
「おれは…おれは心に決めているのだ。今まで手にかけた者の命を背負って生きて行くという事を。これまで、人には話せぬ事もしてきた。一度ばかりじゃない、何度もだ。だからこの後、生きていく上で、誰もが普通に手に出来る安らぎを、容易に得られぬ事を知っている。おれには家族など望むべくもない事を、苦しい経験から知った。過去に誰かや何かに妨げられるようにして、…愛しい者を失う事で、悟った」
「…うん」
カカシは壁にもたれたままで、ガイの足元を見ている。
勢いよく足を突っ込んで波紋が出来ていた水溜まりの表面が、しばらくすると静かになっていた。
薄暗い路地の中では、水面に映るガイの表情は読み取れない。カカシはただ見るともなく、視線を下に向けた。ガイの顔の輪郭だけが、鏡のような水面に映っていた。
「…おれにとっては多分、里の皆が家族だと言えるかもしれぬ。ここに住む誰もが、何かの傷を負っている、いわば同志のような存在だ。おれには、おれだけの小さな家族は持てぬが、里という大きな家族の中におれはいる」
ガイの膝の辺りから雫が落ちた。水面がわずかに揺れた。
「だが、そんな大家族の中に身を置いていても、確実におれは、ずっとひとりだ。頼れるのは、いつだって自分だけだ。だがカカシ、お前もそうだ。お前も、ひとりだ。ずっと前からたったひとりきりで、今まで生きてきたんだ。そんなふうに、ひとりきりのおれと、ひとりきりのお前の関係は、単なる同僚とか友だとかいう概念を超えているのではないのか」
ガイの問い掛けに、カカシは返事をしない。その通りだとも違うとも、言わなかった。
ガイも答えが欲しかったわけではないとみえて、カカシの言葉を待たずに話を続ける。
「おれはひとりだけれど、おれにはお前がいる。そうだろう、カカシ。おれはひとりだけれど、ひとりではない」
そこでガイは、初めてカカシを見た。
「違うか、カカシ」
問われたカカシは、変わらずにガイの顔の映る水面に視線を落としたままだった。ボソボソと口を開く。
「お前がどう思おうが勝手だよ。お前の自由だ。だけど俺は、お前の愛しい存在でも愛する相手でもないよ」
「そんなお前の存在を、何と名付けたらよいのか…」
困惑したようにガイは口ごもる。
顔を上げないまま、けれど良く聞こえる様にカカシはつぶやいた。
「改めて平凡な呼び名をつけなくても、いいよ」
そんなカカシの声に、ガイはうれしそうな顔をした。
「お前は、はたけカカシだ。いつまでも、おれにとってはその名だ。知り合った時から変わらずに」
そこでガイは再び、水溜まりに足を突っ込んだ。そのしぐさは、まるで、話はここで終わりとでも言いたげだった。その場の重い空気を、別の何かに変えたいようにも思えた。
派手に足先を濡らしてしまい、水を切る為に、足を引き上げ上下に振っているガイを眺めながら、話のついでを装うようにカカシは訊ねた。
「でもまた何故、アスマに『抜ける』話をしたの」
「何故かな。あの時、ふと、思ったのだ。だがカカシ、お前にそんな事を改めて言わなくても」
「知ってる。お前の考えている事なんて」
小さい声だけれど、はっきりと言い切る。そんな声を体に刻み付け、すぐさま少し笑ったガイは、次に思い出したように、そうだ、と言った。
「それにしてもカカシ、お前、切替えが早いのだな」
「切り替えって、何の?」
「映画の最中、泣いていたではないか。なのに、終わった途端、何もなかったかのように…」
「だって、作り話だよ。空想の世界の事じゃないか。映画が終われば話も終わる」
「そうなのだとおれも思っていたのだが、現実に戻ってきても、なかなかに、その…」
ゴシゴシと目を擦る。
「それはそれ、作り話は架空のものとはスッパリと割り切れぬものだ…」
「まだ鼻のアタマが赤いよ、ガイ」
「うむ。なにやら、それまで体の中にあった気持ちと連動して、見る前よりも気持ちが重いような気もするのだ。だがカカシ、おれとは 反対に、お前は何だか、来た時よりも晴れ晴れした顔をしているな」
ガイの言うように、カカシは、風呂で汚れを落としてきた後のような爽やかな表情をしている。
「泣いたら、体の中にある悲しい気持ちが、たとえほんのわずかでも洗い流されて、スッキリするよ」
カカシが身を置く周りには、楽しい事の数倍の悲しい出来事が取り囲み、対応するのが精一杯。あまりに忙しくて、泣く暇もありはしない。
どんな困難な場面に遭遇しても、たじろがず難なく処理しているように見えているのだが、実際、心の中で積もりに積もっている、 マイナスの気持ちが体の中で重なり合って、結果、感情を表に表わす事が不得手になっているのだ。
一見、身も心もタフに見える者でも、そんなマイナスの蓄積に負けてしまって、生きる意欲を潰されそうになる時もある。
だからそうならないうちに。
マイナスの貯蓄が少ないうちに。
持っているマイナスはプラスにならないまでも、最低でも、ゼロに近い値にしておくのが、カカシが今まで生きてきて身に付けた処世術だ。
泣くという事は、マイナスの想いを、体の中から外へと吐き出す役割を担ってくれる。
「作り物でも何でも、泣けるって事はいい事だ、と思うよ俺は」
「そうなのだが、おれは、昔の事をいろいろと思い出してしまって…」
「引きずり過ぎだよ」
と言いつつ、一人で見ていたならば、果たしてそんなふうに強気で言い切れるだろうかとカカシは思う。
一人なら多分。これほどには、気持ちを開放出来ないかもしれない。感じる悲しみを外へと吐き出す事が不得手なカカシは、他の誰かといる時も、また一人でいる時も、他者の目を気にして自分を装ってしまう。いつも、他人が自分に対して抱いているイメージ通りの「はたけカカシ」を演じてしまう。だから、本当の自分がさらけ出せない。そうしてますます、心の中にマイナスが溜まってゆく。
けれど、この涙もろく、想いをストレートに表現する男の隣りにいたならば、この男に引きずられるのかもしれないけれど、わずかばかりでも心から涙を流す事が出来て、忘れていた素直な自分という位置に、少しでも戻れる気がした。
カカシが何をしていようと、ガイは全てあるがままに受け止める。何をしているのかとか、何故そんな事をしているのかなどと、いらぬ詮索はしない。だからカカシは、自分を演じなくてもよかった。
そんな素の姿をこの男の前で、たくさんさらしてきた。初めて会った、あの時以来。あれからもう何年が経つのだろう。
「だがカカシ、お前が彼女の立場ならば」
えっ?とカカシはガイを見る。
「彼女って、一体、何の話?」
「そんな状況に置かれたならば、おれにキチンと説明して助けを請え。おれは、言われなければ分からないからな」
ガイは何やら夢中な様子で、自分が言いたい事を分かりやすく説明しなくてはという事にすら気付かない。じっとカカシの答えるのを待っている。
カカシはしばらく考えてみた。この話のつながりはどこから来るのか。彼女…?
「助けって、ああ、さっきの映画の話か」
「そうだ。気持ちのすれ違いが、取り返しの付かない悲劇を招く」
「すれ違いねぇ」
カカシは、おかしくてたまらない。
映画では、ヒロインと男との気持ちの相違が悲劇の始まりだったのだが、目の前の、単純きわまりない造りをしているガイの思考が理解出来ず、すれ違うなどという事が、あるのだろうか。それに他の者ならともかく、自分に限って。
「でも何故、俺が映画のヒロインの立場な訳?」
そう聞くカカシに、ガイは返事すらしない。またもや何かを思い出したのか、瞳に涙が滲み始めた。
「ヒロインは例えばの話だ。お前は、おれがしている事など手に取るように分かるのだろうが、正直、おれには、お前の事が分かる部分もあり、分からない部分もある。話してくれたら、おれは、何を放り出しても、お前を助けに行くからな。いいな、カカシ」
「来てもらわなくてもいいよ」
「ちゃんと話せ、カカシ」
「言わない。そんな危機的状況になる前に何とか手を打つ」
「何故、そのような事が言い切れるのだ。いくらお前でも、絶対に危うい事に合わないとは、言い切れぬ。今までだってそうだ」
確かに過去、カカシは幾度か、ガイの力を借りた時もあった。だがその反対に、カカシがガイを救った事も数かぞえきれない。
「それにカカシ、世の中に絶対などという事はないからな」
「まあね、絶対なんて事、ないからね」
カカシは苦笑いする。
「あのね、ガイ。万が一、俺がお前の言う《危機的状況》に陥ったとする。そういうときはね、『カカシが大変そうだから助けてやらねば』と、コッソリと手を差し延べるものだよ」
「コッソリ…」
「お前には無理だよね」
「なるべくそうする。コッソリとだな、カカシよ」
「お前には無理だよ」
「何故、決め付ける?」
そんな時、お前がどうするかを俺は知っているから。今までも、そうだったように。
カカシは、その言葉を口には出さずに黙ってガイを見た。
ガイはびしょ濡れのタオルで、しきりと涙を拭いている。
もしカカシが助けを呼んだならば、ガイは正面きって誰よりも早く駆け付け、強引にも見える方法で、カカシを助おうとする。コッソリとなど、望むべくもない。
けれど、そんな風にしか出来ないのが、この男なのだ。
そんなふうに行動すると知っているから。持ち得る力を上回る力を使おうと無理をする。だから、お前には言わない。
「俺一人なら、助けは乞わない」
今まで力を借りたのは、自分以外の誰か、足手まといになる部下がいた時だけだ。俺一人でいたなら、お前の力は借りない。
言いつつカカシは、ガイをじっと見た。
「だけど危なっかしいお前の事は助けてやるから、心配しなくていいヨ」
ガイもカカシを見返してきた。けれどガイの、カカシを見るその目は柔らかなものだった。
「…そうだな。カカシ、お前は強い。本当ならば、おれの助けなどいらぬのかもしれぬ。だったら、おれも、助けなどいらぬ」
「そうかな」
「そうだぞ。お前が強いのならば、必ずおれも強い。決まっているだろう」
「強い、ね」
「おれとお前は互角なのだ。多少の差はあるとは言え、いや、差などない。同じに強い」
「足抜けしたいとか言ってる人が、俺と同じワケないデショ」
もうこの辺で話を終わらせようと、からかうようにカカシは言った。
ガイは、まだ何か言い足りない様子だった。けれど頭の中で言いたい事がまとまらず、想いに見合う言葉が見つからないようだった。
ガイは苦々しい顔をし、唇を噛んで唸り声を上げた。
「それは…それはだな、カカシ」
一言では言い表せない、そんなガイの胸の中に渦巻く混沌とした想いを断ち切るように、カカシはくるりと踵を返す。
今、そんな事を話し合うには、とても時間が足りない。
「行くよ、ガイ」
カカシは後ろを振り返らない。けれど、気配で分かる。
少し後ろを付いてくる、多分まだ少し鼻の頭が赤いガイの、緩やかな歩みが分かる。
カカシは薄暗い路地を抜け出して、陽の降り注ぐ大通りへと足を踏み出した。射してくる日差しの強さに、目がくらみそうになる。
眩しい光を避けるように下を向き、カカシは独り言のようにつぶやいた。
「…今日も暑くなりそうだ」
「そうだな、カカシ。いい天気だ」
少し鼻声である事以外は普段と変わらない、ガイの大きくて良く響く声がした。
(終)
2006.09.17
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