寂しい誕生日〜人はそれを誤算と呼ぶ
××年1月5日。
「は〜くしょーんっ!」
雲を眼下に望む、里で一番高い山の頂(いただき)付近。
頭上に広がる空はどこまでも青く、そしてそこに漂う空気は果てしなく澄んでいた。高い場所を住家とする鳥達の姿も、ここではほとんど見掛ける事はない。
そんな人気(ひとけ)のない空間に。唯一、存在している一人の人間。それは木ノ葉の忍、マイト・ガイ、その人である。
彼は遠慮なく、辺りにクシャミの音を響き渡らせた。
「はっくしゅん!…ううむ、少しばかり寒いな。それにしてもどうして、誰も来んのだ?こんなに有名な山だというのに」
ガイは体をほんの少し震わせた。時折、寒風が吹き荒ぶ山のてっぺんで、彼は一人、仁王立ちしている。それもここに来て、もう既に5日以上経つのだった。
「初日の出を拝むのならば、この場所ほど良い眺めは無いというのに」
何故誰も来ないのか。ガイは首をひねりつつ、「フリーハグ」と記されたボードを首から下げて誰か来るのをずっと待っていた。
同日。上忍待機所 11時59分
「…で結局、『フリーハグ』は、まずまずの成功をおさめたって訳か」
年末から年始にかけて里を留守にして、昨晩、やっと任務先から戻ったアスマは、疲れて泥のように眠り、さきほど目が覚めたのだが、家にいてもする事がない為に、暇潰しに待機所へとやって来た。
寝不足を隠さない様子で、大あくびを何度もしながら、椅子へドカリと腰を下ろす。
ゲンマが、報告書を片付けている。
アスマは、机の上に無造作に置いてあった写真を、何となく指先でつまみ上げた。
『フリーハグ』と書かれたボードを首からかけた者達が、自分と抱き合った者と記念写真よろしく笑顔で並んで映っている。年齢・性差・職業関係無く、皆仲良さそうな写真ばかり。
このフリーハグは、火の里限定で行われた、新年を迎えるお目出度いイベントだった。
またこれは、忍限定ではなく、この里にいる忍以外の住人も、この日だけは地位やしがらみ関係無しに、互いに抱き合う事によって今後も仲良く助け合っていこうという、一種の「挨拶」のような意味もあったのだった。
沢山ある写真を、アスマは適当に飛ばしながら見ている。一番多いのは、やはり身近にいる仲間とのハグだった。
普段の親しい間柄が、写真からも見て取れる。
後輩である小さな忍が、大人の先輩忍に抱き付いている姿も微笑ましいものだった。
また、抱き付かれるのが嫌なのか、抱き付いている人の頭を殴っているというのも中にはあったりして、つい笑ってしまう。
一瞬をとらえた写真を見ただけで、そこに写っている二人の間柄が見て取れ、意外と面白いものだった。
とはいえ、そこに写っているのは、純粋に「挨拶」とは思えないような姿も見受けられた。
若い娘に抱き付いている若い青年、そのまた逆もあり、というパターン。これは、ハグイベントという名を借りた、愛の告白にも見て取れる。
告白とはいかないまでも、好意を持っている異性に、この場を借りて気持ちを伝えてしまおうというつもりなのか。
抱き付かれる方も抱き付く方も、双方、照れた様子で顔が赤い。
「いいねぇ…こういうウブな頃ってのは。どいつも可愛いな」
アスマは独り言を言いつつ、写真をめくる。
この日は忍もいつもの任務服ではなくて普段着姿で、パッと見、忍だとは分からない筈なのだが、どこか物腰が、一般的人とは違う。
写真の中の、特に一般人はその事に気付いてはいないようだったが、見ているアスマには違いが分かる。
忍は一般人に溶け込んでいるようで、どこか何か隠しているような、一種、何やらぎこちない部分がある。それでこそ忍というべきなのか、それとも、見破られてしまうのは、まだまだ修行が足りないというべきか。
ぎこちないといえば。アスマは1枚の写真に手を止めた。
フリーハグのフダを下げた紅が、苦笑いをしている。
「何だ、この、笑ってるんだかそうじゃないのか、あいまいな表情は」
アスマは訝しげに、写真をめくった。
紅の前に、ハグの順番を待つ人の長い列が出来ている写真が現われた。
列に並んでいるのは男ばかりかと思いきや、女性や少女の姿も見える。
「何だ、こりゃ」
呟くアスマに、写真を覗きこんだゲンマは、
「一番人気だって聞いたぜ。野郎に人気が高いってのなら分からなくもないけど、女にも人気があるとはな」
「いわゆる『女子校のノリ』ってやつか?」
「お姉さま。イイねえ」
電卓を叩きながら集計していたゲンマは手を止め、二度、お姉さま、と繰り返した。
アスマには良く分からない世界なのだが、ゲンマにとっては想像が容易い内容らしい。アスマから写真を奪い取ると、眺めてニヤニヤしている。
「お前、そういう趣味があるわけ?」
「知らない世界だからこそ、見てみたくならないか?」
「ならねぇな」
半ば呆れつつ、アスマはアッサリ言い放つ。即座に否定され、ゲンマは、
「ツマンネェ奴だな、想像力の無い」
「ふん。そんなに女の世界が好きなら、お前、女装して『お姉さま』ごっこやればいいだろ」
「それはまた別の世界」
……分かっちゃいないな、とゲンマは呟きながら、紅の写る写真を戻した。再び集計票に取り掛かる。
「分かりたくもねぇよ」
アスマはタバコを取り出した。けれども近くに灰皿が無い。あちこち視線をやって探してみると、据え置きタイプのものが入り口近くに置いてあった。
仕方なくアスマは灰皿の位置まで移動する。
部屋には、写真を片付けているゲンマと、咳をしながら年賀状の整理をしているハヤテと、指先を突っ込んで耳をかいているカカシしかいなかった。
のんびりとした空気を含んだ時間が流れていた。どこかから、コーヒーの良い香りが漂ってくる。
それまで、特に飲みたいと思わなかったコーヒーだが、鼻をくすぐる香りに惹かれて、アスマもその気になる。
「喉、乾いたな。誰か」
「俺はブラックで」「俺はミルク多めの砂糖控え目」「ミルクティーの、砂糖ミルク多めで、お願いします」
カカシ、ゲンマ、ハヤテが一斉に返事をする。
カカシが付け加える。「アスマの奢りでよろしく」
アスマは苦笑いした。
「お前ら、俺と何年一緒にいるんだ。俺がおつかいなんて行くわけねぇだろ」
「分かっちゃいないな、こういう時は、言い出した奴が行くもんだ」
そう言いながらゲンマは写真をパン、と机に置いた。そして写真に写っている忍の数と集計票と見比べて、苛ついた表情を浮かべた。
「やっぱり一人足りない…」
「ガイでショ」
カカシは事もなげに言った。「あいつ、今年になってから、1回も姿を見てないもん」
「ハグ・イベントは元日限定って、確か言ってあった筈だよな」
「説明文書にも書いてあった」
「もう5日だぜ。ガイはいつまで待たせるつもりなんだ?」
「行き先は予想付くけど」
「帰ってこないって事は、まだ誰ともハグ出来てないからだろうな」
「多分。あいつは頑固で融通が利かないからね。戻れと言ってもきっと帰ってこない。誰かとハグ出来るまで、戻ってこないと思うよ」
「参ったな。ハグした証拠として一人一枚以上、写真が必要なんだが」
「ガイの写真があれば、ゲンマの仕事は終るわけ?」
「そうだな。お偉方は報告書の人数と証拠写真の数が合ってなきゃうるさい。中でもガイは目立つ奴だからな。写真がないと」
「ふーん、だったらお正月だし、人助けしてあげるとするか」
言うなり、カカシは立ち上がる。両手のひらを合わせた。ノロノロと印を組む。
「変化の術!」
白煙の中から、少し華奢なガイが現われた。
カカシのガイは、ハヤテの方を向く。
ハヤテはカカシの思惑を察しておびえた。そして恐る恐る尋ねる。
「もしかして、ガイさんとハグ…ですか?」
恐ろしそうな表情を浮かべ、嫌だと言わんばかりに首を振る。
「ゲンマは…?」
「俺は…その、そうだカメラ、写真撮らなきゃならないから、だから」
ゲンマはアスマを指差した。言われてアスマはギョッとする。
カカシのガイが動くより先に、アスマは逃げるようにして、そそくさとその場から離れた。
「俺はコーヒー買ってくるから忙しい」
逃げるように部屋から出て行ってしまった。
その後ろ姿を見送りながら。
……仕方ないなぁ。やっぱり偽者とはいえ、ガイとハグするのは嫌なのか。
カカシは呟くと、一旦、術を解いた。華奢なガイが消え失せる。
カカシは、再び印を結んだ。
「影分身の術!」
ボワンと煙が立つ。
カカシの横へ、もう一人、カカシが現れた。
オリジナルなカカシは印を組む。
「変化の術!」
オリジナルなカカシは、ガイへと姿を変えた。
ゲンマは、なるほどと思いながら、
「…考えたな、カカシ。よし、カメラ、カメラ!」
ゲンマはカメラを構えた。すぐにでもハグ写真が撮れると思っていたのだが。
影分身のカカシは何やらモジモジして、その場に突っ立ったままだった。
そんな影分身に、ガイに変化したオリジナルのカカシは命令する。
「早く抱きついてヨ!もう!」
ガイは、影分身のカカシを自分の体の方へと引っ張った。
「ヤダ!ヤダ!」
影分身のカカシは嫌がって逃げようとする。
「ヤダ〜ヤダ〜」
「影分身の分際で嫌がるなんて!!!見た目はガイだけど、中身は俺だよ」
「分かってる、だけど、ヤダ〜」
「俺だって好きでやってる訳ないでしょ〜ヨ」
カカシ声のガイは影分身の体を離さないよう、しっかりと抱きしめる。
逃げようとするカカシと、逃がさない様に抱きしめるガイ。
「早く!早く撮って!」
カカシ声のガイはゲンマを急がせる。けれどカメラの調子が悪いのか、ゲンマはカメラのシャッターが押せないようだった。
「何やってるんだヨ〜!」
「チッ、こんな時に…」
「あっ、コラ!」
ゲンマに気をとられて、カカシ声のガイの腕の力が少し緩んだはずみに、影分身のカカシはガイをすり抜け、逃げるように部屋から廊下へ、だっ、と走ってゆく。
「コラ!」
影分身のカカシは必死で逃げるけれど、廊下を半分位来た所で、ガイに捕まえられてしまった。
「ゲンマ、早く撮って!」
廊下では、何人かの忍が立ち話をしていた。
ガイがカカシをはがいじめにしている図を見て、仲がいい二人だなと思われていないかなどとカカシは気にしながら。
これには事情があるのだと説明するのもややこしくて、嫌がる影分身のカカシの口をふさぎ、黙らせる。
ゲンマは、カメラの調子が戻ったとみえて、ようやく二人の写真を撮り終えた。
「OK!」
ゲンマの声が終わると同時に、影分身のカカシは、わずかな白煙に紛れるようにして消え失せる。
「そんなに嫌わなくてもイイじゃん」
影分身を押さえるのに力を使って少しばかり疲れたカカシも、ガイの格好をやめて、元の姿へと戻った。
「ゲンマ、ひとつ貸しだからね」
「それを言うならガイに、だろ」
「あいつ、何してンのかな…」
「さすがに心配か?さっき、行き先を知ってるって言ってなかったか?」
「心配とかしてないけど、これ以上迷惑とかかけられても。だけど連絡手段が…」
「伝書鳥が使えない場所なのか」
「う〜ん多分、無理かなぁ。どうしたら…そうだ!」
カカシは部屋の真ん中に置いてある水槽を覗いた。
そこでは、ガイが育てている亀が何匹か、まったりと時を過ごしている。
カカシはその中へ手を入れて、一匹の亀を取り出した。
さて、一方、いまだに山のてっぺんにいるガイは。胸の辺りに何やら違和感を感じて、ベストの内側へ手を入れた。中から、動いているものを掴んで取り出す。
手のひらには、ガイが愛を注いで育てている小さな亀の《イチゴ》が、上下逆、甲羅を下にし、モゾモゾしている。
「おお、イチゴではないか!」
ガイは嬉しそうに言ったが、すぐ、緊急の呼び出しかと顔をこわばらせた。イチゴを持ち上げ、上下逆の体をきちんと元に戻してやる。
「どうしたのだ?」
イチゴは背中に、ハンカチで包まれた荷物をくくり付けていた。
それに気付いたガイは、急いで荷物を開いてみる。
手紙が入っていた。
《ああ美味しいな、雑煮におせち》
文字に見覚えがある。カカシだな…。
雑煮におせち。
何度もその文字を読み、ガイは腹を鳴らした。
里の食堂でも正月料理が振る舞われている筈だった。とはいえ、今日は5日を過ぎている。今から戻っても、正月の料理は、もう何も残っていないだろう。
手紙には続きがあった。
《ハグするまで戻ってくるなよ》
ガイはフン!と鼻を鳴らした。
「言われなくとも初志貫徹!」
とは言いつつ。
正直、ガイは少しばかり参っていた。
すぐに誰かとハグ出来ると思っていたのだった。こんなに滞在が長引くのであれば、何か正月らしい食料を携帯したのだが。
昼は山頂で過ごし、夕暮れになると山の中腹にある山小屋まで降りて、そこで夜を明かしていた。小屋に常備してある食料を食べ、暖も充分に取れている。これといって不自由な事はない。
ただひとつ。山へ誰も登って来ない事以外は。
ガイは知らなかった。誰も来ない訳を。
山のある方角は、今年は〈方角が最悪で、山を見るだけでも不吉〉との占い師の御告げが出たものだから、誰も登山の予定を入れてなかったのだ。
また、その占いの正しさを裏付けるかのような出来事が起こっていた。
12月31日、早めにガイが登頂した後、日付が変わるやいなや、山の下の一部分が雪崩を起こした。幸いにも怪我人はいなかったのだが、大事をとって山への登山は禁止されてしまった。
占いなど気にしないし、雪崩が起こって入山禁止になっている事など全く知らないガイは、不思議だと首をひねる。
「初日の出を見るならば、この山ほど良い場所はないというのに。皆、知らぬのか…」
ガイはがっかりする。
確かに、誰もが登ってこれる高さの山ではない。かなり山に慣れている者でなくては挑む事の出来ない厳しい山には違いないのだが。
苦労して汗を流して、たどり着く。そして目の前に広がる太陽のきらめき。
努力が報われる瞬間。
これこそ、青春を肌で味わう感動のトキメキ。極上の天国。
「なのに、この感動を手にしようと思う者が、誰一人いないのは何故なんだ」
疑わしく思いながら、ガイは手紙の続きを読む。
《んじゃ、頑張ってねー》
いつも以上に適当なカカシの文字。
ガイは、イチゴの荷物に、まだ何やら入っているのに気付いた。
餅ひとつ。
《ついでに…誕生日だっけ?オメデト》
「そういえばすっかり忘れていた…」
寒風吹きすさぶ中、餅ひとつ持って、ガイは山のてっぺんに立ち尽くしていたのだった。
(終)
2009.01.01
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