ワタシ ノ キオク

 イチゴは身体が小さくて、まだ幼ないカメだ。木ノ葉の里からかなり離れた田舎の村で生まれた。日当たりがよくて餌がたくさんある大きな沼の周りで、家族や仲間と一緒にのんびりと暮らしていたのだった。
 ある日突然、村が火の海に包まれた。利権争いという名前の戦争に嫌応なく巻き込まれそのせいで、炎が村に放たれたのだ。
 家々が焼き尽され混乱を極める中で、イチゴは親や兄弟とはぐれてしまった。ひとり、池の脇で小さい体をより小さくしておびえていた。火の粉が飛んでイチゴの甲羅をちりちりと焼く。人の怒鳴り声や泣き声があたりに響く。イチゴは悲しいやら恐ろしいやらで、ますます体を固くして、その場を動けずにいた。
 甲羅の中から見る景色は、イチゴの慣れ親しんだ大好きな村ではなかった。全く知らない村だった。
 イチゴの周りを人の足が乱暴に踏み付け走っていく。池の水が跳ねた。
 あかあかと燃えて崩れていく村を見ながら、イチゴはどうすることも出来ずただ、じっとそこにいた。
 どれくらいの時間が経っただろう。あたりは静かになっていた。恐ろしいくらいの静けさだった。
 イチゴは首を出してあたりをうかがった。全てを焼き尽した後の煙がもうもうと白く立ち込める中で、はっきりとその目に映ったのは。
 泥の黒と血の赤だった。
 少し先に一人の人が、うずくまるようにして何かを探していた。見当たらない様子でためいきをひとつ、ついた。太い眉をひそめて、悲し気な表情を見せた。
 イチゴは前足を少しだけ、出してみた。自分が生きているのか確かめたかった。足はちゃんと動いた。動きに合わせて足の下の枯れ葉が、音を立てた。
 そのかすかな物音に気付いたのか、眉の人が驚いたようにイチゴのいる方向を見た。立ち上がって池の脇へと来る。イチゴはこそりと首と前足を甲羅へと戻した。
 とたんに体が宙に浮いた。大きな手の中に下ろされたと知ったイチゴは恐る恐る首を出し、それから四本の手足を出した。小さく動かしてみた。きょろきょろとあたりをうかがった。その手は周りの景色と同じく。
 黒と赤の色をしていた。とても冷たかった。まるで、冬に池の上に張る氷のようだと思った。
「生きているのは、お前だけか」
 眉の人はそう、つぶやいた。その声は、かすれていた。振り絞るように出された言葉。絶望という名の色が濃く出ている低い声を聞いた途端に、イチゴはたまらなく苦しくなった。不安になった。胸の真ん中に、大きな穴が開いた気がした。
 そのままで、じっとイチゴの事を見ているこの眉の人は、自分をどうするつもりなのだろうか。みんなとおなじように、イチゴの事も動けなくするつもりなんだろうか。そんな考えに怖くなって、イチゴはきゅっと体を固くした。
「ガイ」
 遠くで声がした。ひゅっと息のような音がした。
「行くぞ」
 その声にかすかに頷くと、眉の人はイチゴの甲羅を指でつまんだ。
 あれっと思った時には、イチゴの体は、眉の人の着ているベストの内側にすっぽりとおさまっていた。
 しばらくして、体の動きで眉の人は走っているのだと分かった。
 村を離れているのだ。
 まってまって。むらのどこかに、おかあさんやおとうさんやおにいちゃんやおねえちゃんがいるの。おじさんやおばさんもいるの。どこかにいるはずなの。わたしひとりつれていかないで。
 そんなイチゴの心の叫びなど聞こえる筈などなく。村がどんどんと遠くなる。眉の人の足は、もの凄い勢いで村を離れていった。
 みんなには、もう二度と会えないんだろうか。
 もしかしたら、もう、動かなくなってしまっているのかもしれない。
 そんなことを考えたら、ますます苦しくなってきた。
 甲羅の周りに、とたたんたたたんと動く心臓の振動を感じる。イチゴにとって、人の鼓動をこんなに間近に感じたのは初めての事だった。
 これからどうなるんだろう。
 恐ろしくて不安で、どうしていいのか分からない。ほのかに暖かい胸に抱かれていると、つつつと涙がこぼれてくる。
 イチゴは、カチカチに緊張した体をこれ以上ない程に丸くして、走ってゆく眉の人の体の動きに揺られていた。

(終)