跳 躍
夜更けの暗闇の中を急ぎ走って家へと戻ってきたガイは、ドアノブに手をかける前に目を閉じて大きくひとつ、息を吐いた。音を立てないように、そっと戸を開ける。
たてつけのそれほど良くない木製の戸は、夜の闇に低いきしみ音を放った。その音があまりにも大きく響き渡ったので、しーっ!しーっ!唇に人差し指を当て、まるで戸を咎めるかのように声を出す。
ほんの少しだけ開いた隙間に身をすべり込ませ、開けた時と同様に、これまたそっと、後ろ手に戸を閉じた。
いつものようにスリッパを脱いでしまってから、ふと、視線を落とした。
ガイの足のサイズよりも3まわりほど小さなスリッパが、置いてある。そのスリッパがキチンと入り口を向いて並んでいるのを見て、ガイはしゃがみ込んで、ハの字に乱暴に置かれた自分のものを、入り口へと向け並べ直した。
もう、寝ているのか。奥の部屋をうかがう。
何の物音も聞こえてはこなかった。
明かりが消えている闇の中を、ガイは足音を立てないように歩いてゆく。
何だマヌケな。いつものように、歩けばよいものを。これではまるでどろぼうではないか。
自分のしぐさに気付き、ガイはひとりおかしくなって笑いそうになる。いかんいかん。大声で笑っては、起きてしまうではないか。いかん。
けれど禁止されればやってみたくなるのが常だ。とはいえ、誰もガイに笑うなと言った者はいないのだが。自分ひとりでダメ出しをして、それに刃向う様な事をしたくなる。
おれは、バカか?そう思いながらも、頬のゆるみを禁じえないガイだ。
ひとり浮かれ気分なのは、誰かが待ってくれているからだった。
明かりが消えているのはいつもの事だが、今、この家にいるのは自分ひとりではない。待っていてくれる人がいる。それが何だかガイの気持ちを高揚させていた。
独身モノの味わう寂しい事柄のひとつは、誰もいない部屋へと帰る事だ。だが今日は違ったのだ。迎えてくれたもの言わぬ小さなスリッパが、それを物語っている。
忍び足で台所へと入った。通り抜けて寝室へと行こうとしたガイは、食卓の上へ、何やら置いてあるのに気が付いた。
小さなまめ球ひとつだけ灯すと、置いてあるものが何なのかを確かめる。
大きな弁当が2つ。その横に1枚の紙。広告の裏らしきものに書かれた文字を、ガイは明かりの下へと持っていき、目を凝らして見る。
そこには几帳面な文字が記されていた。手紙のようだった。
『 ガイ先生へ。
8時まで待ってみました。お帰りにならないようなので、お弁当を買ってきます。
いま、8時20分です。ガイ先生の分は、カツカレー丼と激辛キムチ丼の特盛サイズを買ってきました。これで足りるのでしょうか。不安です。
いま、8時30分すぎです。僕の分のカツカレー丼を食べ終えました。この入れものは燃えないゴミのようなので、別の袋に入れてゴミ箱の横に置いておくことにします。これから9時まで、先生のお部屋にある筋トレグッズで体を鍛えてお帰りを待つことにします。
9時になりました。先生はいつ、お戻りになられるのでしょう。大変申し訳ないのですが僕はもう眠くなりました。少しだけ、寝ていてもいいですか。
11時です。目が覚めて玄関まで出てみましたが、まだ先生は帰ってこられていないようです。眠いので、また寝ます。お帰りになられたら、どんなに僕が気持ちよく眠っていても、先生、きっと起こして下さい。』
時間ごとに書き加えていったものと見え、最初大きかった文字が、下へ行く程スペースの関係上だんだんと小さくなっていた。
最後の方は、小さな隙間に小さな文字で目一杯詰めて書かれていた。紙を食い入るように見つめていたガイだが、終りまで読んでしまうと、紙を胸に当て天井を仰ぎ見る。
『 12時半です。上忍のお仕事は本当に大変なのですね。確か今日は非番だとお聞きしていたのに。先生のお仕事が少しでも楽になるように、僕は中忍になって、先生と同じ上忍になって、そして一日でも早く、先生の仕事の手助けがしたいです。』
夕方から非番だったガイは、夕飯をいつもの飯屋で済まそうと、里の中央を目指して、ひとり歩いていた。後ろから、自分の名を呼び追いかけてくる声がする。振り返って確認しなくても、誰なのかは分かっていた。立ち止まり、待ってやる。
「どうした、リー」
「先生、ガイ先生、あの、今日は、僕は、あの」
余程全力で走ってきたのか、肩で息をして、なかなか次の言葉が出てこない。
「一緒に、飯でも食うか?」
そう問いかけてやると、リーはこくんこくんと頷いた。苦しい息の下で、ガイの目を見て、ものを言う。
「あの、見ていただきたい、技も、あって」
「よしよし」
ガイはリーの肩をポンポンと叩き、そうだ、リーが一緒ならいつもの飯屋とは別の所がよいかと考えて、明るい雰囲気のファミリーレストランへと足を向けた。
リーと2人、肩を並べて歩いていると、これまた後ろから名を呼ぶ声がする。
ガイは少々歩みを早めながら、後方へと、声だけかけた。
「何だ、カカシ」
「お楽しみのトコロ、悪いんだケド」
のほほ〜んとした口調で、茶化す様に小さく囁いてくる。近くにカカシの気配を感じた。
「…何だ」
カカシの、冗談を言うつもりではない様子を感じ取って、ガイは顔を後ろへ向けた。いつのまにか背に貼りつくように立つ、カカシの姿があった。
「明日の任務の件で、聞きたい事があって」
「何だ」
「ここではチョット。時間くれない?」
言い捨て、カカシは先をゆく。どうすればいいか困った様な顔をするリーに、
「まだ6時だな。それほど時間も、かかるまい」ガイはつぶやくと、家のカギをリーに渡した。
「おれが戻るまで、待っていろ。7時半に戻らない時には、5軒隣りの弁当屋で好きなものを買って食って待っていろ」
ポシェットをさぐり、しわくちゃになった札を数枚とり出し、リーの手に握らせる。そしてガイは、既にその場から姿を消したカカシの後を追った。
明日の任務の件だとカカシは言ったが、結局、別件での引き継ぎも兼ねていた。それがなかなか上手くゆかず、打ち合わせから解放されて、家へと戻ったのが夜中の2時すぎだったという訳だ。
食事を共に出来なくても、話は聞いてやれると思っていたが。大変、遅くなってしまった。帰ってきたら起こしてくれと書いてあるが、よく眠っているに違いない。起こすのもかわいそうだ。
ガイは再び紙を見直した。
先生のお仕事が少しでも楽になるように。
消しゴムの跡が見て取れる。何度も書いては消して。大きな食卓に向かい、ひとり鉛筆を持ち悩みながら文字を書いているリーの姿が目に浮かんだ。
いつ帰って来るとも分からぬ教師を、どんな気持ちで待っていたのか。
言った時刻に戻らない、その事に不安を抱きはしなかったか。
けれどそんな事は、たった一言も書かれていない。ただガイの仕事の大変さを思い、早く仕事の手助けがしたいと書かれてあるだけだ。
ガイは再び紙を胸に押し当てた。
必ず必ず。力の限り手を貸してやるからな、リーよ。
目がしらが自然と熱くなる。
おお、おれは何といい弟子を持ったのだ。
今のこの、心から溢れそうになる感情を思いきり外へと爆発させ、大声で感涙にむせびたかったガイだが、ここで叫んでしまってはリーが目覚めてしまうかもしれぬと思い、声を出すのをかろうじて自制する。
喉のあたりで行き場をなくした声が、ぐるぐるとこだまする。
ガイは唇を噛み締めながら、そっと寝室を覗いた。
暗闇の中で目を凝らす。そしてガイは、我が目を疑った。
うおおっ!リー!!
目の前で起こっている情景に、押さえていた声が漏れ出そうになる。ガイはあわてて口元を押さえた。
リーは大の字になって、床に寝ていた。掛布団が、かろうじてお腹の上に載っている。
ガイは超高速忍び足で、リーの体の横へと移動した。
お前って奴は…。おれのベッドで寝るのを遠慮して床で横になっていたのか。しかも昼に着ていた緑のスーツそのままの姿で。自分がいたなら寝巻代わりに何か着るものを出して着替えさせてやったのに。
いくらナイスなフィット性で汗も即座に吸い取るとはいえ、緑のスーツは活動する時の為のものなのだ。そのままで寝ては、体が任務中だと認識していつでも動ける様に準備をする。だから寝ていても、体の芯から休むことが出来ないに違いない。しかも、床なんかで寝て。体が痛かったりしているのではないのか。
ガイは心配そうに、リーの事を見下ろしている。
まずは服を着替えさせるのが先か。
いやベッドへ寝かせてやるのが先か。
いやそれよりも、起こすべきか、それともこれら二つを、起こさず同時にコッソリするべきか。
ガイは床に膝を付き、どうしたものかと考える。
ふと見れば、ベッドのま半分、リーの身長分のシーツが、妙にしわくちゃになっていた。
首をひねりながら、もしかして、とガイは、指先でベッドからリーの転がる床へと放物線を描いてみる。それは綺麗に四分の一の弧を描いた。
最初はベッドに寝ていたのか。そして。床に落ちたのか、リーよ。
それと知ると、ますますガイは慌てふためいた。
どこか、打ったりはしていないか。もしかして、打ちドコロが悪くて死んでいるのではないか。おお!リーよ!
急ぎガイは、リーのぷくんとふくらみを帯びた、さくらんぼ色した唇へと耳を近付ける。かすかに、かわいい寝息がガイの耳をくすぐった。
胸もゆっくり上下していた。ガイはよかったと、ほっと一息ついた。
胸をなでおろしたのも、つかの間。
ひゅ、と風を切る音がした。
目を覚ましたのかと思った矢先、リーの蹴りが、姿勢を低くしていたガイの顔面を強襲する。ガイはリーの足で、顔をひどく張り倒されてしまった。
まさか技をかけてくるとは思いもせずに油断していたとはいえ、気付いてよける間も、なかった。それほど素早かった。
リーの蹴りは以前に比べかなり重くなってきているとはいえ、この程度の衝撃では、どうという事はないガイだ。
だが、しかし。
痛かった。ほんの少々、目から火が出た。
手で、熱を帯びてくる頬をさする。
ガイは警戒しながら後ずさった。床に腹ばいになり、リーの今後の出方を待った。
……。起きているのか。どういうつもりなのだ。おれに勝負をしかけてきているのか?
ガイは、じっと様子をうかがう。
けれど暗闇の中にはただ、寝息が響いているだけだった。
何だ。寝ぼけたのか。ガイはそろそろとリーへと近付く。そしてあいかわらず床に横になったままで、今度はエビのように丸くなって横向きに寝ているリーの肩をつかむと、揺らした。
「起きろ、リー」
がくがくと上体を揺らされ、リーはうっすらと目を開けた。
「ガイ…せん…せ…い…」
リーの視線は目の前のガイを見ずに、どこか遠くに注がれている。視点があやふやだった。
「せんせ…いの、かたきは、ボクの…かた…きだ…」
夢でも見ているのか。夢の中で、おれの仇を討ってくれているのか?微笑ましい事を思ってくれている、と、ガイがまたもや涙腺を緩ませたその時。
目を閉じたリーは、ぶつぶつとつぶやくやいなや、ガイの頭めがけ、力任せに自分の頭をブチ当ててきた。
部屋は真っ暗闇の筈なのに、ガイの鼻先だけがチカチカと光り輝く。
自称、石頭のガイだ。リーの、幼く柔らかでほんのりと暖かな頭が、どれ程強い力で降ってこようとも、びくともしない。実際、傷ひとつ、ついてはいなかった。
だが、しかし。
思いもしない攻撃に、ガイは不意を突かれた。
不覚にも、痛みで目のはじに涙がにじんできた。ガイは、指先で涙をそっとぬぐった。
ガイがこの程度の症状で済んだとしても、リーの頭にはかなりのショックを与えたようで、リーはがくんと頭を後ろへと背らせた。
ガイの手が肩を支えなかったら、ガイの頭へと打ちつけた反動で、リーは床へとひっくりかえっているに違いなかった。
リーが倒れないように、ガイはリーの肩を強く引いた。
大丈夫なのかと目を凝らしていると、やがてリーの額には、ガイの石頭と接触した時によって生じた、たんこぶが一つ、ぷくりと顔をのぞかせた。
おおう、何という事だ!リー!
自分の石頭が愛弟子を傷付ける事になろうとは。
リーの流れる黒髪のあいまからのぞいた額の中央に、ほんのりと浮き出ている赤いたんこぶ。
ガイは触れていいものかどうか、躊躇した。
こういう時には、どうすればよいのだ。まず傷の手当てをしなくては。
だがガイは、自らの身に起こった多少のケガならば、傷についた汚れを洗い流すだけで放置し、自然治癒に任せてきた。体内の治癒能力に働きかける薬草類は、あるにはあるが、さて、たんこぶに効くものは。ガイは唸った。
そのうちにリーの額のたんこぶは、傷口すらないものの、かなりの赤味を帯びてきた。
痛そうだ。おれの頭が、このおれの石頭が、大事なリーの体に傷を付けてしまった。
何という事だ。どうすればいいんだ。
ガイは苦悩しながらリーの体をベッドに横たえた。きもちよさそうに寝息をたてているリーの、その安らかな寝顔を見下ろした。
いろいろと手持ちの薬草を思い浮かべてはみるものの。たんこぶに付けるぴったりの薬は、思い付かない。こういう非常時には。ガイは頭をひねって考える。
つばでも、付ける、か?ガイは指先を舌でなめてみる。指先と、リーの顔を交互に見比べてみた。
何をつけないよりはマシか。ベッドサイドに立ち、リーの体の上へと身をかがませると、おそるおそる指を近づけようとして。
リーの口元がかすかに動いているのに気付いた。
むにゅむにゅと上下左右、動く。
何だ、また夢を見ているのか。寝ごとか。聞き取ろうとしてガイは、リーの口元へと耳を寄せた。
「…ぼくは…ぼくは…このオリジナル…な、わざ…で…」
寝ていても技の事を考えているのか。ガイは、はっとする。
それまでの穏やかな表情とはうって変わり、リーは苦悶に満ちあふれた表情をする。
「…こ…ここが…いつもうまく…いか…な…い」
泣きそうな声だ。夢の中で実際に、技の練習でもしているのか。
おお、リー。お前は寝ている間でも、忍道を全うしようと己の目指す場所を忘れないのか。
何と純粋なのだ。どこまでも努力の男なのだな。
暗闇の中でガイは、己の心を、かつてない程熱くしていた。
「…わざもうまくいかない、けど、どうして、でしょう、なんだか…おでこが…いたい…」
リーのか細い声に、ガイは動けない。
おれの、おれのせいでリーは、夢の中でも痛みを感じているのだ。すまん、リーよ。
後悔の気持ちで、ガイは悲しくて泣きそうになる。
「…また、まけてしまい…ました…おでこ…いたいです」
リーのその言葉で、ガイは我に返った。
お前は負けてなどおらぬ。お前は、決して負けてなどいないのだ、リーよ。
「いたい…わざがができない…どうしてなんだろう…いたい、いたい。ガイせん…せい…」
おでこの痛みだけではないのだ、きっと。技の出来ない未熟な自分を、弱い自分を悲しがっているのだ、とガイは思う。
起こしてやるべきか。起こして、夢の中でも修練しようとしている、その努力を褒めてやるべきか。それとも、このまま寝かしておいてやるべきか。ガイは戸惑う。
リーの顔を覗き込み、中腰で不自然な姿勢のままで、ガイはぴたりと動きを止めた。
リーの口が、再び動いたのだ。
「…しん…わざの………とっぷう…」
「新技?」
興味を引くその音に反応したガイの目が光る。
「このは…とっぷ…う」
リーの口元がかすかに動いたと同時に。リーの両手は、勢いよくベッドを叩いた。腰を支点にして、両足を浮かせ、くるくると素早く回転しながら、しばらくベットの上を移動していたが。
回転する丸い渦のような中から、右足が勢いよく伸び出てきた。けれど足は、何もない空間を蹴っただけだった。
しかし。間を置かずに飛ぶように出て来た左足は、確実に何かを捉えた。捉えたというよりも、手のようなものに邪魔されたのだ。動きを止められてしまう。
リーは身をよじって、再び右足を真っ直ぐに蹴り出した。けれどこれも、同じように止められてしまった。
思い通りにいかないのが不満なのか、リーは歯ぎしりをする。けれど、未だ、目は閉じたままだった。むにゅむにゅと、口が動く。
足がダメだと悟ったらしいリーは、いきなりベッドマットの両端を手でつかんだ。思いきり引っ張りあげる。
何をするのかと、つかんでいたリーの両足をガイが離した瞬間、暗闇の中へと、シーツと共に白いマットが舞った。半回転して飛んでくる、キングサイズのベットマットをよけたガイだったが。その影に隠れるかのように、マットの後ろからリーが飛び出してきた。
危ない!
床めがけ、真っ逆さまに落ちてくるリーの体を受け止めようと、ガイは走り寄った。
ゴツン、と鈍い音が部屋へと響いた。
何か硬いものに当たったような音だった。
「…しとめました…ガイせ…んせい」
自分の足に確かな手応えを感じながら、リーは満足気につぶやいた。ガイは起こさない様に、抱きとめた小さな体をそっと床に置いた。掛けられた布団を、リーは両手でぎゅっと抱えた。
「ぼく…は、やりましたよ…せんせ…い」
「リー…」
それに応えるガイの、小さくつぶやく声がした。
そして長かった夜は、何事もなかったように明けてゆく。
朝早く、よく寝たという充実感溢れる顔をして、リーは目覚めた。
転がっていた床から起き上がりながら、ふと違和感を感じ、手で額を触った。
熱を持ち、痛みがあった。
どうしてこんなところが痛いのだろう。リーは首をかしげた。
台所の方から、水の流れる音が聞こえる。
リーは、腰のあたりにある額当てが後ろへ回ってしまっている事に気付いて、キチンと直しながら、音のする方へと歩いてゆく。そこには顔を洗っているガイがいた。
リーが来た事に気付いて、ガイがふり向いた。髪も一緒に洗ったのか、顔だけでなく頭全体が濡れて、滴が落ちてきている。
リーは朝のあいさつをしようとして、師のあごに、赤く腫れたような跡があるのを見付けた。そういえば、額と頬も少しだけだが、赤い。リーは目を見張った。
先生。きのうも敵と戦ったのですね。
先生に傷を付けた相手とは、さぞや凄い技の持ち主なのでしょう。そんなに腫れていては、かなり痛いことでしょう。
先生を傷付けた相手。世の中には、強さを誇る人間が、まだまだ大勢いる。僕も。僕も頑張らなければ。
リーは握った手に力を入れた。興奮で、こぶしが震えるのを感じた。
「先生…」
「よく眠れたか?」 ガイが顔を手荒く拭きながら、問いかけてくる。
リーの目からは見上げる高さにいるガイが、いつものように、そこにいた。傷の事を聞こうかと思ったが、師のプライドに傷を付けてはいけないと思い、黙った。
「そうだ先生。僕、新しい技を」
「知っている」
「えっ?」
まだ誰にも見せた事のない、秘密の技だった。ネジにもテンテンにも内緒にして、ひとりで開発した新技なのだ。リーは不思議そうに目を丸くする。
「…知って…いる?」
「なかなかに、手強い」
ガイはリーに聞こえないように小さくつぶやくと、手に持ったタオルで髪をゴシゴシと拭き始めた。打撃を受けて数時間たった今でも、あごの痛みは消えるどころか、反対にその存在を強く主張し続けている。
夢か現実か、不安定な状態。その狭間で出した技の力がこれ程までの威力を持つとは。
「おれも、負けてはおられんな。リーよ」
頭からかぶったタオルの下から見てとれるその眼は、鋭く光を放っていた。けれどそれは一瞬だけで、すぐに、いつもの熱くリーを見つめる目に戻った。
まだ見せていない技の事を、どうして知っているんだろう。さっぱり分からないという顔で、リーはその場所に立ち、ずっと師を見上げていた。
(終) |