責任ヲ 転嫁スル
上忍待機所、午後2時16分。
小春日和の昼下がり。
半分眠ったような目をしているカカシは、さっきからずっと、マスクの上から鼻をこすっては、すんすんと鼻をすすり、こすってはすすり、をくり返している。
「…なんだか、鼻の調子が変だナ」
ぐす、と鼻をすする。
「カゼ、ひいたカナ…」
開かれた窓から、爽やかな風がどっと部屋へ流れ込んでくる。
「窓、閉めてよ、ガイ」
足元にいるガイに、カカシは声をかけた。
床に座り込んでいるガイは、何やら熱心に巻物を広げている。聞こえている筈なのに、カカシの願いにも顔すら上げない。
カカシは再度、言った。
「窓、閉めて、窓、閉めて」
しつこいほどに何度も繰り返すカカシの願いに、ようやくガイは、言葉だけを返した。
「今、忙しいのだ」
何か考え込んでいるらしい。腕組みをしながら床に置いた巻物を睨み、書かれた術式に、真剣な目つきで見入っていた。
「閉めて、ガイ」
体をぶるっと震わせて、カカシは重ねて言った。
「ガイの方が、近いデショ。閉めて」
ほんの半歩程度なのだが、確かに窓への距離はガイの方が近かった。ガイは窓をちらと見たが、動かない。
「だから今は、忙しいと言っている」
余程、術式が難解なのか、ガイの口から、うなり声が漏れ始めた。
カカシは、ガイの見ている巻物を見下ろした。ちらと見ただけで、すぐにつまらなそうな顔をしてイスに座り直した。そしてまた鼻をすすりながら、ガイに向かってつぶやいた。
「窓を閉めてくれたら、教えてもイイ」
「自分で考える。お前の手など借りぬ」
「ずいぶん長い時間考えてるデショ。俺のアドバイスを聞けば、すぐ理解出来る」
「それでは自分の為にならぬ」
「固い事を言ってたら、いつまでたっても解けないよ」
再びカカシは鼻をすすった。
「誰か、窓を閉めてくれないカナ…」
誰かといっても、この部屋にはカカシ以外には、ガイしかいない。この場合の『誰か』は、必然的にガイを指している。
カカシはちら、とガイを見るけれど、あいかわらずガイは、巻物ばかり見ている。カカシの事など、まるっきり眼中にないようすだった。
カカシは、はあ、と聞こえるように溜息を吐く。眠いけれども寒くもあるカカシは、両手で肩を抱きながら、ゆっくりとした口調で、つぶやきを開始した。
「夕方から仕事が入ってるんだよね、誰かさんは今日は休みだからいいよね、俺なんて今晩から3日連続で眠るヒマないわけよ、なのに眠っちゃイケナイとでも言わんばかりに嫌がらせのように窓を開け放して、優秀な忍にカゼ引かそうっていう魂胆なワケよ、そりゃあ今すぐお前と勝負したって全然平気で勝っちゃうけど、だからって窓くらい閉めてくれたっていいんじゃないって思う俺は、どこか間違ってるかな」
カカシが黙っても、ガイは相変わらず床に座り込んだまま、動く気配すらない。
カカシは続けて言う。
「だいたいさあ、今日の仕事内容って俺が出るまでもないわけよ、なのに中忍が出払って上忍も出払って人手がないっていうから、休み返上で無理して働くわけなのよ、そこんとこどうなのさ、出払ってる上忍の中にお前は入ってないっていうの、確かお前も上忍だよね、なんでここで巻物とニラメッコしてるのさ、お前が俺の代わりに仕事へ行ってくれたら窓くらい閉めてもいいんだけどな、何度も言ってるように、俺は夕方から働かなきゃいけないから大事な体なの、わかるかな、わかってないから窓を閉めてくれないわけよね、そうだよ、お前って昔からそういう奴だよね、自分が夢中になると他の事を頼まれても意地でも嫌だと言うからな、頼んだ俺が間違ってたよ、ああもう、お前ってなんてイヤな奴なんだろう、ホント、常識がないよね」
カカシは一息ついた。
部屋は静かになる。
これだけ言ってもガイが動かないと知ったカカシは、これくらいで負けるものかと、つぶやきを再開した。
「そうだよ、だいたいお前は常識がないよ、なにそのマユゲ太すぎだよ、なにその下マツゲ点々すぎだよ、なにその髪の色、黒すぎだよ、なにその口デカすぎだよ、歯だって光ってまぶしいし、着ている服だってセンスないよ、、デカいといえばその声だよ、全くお前にはボリュームをコントロールする機能はついてないわけなのかな、生まれつきなのそれは、そういえば小さい頃からだよね、その地声がデカいのは、何の話だっけ、そうそう常識について論じていたんだった、お前の外見について話すだけでも、常識っていう当たり前の物事が語れないよね、だってお前が悪いんだもん、窓を閉めてくれないから、簡単なことだよね、ちょっと立って、窓に手をかければそれで良いんだから、なのに微動だにしないわけね、ああ、こんなに頼んでいるっていうのに、そのデカイ耳は何の為に付いてるんだよ、飾りなの、はああ、分かった、オシャレしてる訳か、なるほどね、でも無駄な飾りだよね、見た目も悪いし、何の役にも立たない、それに鼻の…鼻の穴だ…って…ハナ…」
カカシは鼻をモゾモゾさせた。くしゃみが出そうな様子だったが、顔をハフハフさせて、何とかこらえた。しばらくすると、落ちつきを取り戻す。
ちらりとガイを見た。
ガイは微動だにせずに、腕組みをしたままの姿で、そこにいる。
カカシは重ねるように、つぶやきの弾丸を放ち始めた。
「ハナ…そうだよ鼻の穴だって、必要以上に大きいよ、なにそれ、無駄に空気を吸い過ぎだよ、そうやってお前が空気を独占して、吸って吐いて吸って吐いてを繰り返して空気中の二酸化炭素の濃度が高くなって、その結果、環境破壊が進んだら、絶対に訴えてやるからな、あれ、ちょっと待ってよ、だけど何故俺が頼んでいる事を嫌だと言う訳よ、だいたい俺の方が先に上忍になってるデショ、っていうと先輩なのよ、分かってるのかな、先輩の言う事を、どうして素直にハイって聞けないのかな、それってモノゴトの基本だよね、どれだけ忙しくしていても、先輩の言葉を優先するのって基本というか常識っていうんだよ、お前には敬う心がこれっポッチもないよ、あああもう分かった、本当に常識がないよね、お前は、頼まれたら普通は快く承知するもんだよ、失礼きわまりない奴だよ、前から分かってたけど、でも今日ほど痛切に、そう思った日はないよ、ああ全く、―――
ああああああああ」
叫び声にも似た、ため息を吐き出して、カカシはガイを見た。
うるさいと顔に書きたいような表情で、ガイはカカシを見た。
大げさな様子で、カカシはぐす…と鼻をすすった。そして体を震わせた。
カカシの寒そうな様子がようやく分かったガイは、ベストの内側へと手を入れる。そこから引っぱり出したものを、カカシへと投げてよこした。
顔めがけて投げつけられた布地。
「何?緑の…」
言わずと知れた、伸縮性・吸湿性・保温性に優れた、ガイご自慢のマイト・スーツ。
カカシは両手の指先でつまんで、左右に広げてみる。その緑のスーツは、窓から吹き込んでくる風を受けて、軽快に、そよそよと揺れた。
「お前に貸してやるぞ」
ガイの言葉に、カカシは唖然とする。不服そうに訊ねた。
「あのさ、口に出すのもヤなんだけど、これをどうしろってコトなのかな」
ガイは表情を変えずに言った。
「寒いのだろう」
「着ろと言うのか、お前は」
「首に巻くだけでも温かいぞ」
「く・く・く・首に?巻く?」
カカシは目を丸くした。
「ちょっと聞くけど、これって新品だよねモチロン」
「さきほどまで、のき下にブラ下がっていた。丁寧に洗ってあるし、良い天気だったのでよく乾いていて、太陽熱で殺菌されて、これ以上ないほどに清潔だ」
「…って、それ、お前の着古しじゃないか!」
「新品よりも、少し着たものの方が、肌なじみが良いぞ」
「なんだよ、その得意そうな顔は!!こんなの絶対に、着ない。着るなら自分で窓を閉め…」
言ってカカシは、はっと口をつぐむ。
ガイが鼻で笑う声が聞こえた。カカシが最初から着ない事は分かっているのだ。自分で窓を閉めるとカカシに言わせたいガイの、その口車に乗ってしまった事に気付いて、カカシは、さも悔しそうにガイを睨んだ。
「お前…」
「自分で言ったのだ、カカシ。どちらでも好きな方を選べ。もちろん服を着てもいいし、窓を閉めてもいいぞ」
「絶対絶対、着るもんか」
「では自分で窓を閉めろ」
「閉めてくれたっていいじゃん。お前の方が近いんだ」
「だから、おれは忙しい」
当然のように言うガイに、カカシは噛みついた。
「どこが。だからその術式の解き方は、教えてやると言ってる」
「閉めてやりたい気持ちはあるのだが、残念ながら、一歩も動けぬ」
「嘘ばっかり。動く気なんて、ないクセに」
「お前も見て分かるように、巻物の中の必要な所を足で押さえているからな。だから動けぬ」
ガイの手にしている巻物は、かなり年代ものと見え、色は茶褐色に変化し、あちらこちらが破れていた。紙自体もかなり劣化しているせいで、少し触れただけで、紙のカスのようなものがぽろぽろと零れ落ちてきた。
確かにガイの言うように、必要な部分があまりにも多いのか、巻物の紙は、ガイの左足にも右足にも絡まっていて、そう簡単に解く事が出来ないほどに、しっかりと巻きついている。この状態で動けば、確実に巻きものを破ってしまう事は容易に想像出来た。
そんな訳で、ガイは至極丁寧に、紙を破らないようにと、慎重に慎重さを重ねて巻物を扱っていた。
そっと巻物の最初の方をたぐり寄せては、終わりの方と見比べて興味深そうに見ていたが、突然、顔を輝かせた。
「カカシ、ここに窓を閉める方法が載っている」
「そんなの載ってないよ、その巻物には」
「“敵の退路を塞ぎ、その身の周りを石で囲む法”。これを使って、開いている窓を閉じれば良いぞ」
得意そうに言うガイの目の中に、何か良からぬ策略のようなものを感じ取ったカカシは、その案を即座に却下した。
「俺の周りだけを囲もうっていう魂胆ミエミエ。ダメ」
そんなカカシの言葉を無視するかのように、ガイは巻物を見つつ、呪文を唱える。ゆっくりと、確認するように印を一つ一つ組み始めた。
「試しにやってみるだけだ、試しだ」
印を組み終わる。と、すぐさま、ガイの足元に四角の石の箱のようなものが現れた。
それはとても小さなもので、ガイは手に取り満足そうにながめた。
「大きさの呪文だけ変えれば良いのだ。よしよし」
「ずっとお前が捜している術は、それじゃないだろう?俺が教えてやるから、とにかく窓を閉…」
こんな事をしている間にも、風は、びゅうびゅうと吹き込んでくる。何か言おうとするカカシに、ガイはぴしゃりと言い放った。
「お前、自分で閉めろ。言っておくが、おれはこの保温性抜群の服のおかげで、寒くなどないからな。だから閉めぬ」
カカシはムッとする。
絶対、閉めさせてやるからな。
眠気すら犠牲にして、ここまで寒さをガマンしているのだ。今さら後へは引けない。
単に席を立って5・6歩、歩けば良い事なのだが、こうなったら意地でもガイに窓を閉めさせてやるのだとカカシは決意した。
どうすればいいか。カカシはあれこれ考え始めた。
その時。ガイが何やら呪文の様な言葉を口にした。
カカシは、はっ、としてガイの手元を見た。素早く組まれていく印の順番を目で追っていたが、やがて、ガイの組んだ印の順を追うようにして、カカシも印を組み始める。写輪眼でガイが組んだ印を全て写し取り、そしてそれら全てを無効にする印を次から次へと組んでゆく。
そんなカカシの様子に気付かずに、ガイは印を組んでゆく。
呪文と印が、あと残り一つという所まで来た時に、カカシは大声でガイの名を呼んだ。
「ガイ、ガイったら!!!」
何事か、と驚き、印を組んだ手から気を抜いて、ガイはカカシを見上げた。
「何だ?!カカシ!?」
「…これで、俺の勝ち」
ニコッと笑ったカカシは、ガイが最後の印を組む前に、素早く何やらつぶやいた。
するとすぐに、風がざわめき始める。と共に、ガイの足元の巻物の紙が、音を立てて揺れ始めた。
「…何だ?この風は、自然のものではないな」
と思ったのも束の間、次の瞬間、ガイの体は、巻物ごと窓の下へと吹き飛ばされてしまった。
ガイは壁に背を打ちつけると、ゴロンと床に転がった。
風は止む事は無く、以前よりも威力を増して、ごうごうと吹き荒れている。
それまでずっとガイの足にからまっていた巻物は、吹き込んでくる風と、カカシの起こした風の両方に、あおられていた。そのうち、元々、破れていた部分を風が吹き上げて、少しずつ裂け始めた。
「カカシ、風を止めろ」
慌てて、ガイは体で風を防ぎ、紙の動きを止めようとした。けれど、風をはらんだ巻物は、まるで生きているかのように空中へと舞い上がり、さながら竜のように暴れていたが、風の勢いに紙がとうとう耐えきれず、ビリリと破れてしまった。
巻物の切れ端は、あっというまに窓から外へと飛び出してしまった。そのまま強風に飛ばされて、遥か彼方へと飛んでいってしまう。
ガイは手を伸ばして取ろうとしたが、まとわりついたままで離れてくれない残りの巻物に足をとられて、体の自由が全くきかない。
「カカシ!カカシ!早く、風を止めろ!止めろ!」
「…窓を、閉めて」
強風吹きすさぶ部屋の中で、風に髪を乱されつつ、カカシは本来の目的を果たすべく、のんびりした声で言った。
「窓を閉めて、ガイ」
「こんな時にまだ窓の事か、閉めぬと言っただろう。カカシ、お前、何を考えてる、大切な巻物が、飛んで…」
ガイは、飛び去った切れ端のありかを目で追ってはみたが、その姿は、もう、どこにも見あたらなかった。
ガイの脳裏に、巻物を管理している担当官の姿が浮かんでは消え、浮かんでは消えてゆく。くれぐれも元の形で返却するように、と念を押されたのだ。くどいほど、だ。
注意しろと言われていたのに、結果、その通りになってしまった。
破損した理由をどう説明したものか。誰が聞いても「それだったら、しかたないな」という原因ではない。窓を閉める閉めぬという、まるで子供のような理由。話す事も、ためらわれる。最悪の場合、精神年齢の鑑定などされそうだと思った。
いまだ、びゅうびゅうと吹いている風の中で、ガイは巻物の残りが足に絡まったままの姿で途方に暮れていた。
「分かってるだろうな、カカシ、お前も一緒だぞ」
「…ナニ?」
「怒られに行く」
「知らない」
言いつつ、カカシは知っている。ガイの使っている巻物が“写し”である事を。
普段、巻物などを下忍に貸し出す場合は、巻物全てを貸し出さず、必要な箇所のみを、いわばコピーして手渡される。それはもちろん、万一の紛失・破損の場合に備えているのだが、下忍と違い、上忍には通常は“本物”が貸し出される筈なのだ。
けれど何故、上忍であるガイが、下忍と同じく“写し”を持たされたのか。しかもコピーとはいえ、いつ写されたのか、とても古い年代モノだ。
これでは『貴方のお好きなように、どうぞ破って下さい』と言わんばかりのシロモノだった。
あれっ、もしかして。
カカシの脳裏には、確信に近い考えが浮かんだ。
「聞くけど、お前、これで何度目だ?」
巻物を破った事を訊ねるカカシに、ガイは苦々しそうに返事をする。
「…言いたくないのだ、カカシよ」
「ああそう」
「だから、聞くな」
ガイは肩を落としてションボリとしてしまう。
やはりカカシの思った通りだった。こんな風にガイが巻物を破ってしまうのは、今回が初めてではなく、過去にすでに何度も破損している常連だったのだ。
「お前、そのクセ、いまだに直ってないんだ」
「クセとは何だ。今までは『力を込めすぎて、しかたなく』してしまったことだ。だが、そもそも今回の事は、カカシ、お前が原因なのだ。お前が自分で部屋の窓を閉めぬから、結果、こうなってしまった」
「責任転嫁だよ。自分のミスじゃないか。そういうのも悪いクセだネ」
「人聞きの悪いことを言うな。誰が責任転嫁しているのだ、そもそも、カカシ、お前が」
叫ぶように言うガイの声も掻き消されるほど、突風に似た風は部屋の中を舞っている。風は、前よりも激しさを増しているようだった。
これ以上、風にさらわれないように、折れ曲がってしまった巻物を、ガイは抱えるようにして突風から守る。
けれども一方で、失ってしまった巻物を早く探しに行かなくては、と慌てた。そんなガイを尻目に、カカシは髪をバサバサに乱しつつ、再度、言った。
「手を伸ばしたら届く場所にお前の事、ふっ飛ばしたんだから、ガイ、いいかげん、窓を閉めて」
(終) |