違い の分かるオトコ
上忍待機所、午後12時3分。部屋で12時きっかりにイビキは、ひとり、弁当の包みを開いて食事を始めた。
そこへゲンマがやって来た。部屋へ入るやいなや、イスの背にもたれ、くたびれた顔を見せる。とても疲れているようだ。懐から小さなビスケットを取り出すと齧り始めた。粉がボロボロこぼれるそれは、見た目も味も不味そうで、ゲンマはすぐに食べるのをやめてしまう。
そんなゲンマをちらと見るだけで、イビキは全く相手にしない。今は、食べることにその全神経を集中させている。一心不乱に箸を動かす。
「午後からも仕事だよ。休みなしさ」
長めの楊枝をくわえた口から、ゲンマは溜息混じりの息を吐く。
「仕事仕事仕事。人使い荒いったら、ないよ。なんだか、虚しい人生だよ」
イビキは聞こえない風で、相づち一つ、うたない。相変わらず、箸を動かして食べるのに一生懸命だ。
「せめて、旨い物でも食いたいけれど、誰も作ってくれないしなあ」
イビキに聞いて欲しい訳ではないのだが、無視されると、ゲンマはちょっと、むかついた。そんなに懸命に食べている、その中味が気になって、イビキの弁当を遠めに見てみる。
大きさも厚みもまるで本のような弁当箱に、隙間なく詰め込まれたいろんな色のおかず。品数はともかく、量は相当ありそうだった。
「それ、買ってきた弁当じゃないな?手作りだな」
可愛いダンゴ柄の弁当包みが横にある。イビキの持つ、見た目恐ろしげな雰囲気と、全く似合わないシロモノだ。
「イビキもスミにおけないねえ…」
弁当を作ってくれる相手がいるなんて、うらやましいと思うゲンマだ。それに引き換え、わが身の寂しさときたら。仕事に明け暮れる毎日だ。弁当一つ作ってくれる女がいないのは何と情けない事だと、ため息をついていると。
そこへアスマがやって来た。手に袋を下げている。イスに座ると、早速、袋からホットドックを出し、食べ始めた。 イビキが、机の上に置いてある、大胆な花柄の弁当の包みを指し、アスマに向かって。
「…それ、紅が」と言った。
ゲンマは、イビキとアスマを交互に見た。口を尖らせ、2つの弁当箱を羨ましげにじっと見ている。
「お前達2人共…いいなあ。いいよなあ」
アスマは弁当の包みをほどくと、おにぎりを右手にホットドックを左手に。忙しく頬張りながら、ゲンマに言った。
「お前の噂、聞いてるぜ」
「どんな」
「見るたび連れてる女が違うけど、3日と続かないって」
「ああ、その事か」
「どうしてだ」
箸を動かすのをやめ、珍しく、イビキは興味深そうに。ゲンマを見た。
「そのツラならば、女はよりどりみどりだろう?」
アスマも、イビキに同意見だ。けれど当のゲンマは元気なく、肩を落として悲しげに。
「―― そうもいかない。誘いに乗っては来るんだが、何故だかすぐに、逃げられてしまう」
「相手に求めるものが多いとか?」
「求める?理想はこんなだって話はするけど」
「それ、いつ言ってんだ」
「会ってすぐ、お茶とかしているとき」
「一日目から、お硬い話をするもんだ」
「俺はキッチリした性格なんだ。冷静に相手の事を判断したい。惚れて浮かれてからじゃ、アバタもエクボだ。真実の姿が、見えなくなる」
「馬は飼ってみろ、女には乗ってみろって言うぜ」
アスマのその発言に、口にした米つぶを思わず吹く、イビキ。「それを言うなら馬には乗ってみろ、女には添ってみろだぞ」
そうだったけ?と首をひねりながら、アスマは焼きそばパンへと手を伸ばす。 大きなパンが、アスマの口の中へと飲み込まれてゆくのを見ながら、ゲンマは泣きそうな顔をする。「乗るとか添うとか、どっちにしたって、俺はそこまでたどりつけないんだよ」
「お前の理想って?」
箸でおかずの小芋を差しながら聞くアスマの、その箸先を見ながら、ゲンマは言う。「今の娘ってのは、みんな洋風なのが好きだろ?」
立ち上がり、おかずが何なのか覗きに来る。「お?和風だな珍しい」
さわらの味噌焼き、にんじんの甘煮、豚肉の生姜焼き、たまご焼き、小芋の煮っころがし、ホウレンソウのおひたし、エビフライ、タコときゅうりの酢のもの、そしてカボチャの煮もの。大きくそして深めの弁当箱の中へと、彩りよく納められている。
「俺好みだ」
じーっと凝視するゲンマ。弁当とアスマを見比べて。拗ねるように、そして不思議そうに。「…なんだって紅は、こんな奴なんかと」
言われてアスマは、形良く握られたおにぎりを口いっぱい頬張りながら、フンとそっぽを向く。
「いいなあ。カボチャは俺の好物だ」
ゲンマは弁当を、もの欲しげに見つめたままだ。あんまりじっと見ているので、少し可哀想に思えたアスマは、ゲンマの方へと弁当箱を押しやった。
「食えよ、そんなに好きなら」
「いいのか」
目を輝かせるゲンマ。「んじゃ、ひとつ」
手でつまんで口に放り込む。目を閉じて、味わうゲンマ。
「旨い。あああ…紅は、どうしてこんな奴なんかと。もっとマシな男が、いるだろう」
重くため息をつく。
こんな奴と2度も言われて。カボチャは全部ゲンマにやろうかと思っていたアスマは気が変わる。そこまで言われて、食わせてやることもない。それほどカボチャに思い入れがあるわけではないのだが。やはり、ソーセージが好きだな、俺は。どこがいいんだ、カボチャの。さっぱり分からん。
「カボチャなんて、それ程好きじゃないけどな」
その瞬間、ゲンマの目が光った。信じられないといった目つきだ。
「何だと、お前。聞いたかイビキ」
ゲンマは仲間を求めるようにイビキの近くへ行くと。「こんなに旨いカボチャを食わせてもらっているっていうのに…アスマときたら、あれ?」
イビキの手元の弁当箱の、おかずもつい、見てしまう。
「お前のも和風だな」
「カボチャ、食うか」
イビキは弁当箱を持ち上げる。その中味をじっと見るゲンマ。さわらの味噌焼き、にんじんの甘煮、豚肉の生姜焼き、たまご焼き、小芋の煮っころがし、ホウレンソウのおひたし、エビフライ、タコときゅうりの酢のもの、そしてカボチャの煮もの。さっき見たアスマのおかずと、同じではないか。
「…どうして、同じなんだ」
首をかしげたゲンマの言葉に、そうかと、イビキは頷いた。
「旨いから変だと思った。紅の作ったものか、これは」
おかずの隣には、ラップフィルムに包まれたナゾの固まりが、ごろんと横たわっている。ゲンマは指差して、聞いた。
「ソレって?」
「アンコ手製の文字通りの゛握り飯゛だ」
イビキの手のひらに載せても、堂々とした威厳すら感じさせる、結構大きな物体だ。作り慣れない弁当なので、アンコは紅におかずだけ作ってもらい、おにぎりのみ自作したようだ。けれどその形は、どう見ても食用には見えなかった。
まさに、これは。
「爆弾みたいだな」
釜の中のご飯を、全て一まとめにして力の限り握ったという感じで、握る途中でこぼれ落ちたご飯粒もそのままに、ラップの表にもあちこち、米つぶがくっついたままの。おにぎり、なのか、ご飯の固まりなのか。
「あの女の大胆な性格丸出しだ」
「戦場で食べる、まずい飯よりいくらかマシだ」
肩をすくめるゲンマへと言い放ち、イビキは黙々と、その爆弾飯にかぶりつく。
「そんな基準で、飯を食うな」
ゲンマは呆れ顔でその様子を見ている。そんなゲンマに向かって。アスマは訊く。
「お前の理想って何だ」
「カボチャを上手に煮る女だ」
「…」
予想していた答えとあまりに違いすぎて。アスマは返答に困る。
普通なら、顔が好みとか性格重視とか。性格にしてもひかえめとか小さな事にはとらわれないとか。そういう事を言うのかと思っていたのだが、何だって?カボチャを、煮る?何だ、それは?
「煮るというのは、味つけはもちろんだが、面取り、コレが大切なんだ」
「面?暗部にでも入りたいのか」
アスマは、面取りの意味が分からない。
「ああもう、これだから無知な奴は困る」
ゲンマは冷ややかな目でアスマを見る。
「小さく切り分けたものの、その角をこそげ取るんだよ」
「こそげ…何だそれ」
「お前の弁当のカボチャを見てみろ」
言われてアスマは、弁当のカボチャを箸に刺した。360°ながめてみる。
そういえば、皮の四隅がキレイに削られている。
「煮崩れも防げるし、見た目も美しいんだ」
力説しているゲンマだが、カボチャ程度でそんなにこだわらなくてもいいのにと思うアスマだ。
カボチャがどう料理されようと、たいして変わらない。食えりゃいいんだ。そんな、どっちでもいい事に熱入れてる奴なのか。そういう風に料理する女が理想だというのか。
こんな事を初日に言われりゃあ、誰だってつき合うのをやめるな。カボチャでコレだ。世の中の、もっと重大な物事について、どんな自分勝手なこだわりを言い出すか知れやしない。口うるさい奴は、嫌われるんだぜ。
でもまあ、ゲンマの好みを聞いてみるのも悪くない。アスマは、゛理想的゛に調理されたカボチャを箸で突き刺しながら、訊ねた。
「理想は他にもあるんだろう、もちろん」
「これだけだ」
ゲンマはきっぱりと言い切った。あまりに速攻に返事をしたので、アスマは面食らう。これだけ、本当に、これだけなのか?
ゲンマは首をかしげながら、
「カンタンな事なのに、皆、嫌な顔をするんだ」
「どうしてもカボチャは譲れないのか?」
「重大だな。味付けはともかく、面取りの事を知らない子が多いんだぜ」
「嫁さん捜してる訳じゃないだろう」
どうやって持って食べても手に付いてくるご飯粒を、しかたなく口で取りながらそう言うイビキに、ゲンマは真剣な顔を曇らせた。睨むようすで呟く。
「好きになってしまった後に、実はカボチャを上手く煮ることが出来ない娘だと分かったら、お前どうする」
どうするって真剣に言われてもな。アスマは苦笑いをする。
「お前はいいよ、アスマ。こんなに旨いカボチャ食えるんだ」
「俺はお前程、カボチャに思い入れはないぜ」
「弁当があるのに、そんなパンまで食って」
ゲンマは焼きそばパンの残りを指差す。
「贅沢だお前」
「何をどれだけ食おうと、俺の勝手だ」
もったいない話だよ、カボチャのありがたみが分からない奴の元に理想のカボチャは存在して、求めている自分には手が届かないなんて。
苛立つゲンマはイビキの方を見る。イビキは未だバクダンと格闘中なのだった。
こいつも、俺のカボチャを手にしているんだ。ホントに、宝の持ち腐れとはこういうことだよ。
誰だ、『求めよ、そうすれば与えられる』と言った奴は。求めれば求めるほど、手の届かない遠くに行ってしまうような気がしてしかたがないゲンマは、いつ、手に出来るってんだ。理想のカボチャを持つ女を!と心の中で叫んだ。 けれど、口に出していうのは、自重する。
でも、これだけは、外せない・譲れないところなのだ。
「お前達にとってはその程度のものかもしれないが、俺にとって大事なポイントだ」
拳を握りしめながら言い放つゲンマの、その発言を聞いて、イビキが唸る。顔に米つぶがついていた。とにかく手の中の握り飯は、食べにくい事、この上ない。眉間にしわを寄せながら、ゲンマを見た。
「してくれた、その事に、ありがたいと思え。相手に求めるばかりでは、ダメだ」
「そんな゛食糧゛で満足している奴に言われたくないね」
「イビキはアンコに教育されてる。ゲンマも見ならえ。世の中、あっちこっちに幸せってモンは転がっているんだとな、思い込まされてるのさ」
「愛した女が煮てくれたカボチャを食って、仕事に行きたいだけなんだ、俺は」
「…他に無いのか、求める事は」
それしか言えぬアスマだ。
「こんな小さな願いを、世の女は拒否するんだ。何故だ」
知らねえよ。アスマは呆れて聞く気すらしない。
カボチャごときにこだわるお前を、拒否してるんじゃねえのか。
「寂しさを抱えて、俺は次の仕事へ行くんだぜ」
ゲンマは時計を見て立ち上がる。
「カボチャくらい、自分で料理しろよ。彼女が出来る早道だ」
「そこだけは譲れないんだ」
ゲンマは部屋を出てゆく。アスマとイビキは互いに顔を見合わせた。付き合いきれないといった、もの言わぬ会話をする。
ゲンマと入れ替わりに、ガイが顔をのぞかせた。
「食事中か?ならばおれも」
手に下げたものを机へと置いた。中から白いご飯と別の容器には、黄色の液状のもの。鼻をくすぐる臭い。カレーだ。
アスマは横目で見る。こいつ、いくらカレーが好きだといっても、弁当にカレーを持ってくるとは。好きにも程があるってもんだ。
「作ってくれる相手がいる奴は、いいな」
ご飯にカレーをかけている。冷えたご飯に冷えたカレー。
ガイは箸で食べ始める。
「昨日突然言われたので、用意する暇が無かった」
「店で何か買おうとか、思いつかなかったのか」
「しまった、その手があったか。アスマの言う通りだ。でも、おれはカレーでもいいんだ。実は昨日の晩も、食ったのだけれど」
「作ったのか、お前が」
「時間がなくて、以前作って冷凍しておいたものだ」
勢いよく、かっ込んでいる。
里中の食堂が一斉に衛生検査をするという。皆、弁当を持って来いとのお達しだった。
だからアンコは、作り慣れない握り飯をイビキに持たせた。
紅はアスマの健康を考え、体によさそうなおかずばかりを弁当に入れた。
「腹が減っている時は、何でも旨いと言うが、アスマ」
「何だ」
「冷えたカレーは、今ひとつだな」
言いながら、それでも上機嫌で食べている。
アスマはふと、この男のこだわりが聞きたくなった。ゲンマはカボチャだったが、こいつにとってのカボチャに当るものは、一体何だろう。
「お前はこだわりが無いな、ガイ」
「そんなことはないぞアスマ。おれにはたくさんのこだわりがあるぞ」
「たとえばお前、女には何を求める?」
ふむ。ガイは少し考える。カレーを食べる手を止めた。
「言い出せば、きりが無いが」
箸でご飯を、皿の隅へと寄せながら、
「ひとつだけ言えと言われたら」
「何だ?」
「女であること、かな」
なんだそりゃ。アスマは眉間にしわをよせた。うーむと唸りながら。
それは条件でも何でもないな。
待てよ。アスマは考え直す。
女であることとは、とても幅広い事を指すのではないのか。
人によって、女を女であると認める場所は違うのだろうし、それを、ひとことで言い切ってしまうこの男は本当の所、どう考えているのだろう。
それとも、全く言葉通りの意味だろうか。
「お前、具体的に言えよ」
「女に女を求めて何が具体的でないのだ?」
なおも、食べ続けるガイ。
「具体的ってのはだな、もっと細かく」
細かく言うと、ゲンマの様にカボチャにこだわるような男になるのか。
どうして、こいつらは極端なんだろう。小さな事に固執するかと思えば、大きすぎて全くその全貌が見えない。真ん中を取るという事を知らない奴らだ、全く。
とにかく、ゲンマもガイも今のままでは。弁当を作ってくれる相手など、すぐには見つかりそうにないと思うアスマだった。
イビキが微動だにせず、黙って聞いている。
アスマは煙草に手を伸ばす。
世の中は広いのだ。誰かひとりくらい、こいつらを救ってくれる人間が、どこかにいる筈なのだ。
たくさんはいらない。たったひとりでいい。
「なるようになるか、お前もゲンマも」
「何の事だ?」
袋からもう一皿、白いご飯とカレーの入った容器を出し。
ガイは鼻歌まじりで、どろんとした黄色の液体をご飯にかけている。
「ううむ。冷たいカレーは、今ひとつだ。アスマ、お前も注意しろよ」
「注意とは?」
「辛さだ。冷えていると、辛さが物足りんのだ。たよりない。極上の旨さが、並の旨さへと格落ちだ」
残念そうにそう呟くと、ガイは又、食べ始めた。
辛さなのか。アスマは呆れてものが言えない。
今ひとつなのは、味じゃないのか。どうしてそこを気にするんだ。他に気にするところがあるだろう。だいたい、どうして弁当がカレーなんだ。そこからして分からない。
こいつらのこだわりは、俺には全く理解不能だ。
ガイは、箸で全てを食べ終えた。物足りないとは言いながらも、それでも満足そうに腹をさする。自分を見ているアスマに気付き、
「もしかして、食べたかったのか?」
と聞いた。
食べたいわけないだろう、という言葉を発するのも面倒で、アスマは少し疲れを感じながら肩を落とし、席を立った。
(終) |